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俺のヴァージンロード
8(紫蘭side)

 引き止める術もなく由耶の背中を見送って。
 沈む気持ちを引きずるようにして、ダイニングに戻った。

 まだ湯気を立ち上らせている二人分の朝食は、由耶の好きな和食だ。一緒に食べて、昨夜のことを許してもらえるまで、何度でも謝ろうと思っていた。
 独りでは食べる気にもなれない並んだ皿たちを、片付けなきゃ、と頭の片隅でぼんやり考えながら、私は力が抜けたように椅子に座って、とりとめもなくあれこれと思いを巡らせた。

 由耶に二度までも振り払われた手。
 拒絶しようという意識が由耶にはなかったのだろう、彼自身も自分の行動に驚いていたけど。
 無意識だからこそ、痛かった。反射的に拒んでしまうほどに、昨夜のことを由耶の本能が否定しているのだと思うと。

 そろそろ、限界なのかもしれない。
 私を抱きたいと、あの奥手で恥ずかしがり屋の由耶に言わせてしまうほど追い詰めてしまった。どんな気持ちで由耶がその言葉を口にしたのか、それを思いやると切なさが胸に満ちる。
 今の関係に由耶がどれほど不安を抱いているのか、知っていた。触れれば熱くなる吐息と共に、自分だけがそうされるのはイヤだと、いつも由耶は私に訴えた。
 いっそのこと、何もしなければ良かったのかとも考えて、私は深い溜め息を吐きながら首を振った。それもまた、由耶を不安にさせてしまうということでは、たいした違いはないだろう。
 私が言えずにいることを、正直に話さない限り、私たちはこの先には進めない。でも、私が男だと知れば、由耶は私から離れていってしまうかもしれない。いつまでも隠しておけるとは思わないけど、由耶を失うかもしれないことが、ひたすら怖かった。一緒にいられなくなるくらいなら、このまま抱けなくてもいい。ただ、あの愛おしい温もりを失いたくはなかった。

 悩んでも悩んでも、出口のない迷路に迷い込んでしまったように、行き詰った思考は堂々巡りを繰り返すばかり。
 今すぐ解決しようとするのが間違っているのかもしれないと、強いて気持ちを切り替えて、テーブルに置いていた携帯を手に取った。ごめんなさい、と一言だけ、顔文字も何も付けずに打ち込んで、すぐに由耶に送信する。本当に後悔してると、その思いだけでも、由耶に伝えたかった。


 無駄に広い部屋で、独りきり。慣れていたはずのそんな状況が、今の私には寂しくて仕方がない。ぽっかりと空いてしまった時間を持て余して、独りではどう過ごせばいいのかすらわからない自分に困惑する。
 今日も由耶と過ごすつもりでいたから、店には休むと言ってあったけど、これでは余計なことばかり考えて、どんどん落ち込んでしまいそうだ。店に出た方がいくらかでも気が紛れるだろう。
 出勤することに決めて、連絡をしておこうと、仕事用の携帯で朱里ママに電話をかけた。

『あら、ちょうど良かったわ、紫蘭ちゃん』

 声を一オクターブくらい跳ね上げたママが出た。私からの電話をこんな歓迎してるママは初めてで、何やら嫌な予感に思わず不機嫌になる。

「ちょうど良かったって、何が?」
『今夜、珍しいお客様があるのよ。紫蘭ちゃんはお休みだって言ったんだけど、少しでいいから呼んでほしいって頼み込まれてて。電話しなきゃって思ってたの』

 珍しいお客様で、ママがそこまで無理を聞く相手。誰だろう。
 店に来たことがあって、私に執着を見せていた芸能人や政治家、大会社の社長、そういう面々を思い浮かべて顔をしかめた。いずれにしてもあまり会いたくない客ばかりだ。と言っても、由耶以外には興味がないから、会いたい客なんていないんだけど。

「誰が来るの?」
『それがね、本当に珍しいんだけれど……、杜様が紫蘭ちゃんご指名でいらっしゃるのよ』
「杜様──安曇……?」

 あまり、どころじゃなくて、絶対会いたくない相手の名前に、どっと気が重くなる。
 安曇には、彼のマンションを出てから会っていない。安曇からも何も連絡がなかったから、諦めない、なんて興奮して言っただけなんだろうって思ってた。
 そもそも、安曇が店に来ること自体、とても珍しいことだった。
 安曇は、『紫蘭』が嫌いだ。店では『煉』に会えないとわかっていて、わざわざ嫌いな『紫蘭』に、何故会いに来るんだろう。
 一気に店に出たくない気持ちになって断ろうとした私の機先を制するように、ママが言った。

『少しでいいから、顔見せて差し上げてね。来られないなら、紫蘭ちゃんのマンションまで訪ねていく勢いだったわよ』
「来たって部屋には入れないけど」
『でも、それじゃあお互いに気まずいでしょう?』

 別に今更、安曇と気まずくなったって構わない。でも、執着心が並外れて強い安曇が、しょっちゅうここに来るようになったら、由耶と出くわしてしまう可能性もある。そうしたら安曇のことだから、きっと由耶を傷付けるようなことを言うだろう。それは困る。これ以上悩みは増やしたくない。
 渋々了承した私に、ママが嬉しそうに安曇が店に来る時間を告げた。





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あきゅろす。
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