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記憶の彼方―氷空戦記―
瀬戸際の選択
もうあれはいつのことだろうか。
一度自身の時を止められた俺には遥か昔のことだとは思えない―――





あの日、処刑台で死ぬ筈だった俺を命からがらに救い出した奴。

代償は、奴自らの記憶。そして時の逆転。

時を刻んだ体は始めに戻される。


それが人間に課される「償い」だった―――




「どちらかしか、逃げることは出来ません」

奴は小声で俺達に告げた。
今、処刑台の周りでは無数の群衆が罵声を飛ばしている。
人間を救った筈の俺達を、人間が嘲笑っている。

しかしそれを聞いた俺の傍らにいる戦友はすぐに決断を出したかのような顔をする。
誰よりも、真っ直ぐな目で。

「なら話は早い。こいつを連れてけ」

その言葉を紡ぐ口調はあまりに淡々としていて、いずれ死ぬという恐怖を全く感じさせなかった。

「貴様、何をいきなり…」

あまりに冷静な表情をするこいつが気でも狂ったのではないかと思う俺が掠れた声で訊く。
この場にいる全員は深手の傷を未だ負っており、俺に至ってはすぐに力を抜けばあの世へ逝ってしまうかもしれなかった。他の奴もおそらく同じ状態であると思うが。

だがこいつは傷等まるで負っていないかのような喋り方で、不屈の眼差しを俺に向ける。その目が曇ることはない。

「道理なら有る。半分人間じゃないお前なら代償が半分で済むかもしれない。俺は人間の血しか持っていない、記憶も多分失うだろう」

「……貴様にも一応、妖怪の呪いがある筈だ」

「それでも、可能性が高いのはお前だ」

途端、こいつの体勢が崩れ落ちた。
だがなんとか両手を前に手錠で掛けられながらも倒れそうなこいつを奴が何とか支えた。


……放っておけば失血死するかもしれない


それ程までに辛うじて立っている状態の俺達の足元には未だ零れ落つ大量の紅い液体によって既に大きな染みが作りあげられている。

「貴方自身、助かりませんよ」

奴は何かを求めるかのような目でこいつに問い掛ける。こいつを一途に思う奴の目から雫が頬を伝い、真っ赤な水溜まりの中に落ちる。
それでも友の目が変わることはない。

「記憶がなければ『俺』なんて死んだも同然だろ。新しい『俺』が作り出されるだけで、元と同じように成長することはない」

しかし此処で初めてそいつは奴から目を逸らし、この丘から眺められる町の方へ向ける。女からは背に阻まれて表情を窺えない。

「それに…お前も結局は『消える』だろ」

すると奴は即座に自分の左手を胸に当て、その声を荒げた。左手と鎖で繋がれた右手がやむなく上がっていた。

「私のことはどうなろうと構いません!それに記憶を取り戻せば貴方自身が消えることは」

「ならあいつは置いていくのか」

途端そいつの目がこちらを向き、辺りが震い立った。奴を始めとする、俺達には決して向けなかった冷酷で殺気立つ、断固として譲らない目で。


「私はその作戦が気にいらないのです!実際異世界へ飛ぶことは一度も行っておりませんし、もしかしたら三人全員が助かるかもしれないんですよ!?」

だがそいつはそれを聞いても表情一つ変えず、それどころか自嘲するかのように笑みを見せた。

「『俺』自身が消滅するのは御免だ、って言っただろ」


―――新しい自分が生まれてしまうくらいなら、死んだ方がマシだ。


「……!」

それを聞いた女は二度とそいつを直接見るようなことはしなかった。こいつの覚悟は本物だと嫌でも確信してしまったのだろう。

―――友を助けることが出来ない自分が腹正しい。

俺はそんな思いに駆られ、己の無力さを罵った。

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