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俺のヴァージンロード
11(由耶side)

 ぼんやりと瞼を開けると、カーテンを引き忘れた窓の外はもう真っ暗だった。
 何時だろう、と枕元に置いた携帯を引き寄せる。メール受信を知らせるマークが目に付いて、受信フォルダを開いた。

 紫蘭からの、ごめんなさい、とたったひと言のメール。何だか耳元で紫蘭の声が聞こえた気がして、ツキリと胸が痛くなる。送信時間を見ると、ちょうど俺が電車に乗っていた頃だ。帰ってからシャワーを浴びて、その後はすぐにベッドに潜り込んだから、気付かなかった。
 何か返事しといた方がいいだろう、とは思ったんだけど、もう届いてから半日以上経ってる。今更、どう返せば良いのかわからない。
 ふうっと息をついて、携帯を閉じた。

 十二時間も爆睡したおかげで、疲れ切っていた身体はどうやら回復したみたい。学生時代以来じゃないかな、こんなに眠ったのって。
 中途半端な時間だったけど、これ以上寝てたら目が溶けちゃいそうだし、さすがにもう眠れそうにもない。もぞもぞとベッドから出ると、部屋着に着替えた。


 疲れは抜けたものの、これからどうしたらいいんだろう。
 ぼうっとしてると、紫蘭のことばかりが頭に浮かぶ。
 あんなふうに一方的に拒絶するみたいに帰ってしまって、俺はきっと紫蘭を傷付けた。思い出せば後悔の念に押し潰されそうになってしまうけど、あの時の俺には気持ちに全く余裕がなくて、他にどうすることもできなかったんだとも思う。
 紫蘭の傍にいるのを、初めて苦痛だと感じた。俺への愛情故の行為だったと理解はしながらも、その愛情が見えなくなりそうな不安を覚えた。

 どちらが悪いわけでもない。強いて言うなら、俺が焦りすぎたせいだ。
 一線を越えるかどうか、なんて、そんなに重要なことじゃなかったんだと、今なら思える。それよりも、自分の欲望を押さえ込んでまで俺を愛そうとしてくれていた紫蘭の気持ちを、もっと尊重するべきだった。

 失うことを、恐れてくれていたんだ。こんな、何の取り柄もない俺を。

 急激に込み上げる想い。紫蘭が、恋しい。愛情の真綿に俺をくるんで、ほんの僅かな傷も付けないように、紫蘭がどれだけ大切にしてくれたか、わかってた。
 紫蘭がニューハーフのふりをしてるだけで、本当は男だということや、陸雄の言葉を借りればバリタチだということ。たぶん、この先も彼と一緒にいたいのなら、考えなきゃならない問題はたくさんある。
 でも、今の俺の気持ちは、

『紫蘭に逢いたい』

 ただそれだけだった。



 何度も携帯を開いてはメール作成画面を呼び出し、逢いたい、と打ち込んで、送る勇気がないままに、パタッと携帯を閉じる。さっきから俺は小一時間も、そんな不毛な動作を繰り返してる。
 深夜二時を回ろうとしていた。
 仕事柄、基本的に夜型の紫蘭だけど、朝のうちに起きて俺のために朝食を作ってくれてたんだから、さすがに今日はもう眠ってるかもしれない。メールを送って返事が来なかったら、果てしなく地の底のそのまた底まで落ち込んでしまいそうで、怖くてまた開いた携帯を閉じる。

 何やってるんだよ、俺。逢いたいならそう伝えないと、紫蘭にはわからない。躊躇ってていい状況じゃない。あんな別れ方をして、謝罪のメールにも反応してない。俺は紫蘭を傷付けたままだ。
 立ち上がって洗面所に行くと、思い切り水を跳ね上げながら顔を洗った。冷たい水に気合いをもらって、今度こそ、とまだ濡れた手で携帯を掴む。

『逢いたい』

 さっきまでどうしても押せなかった送信ボタンを、力を籠めてグッと押した。

 同時に。

 ピンポーン、と長閑な音。続いて、遠くからくぐもったように聞こえてきたのは、俺の好きな洋楽のメロディー。

「……え?」

 この曲は、紫蘭が俺専用の着メロにしてたはず。何? 何でそれが聞こえるんだろう?
 一瞬茫然とした俺の耳に、二回目のドアチャイムが響く。それからは、もう何も考えられなかった。

 慌てて開いたドアの外、携帯の画面を見て驚いたような表情の紫蘭に、俺は飛びかかる勢いで抱き付いていた。


 嗅ぎ馴れた、紫蘭の香水。いつの間にか大好きになっていたその香りを、肺の奥深くまで吸い込んで、そっと顔を上げる。軽く目を見開いて、少し唇を開けたまま固まってる紫蘭に、一層きつくしがみ付いた。
 肩の下辺りに感じる柔らかい胸の膨らみが、偽物だとか何だとか、もうそんなのどうだっていい。ただ、好きで。このひとが好きで好きで、それだけが、大事なことなんだ。

「紫蘭さん……、ごめんなさい」

 小さく、でもはっきりと囁けば、足元でゴトンと何か固いもの同士がぶつかる音がした。背中に紫蘭の腕が回って、息が止まるほどの力で抱き締められる。

「私こそ、ごめんなさい」

 紫蘭の声が震えてる。その震えた声のままに、紫蘭が続けた。

「私も……逢いたかった、由耶さん」

 切なげな声音に、紫蘭に付けた傷の深さを思い知る。
 俺がひとりで焦ったせいで、紫蘭に哀しい思いをさせて、俺自身も苦しんで。馬鹿なことをしてしまったと、また後悔に苛まれて、何だか泣きそうだ。
 してしまったことはなかったことには出来ないし、口に出した言葉も帰っては来ない。でも、同じ過ちを繰り返さないことなら出来るから。

 抱き合いながら縺れ込むようにして入った玄関口で、ドアの鍵を閉める間も惜しんで、紫蘭の唇が俺の顔中に、首筋にと押し当てられた。いつになく余裕のない紫蘭の様子を訝しみつつも、切羽詰ったようなキスの嵐に思考が停止する。
 もう、このまま流されて抱かれちゃってもいいのかもしれない。自分が抱かれる側になることをあんなに嫌悪してたけど、紫蘭が俺なんかでも抱きたいと思ってくれるなら。
 何よりも、抱き合ってキスしてるだけで、俺自身もすごく欲情してる。やっぱり、そこは男だから、好きで堪らないひととこんなに密着してれば、どうしようもなく躰は疼くんだ。

「っん、ぅ……、し、らん、さん」

 玄関口じゃ落ち着かない。部屋に入ろう、と続けるつもりで、口付けの合間に発した言葉は、混じり合う互いの吐息に紛れてしまう。それを制止の声と勘違いしたのか、紫蘭の唇が離れていった。
 寂しくて、続きをねだるように見上げると、僅かに息を弾ませた紫蘭もじっと見返してきた。今し方までの情熱が嘘のような無表情で、どこか哀しい影をその綺麗な瞳にだけ浮かべて。
 そうしてやんわりと俺を引き離し、低く囁いた。

「ユウヤさん。――大切な話が、あるの」

 紫蘭の体温を失って、瞬くうちに冷めていく躰が、ふるりと震えた。




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あきゅろす。
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