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ショートコント3
あの年、真夏の海に彼女は還った





 夏が来た。

 じりじりと太陽が乱暴に肌
を焦がそうとする。ただつっ
立ってるだけで、汗がじわり、
と吹き出てくる。そしてそれ
ら煽るかのような、耳をつん
ざく蝉の鳴き声が頭上から降
ってくる。
 それを全身で感じるとき、
毎年、毎度、「ああ、夏だ」
と思う。わかりきったことだ。
昨日象が描かれた7月のカレ
ンダーをめくって、カメレオ
ンの絵柄を見たところじゃな
いか。わかりきったことなの
だ。なのに、質の悪い大きな
拍手みたいな蝉のわめき声を
聴くたび、ぼくは無意味に
「夏が来た」、なんて思う。

 はっきり言うと、ぼくは夏
が嫌いだ。スイカもメロンも
蝉もプールも、嫌いだ。そし
て海が何より嫌いだった。海
について何か思うとき、途方
もなく悲しくなる。きみを思
い出すからだ。
 もう何年まえになるのかは
わからない。夏も真っ盛りの
夕焼けの海で、きみは突然ぼ
くにさよならを言った。短い
恋だった。おそろしく、短い
恋。梅雨が明けるころやって
来て、夏の終わりを感じ出す
ころ、姿を消した。
 もちろんぼくは「いやだ」
と言ったし、しつこく訳を聞
いた。しかしきみの答えはた
だのひとこと。「住む世界が
違うのよ」。

「住む世界?」
「信じてくれなくてもいいわ。
わたしは海に還るの」

 そう言うと、彼女は突然ほ
てりも冷めはじめた砂浜を海
に向かって駆け出した。
 慌ててあとを追うも、きみ
はそのまま海のなかに消えて
行ってしまったのだ。

 人魚のようなひとだった。
もしかすると、ほんとうに人
魚だったのかもしれないけれ
ど。ぼくが幼いころから生活
していた町のこの海には、古
くから人魚が住むという言い
伝えがあった。
 だったら、しかたのないこ
とだった。「住む世界が違う」
のだ。
 しかたのないことだ――そ
うは思うけれど、それ以来ぼ
くは恋をしていない。



 緑道の木漏れ日は、まるで
出来すぎた照明みたいだった。
集団で音色を奏でる蝉たちは、
かの有名なウィーンの交響楽
団。
 そして、それを頭から全身
に浴びながら、ぼくはぼんや
りと思う。

 今年も――夏が来た、と。





 あの年、真夏の海に彼女は
 還った/Fin.




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