俺のヴァージンロード
14
探していた店はわりとすぐに見付かったんだけど。
地図に書かれた場所にあるその店を見て、俺の頭の中ではてなマークがピヨピヨと飛び交った。
「あの、ここのはずなんですけど」
何度も地図と店を見比べて、辺りを見回したりもして。うん、間違いない。ここだ。でも……。
看板も出てないし、古びたその佇まいは、営業中の喫茶店とは思えない。どう見ても閉店してから半年、未だ次の経営者が見つかりません、みたいな雰囲気だ。
「地図には間違いないですか?」
念のために訊いてみると、彼女は落ち着きなく視線を彷徨わせながらも頷いた。
「あの、隠れ家的なお店だって聞いたので、こんな感じなのかと……」
いやいや、隠れ家っていうか、これじゃ放棄された秘密基地じゃん。
まあでも、道案内の役割は果たしたんだし、俺はこれで帰ってもいいよな。万一地図が違ってたとしても、そこまでは責任を感じる必要もないだろう。そう思って、じゃあ、と踵を返そうとした俺を引き止め、彼女が口を開いた。
「あのっ……!」
ガシッと俺の腕を掴んで、縋り付くように見てくる。
「何かすごく入りにくそうな雰囲気なんで、もし良かったら一緒に来てもらえませんか?」
「え、でも……」
「少しだけでいいんです。案内していただいたお礼もしたいですし、本当にお時間はそんなに取らせませんから、付き合ってください、お願いします」
違和感。何だろう、この感じ。
良かったら、と言いながらも、強引に腕を掴んで離さない彼女の様子に、心の中で俄かに警鐘が鳴り始める。
やっぱりデート商法のキャッチだったのかな。それにしては余裕ないというか、必死すぎる気もするけど、どっちにしてもあまり深く関わらない方がよさそうだ。
「すみません、気持ちだけで充分ですから」
やんわりと断りながら、腕に絡む手を外そうとして──俺は、彼女が小刻みに震えてるのに気が付いた。よく見れば丁寧に化粧が施された顔も、心なしか血色が悪い。
「あの……もしかして、どこか具合でも悪いんですか?」
警鐘は相変わらず鳴り止まなかった。よけいな親切心は持つなと、第六感みたいなものが囁いてる。でも、体調の優れない人を放って帰るほど非情にもなれない。
「そ、そうなんです、さっきから気分が悪くて」
俺が足を止めたことにあからさまにホッとした表情をして、彼女が言い募る。
「座っていれば良くなると思うんですけど、一人じゃ心細いですし、少しだけ一緒にいてもらえないでしょうか」
どうしよう。この強引さにはかなり引くけど、確かに気分は悪そうに見える。一緒にいるだけでいいのなら、ちょっとだけ付き合って、彼女の顔色が戻ればさっさと帰ればいい。それだけのことなら、別に何も悪いことは起こらないだろうし……。
「――わかりました。あまり時間ないですけど、それでもよければ」
仕方なく、という様子を隠すこともせずに答えると、彼女は鈴果に似た顔に安堵を浮かべて、すみません、と頭を下げた。
店に足を踏み入れて、俺はまた違和感を感じた。
さほど広くない店内には、四人掛けのテーブルが三つ、狭いカウンターに向かって四つ背の高い椅子が並べられているきりで、俺たちの他に客の姿はない。まるで準備中の店に間違って入ってしまったみたいに居心地が悪い。
「いらっしゃいませ」
そう声を掛けてきたのは淡い金髪が綺麗な男性で、彼以外に店員もいない。それでも、いらっしゃいませ、と言った以上は一応営業中ではあるんだろう。
彼女に手を引かれるようにして、カウンターから一番離れたテーブル席に向かい合って腰を下ろした。すぐに水の入ったコップをトレイに載せて、金髪の男性がオーダーを取りに来た。
メニューを見ようとしてテーブルの上を探したけど、それらしいものが見当たらない。
「あの、メニューを……」
言いかけた俺を遮って、彼女が明るい声を出した。
「ここ、メニューとかないんですよ。日替わりでオーナーのオススメドリンクがあるだけなんで」
「え? 一種類ってこと、ですか?」
「ええ。その代わり、味は保証します」
彼女のその言葉に何かが胸の中で引っ掛かった。それが何かを見極める前に、
「お嫌いな飲み物はありますか」
どうやらオーナーらしい金髪の男性の問い掛けに、小さな引っ掛かりは正体不明のままに消えてしまった。
アルコールが苦手なことを伝えると、彼は無言で頷いて、カウンターに戻っていった。
飲み物が運ばれてくるまでの間、首を巡らせて店内を見渡す。長年に亘って紫煙を擦り込まれ続けたような色合いの壁に、ポツポツと掛けられている額縁は、誰でも名前を聞けばその作風まで思い浮かべるような有名画家の複製。好きで飾られているというよりは、大して価値のないものだから打ち捨てられているみたいにも見えるその油絵を、俺は眺めるともなく眺めた。
「絵、お好きなんですか?」
静かな店内に遠慮するように、彼女が低く訊いた。
「描く方はまるでダメですけど、見るのはそれなりに好きです」
「あら、じゃあ私と一緒ですね。私も見るのは好きで、たまに画廊に行ったりするんです。描くのは無理ですけど」
話が弾む、というほどではないペースで、小声でのやり取りをする。そうして話していて気付いた。
静か過ぎる店。普通なら有線で音楽くらいは流れていそうなものなのに、この店にはそれすらない。カウンターの中から聞こえる、食器の触れ合う音とかジューサーミキサーの唸り声とか。他に空気を震わせるものは、彼女と俺の囁くような会話だけだった。
一日一種類しかない、ドリンクだけのメニューといい、どう見ても閉店してるような店構えといい、客に居心地良く過ごさせることをまるで考えていないような店内といい……この店のオーナーは、本気で商売をする気があるんだろうかと少し疑った。というか、これで店の収支がちゃんと黒字になってるんだろうか。俺が心配することでもないんだけど、何とも不思議な店だ。
「お待たせいたしました」
ぼんやりと余計なことを考えてると、いつの間にかオーナーが傍まで来ていた。
テーブルの上にはオレンジ色の飲み物が、しゃれた細身のグラスに注がれて置かれてる。アイスドリンクなのにストローも付いていないそれを、彼女は何の躊躇いもなく口に運んだ。半分くらいを一気に飲んで、ずいぶん血色の戻った頬を緩める。
「美味しいですよ。貴方も、どうぞ」
「はあ、じゃ、遠慮なくいただきます」
彼女の顔色も良くなってきたようだし、話していて具合が悪そうにも思えなかったから、これを飲み終えたら俺は帰ろう。隠れ家的な店、というなら確かにそうかもしれないけど、俺にはどうもこの店は寛げないし落ち着かない。
早くここを出て、紫蘭に電話したい。紫蘭の声が聞きたい。
目の前に置かれたグラスを、俺は味わうこともなく、一息に飲み干した。
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