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俺のヴァージンロード


 気まずいとか、気まずくないとかじゃなくて。
 思いっきり時間が止まってる。

 俺の「紫蘭さんを抱きたい」発言に、一瞬にして凍りついた空気は、吸い込むと喉の奥でつかえてしまいそうなくらいに重い。
 何だか居たたまれなくなって、ウロウロと目を泳がせた。俺の発言が、予想以上に紫蘭にショックを与えてしまったんだとようやく気付いて、どうフォローしたらいいのか、わからなくなる。

「あの、ご、ごめん、変なこと言って。冗談だから、忘れて?」

 慌てて取り繕ってみても、一度口にした言葉は戻ってはこない。
 いつもは饒舌で、ウィットに富む答えを返してくれる紫蘭が、無表情のまま黙り込んでる。と思ったら。
 陶器で造られた精巧な人形に、俄かに生命が吹き込まれたように、紫蘭が息を吹き返した。みるみるうちに表情が変わる。怒ってるような、悲しんでるような、微妙な顔つきになって。

 そして、その艶やかな唇から、とんでもない言葉が飛び出した。

「……そう。私の愛し方が、まだ足りなかったのね。わかったわ、ユウヤさん。腰が抜けるくらい、イかせてあげる」
「え? あ、いや、そうじゃなくてっ!」
「朝まで、離さないわよ?」

 言うなり、紫蘭の手が、強い力で俺の手首を捕らえた。目が完全に据わってるし! 予期せぬ事態に、俺は軽くパニックに陥った。俺の言いたいことが、紫蘭には間違って伝わってしまったんだと思って、ひたすら焦る。

「ち、違うんだ、紫蘭さん! そういう意味じゃなくて……っ」

 圧し掛かってくる躰を押し返しながら、必死の抵抗。俺、何やってるんだろう。あまりといえばあまりな展開に、情けなさ過ぎて笑えてきた。
 紫蘭の力は緩まない。抵抗空しく、柔らかいソファの上にあっさり押し倒されて、いきなりトップギアのキスをされて。抗議の言葉も、制止する声も、何もかもが紫蘭の唇に飲み込まれて消えていく。
 下腹部に伸ばされた紫蘭の手が、いつにない乱暴さで快楽を引き出し始めると、俺は馴染んだ感覚に、簡単に篭絡されてしまった。





 ――本当に、腰って抜けるんだ。

 初めて紫蘭の部屋に泊まった朝、ベッドで目覚めて最初に考えたことが、それ。

 ソファで嫌というほどイかされて、その後、朦朧とした意識の中で、紫蘭に抱き上げられたところまでは覚えてる。眠ったっていうより、ブラックアウトしてしまった俺には、それ以降の記憶がなかった。

 寝返りを打つのもつらいくらいに、身体の芯が重かった。でも、心はもっと重苦しい何かで満ちていて、溜め息と共に吐き出そうとしても、澱のように沈み込んだそれはちっとも軽くなってはくれない。

 あんな強引な紫蘭は、初めてだ。きっと、俺の言ったことが、紫蘭をひどく怒らせてしまったんだろう。もう止めてくれと泣いて頼んでも、力の入らない腕で逃れようと足掻いても、許してはくれなかった。ムードも何もあったもんじゃない、ただ射精させるためだけの愛撫は、飢える心を一層ひもじくさせただけ。
 鼻の奥が、ツンと痛む。目元に熱が集まる。
 あれなら、まだ、無理やり抱かれる方がマシだったかもしれない。その方がまだ、紫蘭の愛情を感じることくらいはできただろうから。
 何だろう、俺、何でこんなに哀しいんだろう。傷付いてる、のかな。まるで自分が、紫蘭に弄ばれるだけの玩具にでもなったような気がして、どこまでも虚しさの中に落ち込んでいく。

 溢れそうな涙を、乱暴に手の甲で拭ったとき、遠慮がちなノックの音がした。慌ててドアに背を向ける方へ寝返りを打つと同時に、紫蘭が部屋に入ってきた気配を感じた。

「ユウヤさん……まだ、眠ってる?」

 ドアが開けられたままなんだろう、美味しそうな匂いが紫蘭の後を追うように、室内に流れ込む。朝ご飯、つくってくれたんだ。でも、全く食欲はない。無理に食べたら、吐いてしまいそうで、俺は寝たふりを続ける。
 ギシッとベッドが軋む音と共に端っこが沈んで、紫蘭がそこに腰掛けたことがわかった。昨夜のことを思い出して、大袈裟なくらいに背中が揺れた。

「……起きてるのね?」

 ああ、狸寝入りがバレてしまった。仕方なく、背中を向けたままで、小さく頷いた。
 紫蘭がどんな顔をしてるのか、気になった。声に元気がなかったから、たぶん昨夜のことを、紫蘭も後悔してるんだろう。そう思っても、振り向いて紫蘭と目を合わせる勇気は、俺にはない。謝られたくはなかった。俺も、謝りたくはなかった。

「ユウヤさん、お願い。こっち、向いて?」

 紫蘭の声が心許なげに震えてる。ズキンと胸に痛みが走る。――紫蘭も、傷付いてるんだ。
 ゆっくりと、身体を反転させ、横たわったまま紫蘭を見上げて、懸命に口元に笑みを乗せた。

「おはよう、紫蘭さん」

 おはよう、と返して、紫蘭の手が俺の頭を撫でるために触れてくる、それを俺は反射的に払いのけていた。
パシッと乾いた小さな音が、重く耳に残る。刹那、驚いたように見開かれた紫蘭の瞳が、次の瞬間には悲しげに歪む。

「あ……、ご、ごめんっ」

 慌てて謝って、軋む身体を持ち上げるようにして起き上がった。

「ホント、ごめん」

 無言で俯く紫蘭にもう一度繰り返す。首を振って、紫蘭が目を逸らしたまま、切なく微笑んだ。

「ご飯、できてるわ。天気もいいし、食べたらどこかお出掛けしましょ?」

 それきり、俺を見ることなく、静かに立ち上がった紫蘭が寝室を出る。しょんぼりと萎れた背中が何だか頼りなく見えて、俺は掛ける言葉もない。
 後ろ手で紫蘭が閉めたドアの硬質な音に、ふるりと心が震えた気がした。





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あきゅろす。
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