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ショートコント3
慈悲深い彼らが、もたらした暗い闇について2





 この暗闇を塗り込めたよう
に黒い道の上で――この場所
ではないとしても――虫や猫
や犬やタヌキや、もちろん人
間も、あらゆるものの命が吸
い込まれていく。その上を、
暴力的な装備を纏った人間た
ちが、世紀の発明品だとうた
い、堂々駆け抜けていく。

 耳のいいひとや、感受性が
豊かなひとには、聞こえるの
だと思う。無念の末に、アス
ファルトへと吸収されていっ
た命たちの声が。
 それらは時に獰猛に吠え、
時に泣き叫び、時に優しく、
こちらの世界で漠然と生きて
いる僕らに呼びかける。それ
に気づいてしまった僕らの一
部は、亡きものに手招きされ
るまま、ガードレールの向こ
うに、対向車の向こうに、ぽ
っかりと開いた異世界の入口
へ誘われていくのだろう。



 時折、サオリが死んでから
というもの、それらが呼んで
いる声を、僕は何度も何度も
耳にした。悲痛にごうごうと、
時には甘く耳元でささやくよ
うでもあった。

 そんな時、僕は極めて慎重
に道路わきに車を止め、ハザ
ードランプを焚き、目を閉じ
ると、可哀相な彼らの叫びか
ら逃れるために、ひたすら耳
をふさいだ。それから彼女の
ことを思う。
 あらゆるものが僕を呼んで
いた。アスファルトが、僕に
手招きしている。おいで、早
く、こっちに。そのなかに、
サオリの声はない。僕は吐く
息を震わして、悪意に満ちた
それらをやり過ごす。5分で
も10分でも1時間だって、
僕は延々とやり過ごした。

 東京で――この悪意と災い
に満ちた街で過ごすのも、あ
と数ヶ月の話。春には、地元
の田舎町に帰ることになって
いた。
 辛抱すればいい、たかだか
数ヶ月の話だ。もう今年以降、
免許の更新なんてしない。そ
うしたら、二度とメルセデス
の弊害なんて、無関係になる
のだから……。



 僕はふさいだ手を離し、じ
っ、と耳を澄ませる。依然彼
らは僕を呼んでいた。

 ――おいで、早く、こっち
に――

「メルセデス」、つぶやいて
僕は息を漏らす。ドイツ語だ
ったかな。『慈悲深いひと』
――神様が乗り回すには、ぴ
ったりの車かもしれない。
 前かがみにしていたからだ
をゆっくりと起こし、僕は目
前に広がる異世界の扉をぼん
やりと眺める。

 神様、僕は思った。



 神様は。
 この世に、神様なんていな
いのだ。




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あきゅろす。
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