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俺のヴァージンロード
10

「──んぁ?」

 たっぷり瞬き五回分くらいの間、安曇の顔をまじまじと見たまま彼の言葉を頭の中で何度も反芻して。
 喧嘩相手を威嚇するヤンキーみたいな反応をしてしまったけど、そんなこと気にしてられなかった。

「煉。声も表情も男になってるよ?」

 何が嬉しいんだかやたらにこやかな安曇に指摘されて、慌てて紫蘭の顔と声色を作り直す。

「モデルって……何、それ」
「だからね、雑誌の広告のモデル。だいたいの構図はもう決めてあるんだ。見開きで片面ずつに、うちの服を着た煉と紫蘭が、お互いに手を伸ばして求め合ってるみたいな感じでね。煉の容姿だけでも目をひく上に、その二人が同一人物ってなれば、話題性も充分でしょ?」

 安曇の言う構図を想像してみる。確かに、それは面白いアイデアだとは思った。宣伝効果もあるだろう。でも。

「悪いけど、他を当たって」

 同一人物ということが話題になれば、由耶にも私の本当の姿がバレてしまう。冗談じゃない。そんなことを引き受けられるわけがない。

「他じゃダメなんだよ。これは煉にしかできないんだから」
「勝手に決めないで。私はやらないわよ」
「どうして? ギャラはちゃんと払うし、何なら彼も一緒でもいいよ?」
「……彼も一緒? どういう意味よ」

 何を企んでいるのかと怪しむ私に、安曇は鮮やかに笑ってみせた。

「だって、あの子、知ってるんでしょ? 紫蘭がホントは煉なんだってこと。なら、何の問題もないんじゃないの」

 目だけは笑ってないその表情は、私の嘘なんかお見通しだと暗に告げている。一瞬言葉に詰まりそうになったけど、ここで安易に首を縦に振るわけにはいかない。

「問題ならあるわよ。彼は安曇と私の昔の関係を知ってるの。私が安曇と仕事するのを、喜ぶとでも思う?」
「へぇ? 心狭いカレシだねぇ。あの子、そんなに自分に自信がないんだ? それとも、煉の愛情が足りてないとか?」

 イヤらしい攻め方に、どんどん追い詰められてる気がする。眉間に刻んだシワが深くなるのに比例して、元から決して良くはなかった私の機嫌が急降下していく。
 ひんやりと凍るようなオーラを発散させる私に気付いたんだろう、安曇が控え目な溜め息をついて、一応は折れてみせた。

「ま、今すぐ返事してって言ってるわけじゃないしね。カレシとも一度相談してみてよ。一緒にモデルしてくれるなら、もちろんカレシにもギャラは出すし。引き受けてくれるの、楽しみにしてるからね」

 仕事の話はこれでオシマイ。それまでの執拗さが嘘みたいにあっさりそう言った安曇の本心は、やはり私には読み取れなかった。
 理屈では説明できない漠然とした胸騒ぎが、雨雲のように心を侵食する。敢えてそこから目を逸らすようにして、私は自分のグラスにそっと口をつけた。




 深夜二時。閉店作業に勤しむボーイさんたちに挨拶をして、店を出た。
 相変わらず由耶からは何も連絡がない。メールに気付いてないのかも、とか、返事し忘れて寝ちゃったかも、とか、何とか自分に都合のいい理由を考えてみようとはしたけど、そんなのは無駄な悪足掻きでしかない。
 不安で、不安で、仕方なくて。でも、こんな遅くにもう一度メールする勇気もなく、沈み込む気持ちのままで、そろそろネオンも寂しくなった夜の街を駐車場まで歩いた。
 今日一日を、由耶はどんな思いで過ごしたのだろう。部屋でひとり、泣いてはいなかったかと心配になる。昨夜、私が由耶にしたことは、彼にとってはものすごくショックなことだったはずだ。私と一緒にいるのを拒むくらいに、由耶を傷付けてしまった。
 由耶の泣き顔が、脳裏に浮かんで私を責める。悲しそうな目に縛られて、知らぬ間に足が止まっていた。
 こんな時間だ。普段の由耶ならば、とっくに眠っているだろう。でも、今夜はまだ眠れずにいるんじゃないかと、そんな気がした。
 ――由耶のアパートに寄ってみようか。そう思い付くと、顔が見たくて堪らなくなった。眠っているのなら、寝顔を見るだけでもいい。つらい夢を見ていないのなら、それでいい。朝まで髪を撫でて、ずっと見つめているだけで。
 本当は、独りの部屋を寂しがっているのは、私の方だったのかもしれない。朝、由耶に振り払われて冷えたままの手が、由耶の体温を求めていた。

 駐車場で待ってくれてた運転代行サービスのおじさんに、由耶のアパートの住所を告げる。後部座席に腰を沈めて、こんな時間にもまだ疎らに灯るネオンを眺めた。
 朝まで営業しているホストクラブのあるビルに、吸い寄せられるように消えていくのは、仕事帰りのホステスたち。酔いつぶれた上司をタクシーに押し込む、まだ若いサラリーマン。人の数は少なくないのに、盛りを過ぎた歓楽街は、どこか閑散としてうら寂れた空気に満ちている。見慣れたはずのそんな光景が、今夜はやけに切なくて、私は軽く目を瞑った。
 この夜の街で、六年を生きた。安曇と暮らしてはいたけど、ずっと自分は独りのような気がしていた。寂しさを紛らしたくて、一夜だけの恋を拾っては棄てて、でも、どんな可愛い男を抱いても、情熱的に抱き合っても、心の奥底に沈んでいる氷塊は溶けることがなかった。
 北風と太陽の話だったんだ、と思う。私が今までしてきたことは、寒空の中、旅人のコートを剥ぐために、必死で強く吹き荒んだ北風と同じ。
 由耶に出逢って、初めて芯から温もることを覚えた。由耶が、私にとっての、唯一の太陽だ。太陽を失くして生きていける命などない。
 ふんわりと柔らかな彼の微笑みを思い出す。生まれてきて良かったなんて、思ったこともなかったのに、由耶が一緒にいてくれるだけで、生きていることをこの上もなく幸せだと感じられた。
 失いたくない。今までにない強さで、祈るように思う。そして、失わないために、私がしなければならないこと。

 ……今夜、話そう。本当は私が身も心も男だということ。何故、抱かれることを拒むのか、そのわけも。
 すぐに受け入れてくれとは言わない。ゆっくりでいい。いつか、由耶が、男の私でも好きだと思ってくれるようになるまで、待つつもりだと。
 不安はある。それでも、何もかもさらけ出してしまう覚悟ができると、少しだけ気持ちも浮き上がって。

「柴崎様、もうすぐ到着いたします」

 運転してくれていたおじさんの、どこか遠慮がちな声に促されて目を開けた。由耶の住む町の景色が、濃紺の陰影となって視界に入る。
 もうすぐ逢えることへの期待と、話すと決めたことへの緊張感で、じっとりと掌に汗を握り締めながら、私は無言のまま暗い窓の外を眺めていた。




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