戸惑いと困惑と
珀の姿はとらえることが出来たが、最早顔を上げることすら辛くて私はすぐに首をカクンと下ろした。
杳さんといる間はあまり迷惑をかけないように極力しんどそうな態度を取らないでいたが、年の近さもあってか珀の前ではつい力を抜いてしまっていた。
大理石に移った自分はいかにみじめで近寄り難く、情けない姿なのかが分かる。
こんな所までよく歩けたなと我ながら感心してしまう程だ。
周辺は驚く程に静まり返っている。
人が来る気配もなく、物音一つすらせず、まるで孤立した空間のようだった。
「もしかして、見てた?」
最早どこかを動かすだけでだるいと感じる体で口からどうにか質問すると、彼はすぐに答えてくれた。
「立ち止まって話をしてるのを、さっき見たばかりだ。そしたらあいつが向こうへ駆け出して、風邪を引いたらしいお前を取り残していったようだが」
ということはもしあの場で珀と戦ったことについて訊いていたら、もの凄く嫌な雰囲気になっていたのかもしれないということだ。
バットタイミングを見事に回避出来ていたらしい。
「歩けるのか……お前」
膝を折ってしゃがみ込もうとする私に珀は呆れたような声で言う。
私は咄嗟に半開きの目で、珀の方へと見上げた。
すると彼は目を細めて少し怒りの感情を露にしたが、何も口には出さなかった。
「な、何か、ごめん」
もしや病人がこんな所でうろついてるから不快な思いでもしたのではという考えが横切り、私は再び珀から視線を背けた。
「何で謝った?」
「……私がこんな所でふらふらしてて、迷惑だと思って」
すると私の目に白く綺麗で繊細な手が飛び込んでくる。
この光景が思わずあの眼鏡の女の子が手を差し伸べた時とダブったが、あの時と比べたら大きさが全然違う。
「立たねェと、部屋に帰れねェだろ」
……私って、こんなに人の手を借りないとダメな人間だったっけ?
というより酷い目に遭ってばかりで、これではツァーリ国代表の名もボロボロである。
今頃会場では「ツァーリ国の代表は元棒人間の味方に頼ってばかりいます!」とか言ってて爆笑の渦なのかもとか思うと、いても立ってもいられなくなった。
私は珀の手を無視して自力で立ち上がると、ふらふらとどうにか足を進めて壁に寄りかかる。
「……本気でその状態で部屋に帰るつもりか」
呆気に取られる珀を尻目に、私は壁伝いに歩きだした。
とりあえず見たところではこの辺りを歩いている人はいなさそうだ。
「だって、今保健室行ってもややこしくなったら嫌だし」
私はつい最近入った新米という設定だし、あの長官も私のことについては知らないといった顔つきだし、似たようなパターンに遭えば色々と面倒になりそうだ。
あと再び会場のさらし者になるのもごめんだった。
食堂のあの騒動の時点で、すでになってるかもしれないけど。
「それと」
背中越しに珀が続ける。
私は思わず足を止めたが、何故かそのまま体が膠着して振り向くことは出来なかった。
「俺はただ、お前を置き去りにしてどこかへ行きやがったあいつに疑念を持っただけだ」
「あれは私が行って下さいって言ったから……」
「だとしても、倒れそうな奴を放っていくのはどうかと思うが」
つまり珀は私を心配してくれていた……とも言い切れない、か。
杳さんに対して元々あまり良い感情を持ってなかったし、それが強まったというだけというのも有り得る。
どっちにしても頭の痛いこんな時に考え事をするのもしんどいし、このことについては深く考えるのはやめておいた。
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