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俺のヴァージンロード
1(由耶side)

 お互いの想いを確かめ合い、めでたく紫蘭と恋人同士になって。
 夢の中にいるような、非現実的な幸福感に満たされて、あっという間に一ヶ月が過ぎた。

 そろそろ南の方から梅雨入りが始まり、どんよりと重く雲に覆われた空を見ることが増えてきた。そんな空模様なんか関係なく、紫蘭と俺は恥ずかしいくらいラブラブだったけど、天候のせいで、どこかに出掛けることは少なくなって、ふたりで紫蘭のマンションで過ごすデートが多くなっていた。
 どこでもいい。紫蘭と一緒にいられるのなら、場所なんかどこでもいいんだ。でも、ふたりっきりの時間が増えると、俺には男として当然の悩みも生まれてきて。



「……っ、ん……」

 恋人同士の、濃密なスキンシップは、いつも紫蘭からのキスで始まる。まだ俺には余裕はないけど、一ヶ月前よりはちゃんと紫蘭に応えられるようにもなった。

 軽く啄んで、互いの唇を甘噛みし合って。舌先が触れ合うと、後は何かに飢えているかのように、貪り尽くす口付けになる。

「ぅ、んん……っ」

 紫蘭の指が、俺の髪を、耳朶を優しく愛撫しながら、首筋を通って鎖骨を撫でる。ゾクリと震える背中を宥めるように、片手で緩くさすって、鎖骨から胸元に、もう片方の手が下りていく。Tシャツの上から、小さな胸の突起を探り当てられて、重ねた唇の間から、俺は微かに吐息を洩らした。
 まだ柔らかかったそれが、徐々に固く尖ってくるのが、自分でもわかる。こねるように、弾くように、性感を引き出す愛撫を施されているうちに、無意識に俺の腰が蠢き始める。
 気付いた紫蘭が、唇を重ねたままで、喉の奥で小さく笑った。
 背中をさまよっていた手が、明確な意思を持って下に降りていく。腰を丸く愛撫して、焦らせるようにゆっくりと、下腹部に辿り着いた。

 いつの間にか、紫蘭に触れられることに馴れた躰は、快楽への期待に甘く痺れる。──でも、心が。

 首を振って口付けを解いた俺は、これまでに幾度となく告げた願いを、今日もまた口にした。

「紫蘭さん……っ、俺だけじゃ、嫌だよ」

 俺だって、触れたい。大好きなひとが目の前にいて、こんな際どい行為を仕掛けられて、一方的にされるばかりなのは、かなりツラい。
 紫蘭の背中にしがみついていた手を離して、柔らかそうな胸の膨らみに触ろうとした、途端に。

「ダーメ」

 声は穏やかだけど、俺の手首を掴む力は、紫蘭が本当に拒んでいると察するに充分な強さがある。
 片手で俺を縛めたまま、もう一方の手はジーンズのジッパーを探って、中に潜り込んできた。

「あっ、イヤだ、何で……っ」

 身を捩って逃れようとすれば、また甘いキスに抵抗を封じられて。

 結局はいつもこんなふうに、俺だけが欲情させられる。
 陸雄が以前言ってた通りに、紫蘭はテクニシャンで、恥ずかしいけどすごく気持ちいいし、触れられる度にその快楽に溺れてはしまうんだけど──何だか、やっぱり寂しい。

 陸雄とは……って、思ってしまう。陸雄とは、最後までしたのにって。

 わかってる。そんなの、比べるもんじゃない。遊び慣れてる陸雄と、慣れてない俺とでは、紫蘭の接し方も変わって当然だ。きっと紫蘭は、経験値の低い俺を馴らそうとしてくれてるんだ。
 そう思い込もうとしてみても、納得できるものでもないその苛立ちは、ちくちくと俺の心を刺す小さな針になる。大きな痛みではないけど、一旦気になり始めたら無視できなくて、ずっと引っかかり続けるような、そんな痛み。


「ぁ、あっ、も……、イくっ」

 ――今日は、紫蘭の右手が、あっさり俺を翻弄し、解放した。



 準備万端、予め用意してあった濡れタオルで汚れた俺の下腹部を拭きながら、紫蘭が熱の醒めやらないキスを仕掛けてくる。またそういう雰囲気になってしまいそうで、俺は焦って抱き合っていたソファから立ち上がり、いつの間にか膝までずり下ろされてたジーパンと下着を一緒くたに引き上げた。

「ごめん、シャワー借りて、いい?」
「イヤ。もっとキスしてから」

 俺のシャツの裾を引いて、甘えるようにねだる紫蘭に、もう一度ソファに座ってしまいそうになるけど、キスしたら愚息は元気を取り戻しちゃうし。そうしたらまた俺だけが、ワケわかんないくらい飛ばされてしまう。

「紫蘭さん、一緒にシャワー浴びない?」

 精一杯勇気を出した誘いには、紫蘭はそっと目を伏せて、言葉ない拒絶を俺に返した。



 付き合い始める前。マンションから帰ろうとする俺を引き止め、泊まるようにとあれだけ誘ってくれた紫蘭が、恋人という関係になってからは、夜十一時になると俺を車でアパートまで送り返すようになった。一緒に眠りたいって俺は思うけど、紫蘭はそう思ってくれてないのかもしれない。

 俺は、紫蘭の恋人。眠れないほどに想い焦がれた紫蘭の、恋人。
 それは、本当に夢みたいなことで、未だに紫蘭の傍にいるだけでドキドキして、やたら喉が渇く。紫蘭の笑顔を見られることが、ものすごく幸せだ。
 なのに、不安で。
 別に紫蘭が冷たいわけじゃない。ただ、俺に抱かれたいとか、そんなふうには感じてくれてなさそうなのが、不安で、切ない。
 贅沢な悩み、なのかな。

 いつになったら、俺は紫蘭と躰でも結ばれることができるんだろう。それとも、紫蘭はそんなこと、全然望んではいないんだろうか。


 フッと小さな溜め息を、紫蘭に気付かれないように吐き出した俺は、寒々しいくらい広い浴室にひとり寂しく足を向けた。





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