ショートコント3
放漫な魔法
バイト先である飲食店を出ると、目の前に片側二車線の国道が走っている。そのおおきな道路に沿って北に数メートルすすむと交差点があり、その信号で対岸に渡り、また数メートルすすむと、左手に住宅街への入り口になった細い道がある。道なりにすすんだ路地の突き当たりには三階建てになったアパートが建っていて、一階部分にカフェが入っていた。
友人宅からの帰路、たまたま迷い込んでしまったある日、私はそこをみつけた。おしゃれで素敵な穴場的カフェ。
窓のないその店内は昼間でもほの暗く、観葉植物のあいだあいだに置かれた照明たちがうっとりするような素敵な雰囲気をつくりだしている。ちいさくしぼったボリュウムでとろとろと流れる古い音楽もまた、その雰囲気づくりに一役を買っていた。あまりにもおしゃれにすぎて、“女子高生おひとりさま”には敷居が高く、結局足を踏み入れたのはほんとうについこのあいだ、決死の思いで誘った矢野さんとだった。
その甘い思い出あふれる素敵カフェへの二度めの訪問が、まさか恋敵である相田しおりとになるなんて、想像だにしていなかった。
*
彼女との接触を図ったのは私からだった。事務所の棚から従業員の電話帳をこっそり拝借し、携帯電話の番号をメモして彼女と連絡を取った。
相田しおりは、私と矢野さんのバイト先の先輩だ。童顔で背が低いため、ただでさえ若く見えるところを、年甲斐もなく若い女の子みたいな茶髪のおかっぱにしているせいで、実年齢よりも七つ八つも若くみえる(大人特有の色気もへったくれもないはずなのに、これが存外に店の男性陣からもてるので、そのことがさらに私を面白くなくさせるのだった)。
数週間まえに彼女が店を辞めるまで、私たちはとくに親しいわけではなかった。それどころか仕事内容以外の会話すらまともにしないような関係だったのに、いち従業員仲間でしかなかった女子高生からの唐突な電話を受けても、相田しおりはちっとも驚いたりしなかった。それどころか「どうしてこの番号をしってるの?」と不審げに訝ったりさえしなかった。
話があります、と単刀直入に私は言った。
数秒の間もあけず、どんな話だろう、と言った相田しおりの声は、とても面白がる風だった。
――ぜんぜんいいよ、いつでもいいよ。仕事辞めてから毎日ほんと暇すぎるのだよね。
いつもわたしが行くとこでいいよね、バイト先の近所だし、と相田しおりが指定したのがこのカフェだった、というわけだ。電話を切ったあと、私は自宅の部屋で、ひとしきり暴れた。
*
矢野さんは、私よりも四つ年上の大学四回生で、ユーモアと周囲の人間を嬉しい気分にさせることばとであふれている、素敵男子だ。仕事をはじめたのはほとんど同期だった。年上だからと傲【おご】ったところはいっさいなく、私みたいな女子高生にたいしても同等に接してくれる。頼みごとをするときも、その物言いはとても丁寧で、私はすぐ彼に好感を持った。矢野さんの笑顔は周囲をあたたかい気持ちにさせる。
その矢野さんが、相田しおりに恋をしているのは、私でなくても一目瞭然だった。
先月彼女が引っ越し準備のため店を辞める、ということをしって、矢野さんは空前絶後に落ち込んだ。この一年半ほどの片思い期間中、矢野さんもまた、相田しおりとは仕事内容以外の会話をまともにしたことがなかったらしい。
――告白しようかな、って思ってるんだよね。
と、大まじめな顔して彼が言ったとき、私は冗談だろう、と笑った。告白ですか。
矢野さんは私がなぜ笑うのか、まったく理解できないようだった。私は笑顔を引っ込めた。冗談でしょう?
え? しらない、とか冗談ですよね?
え? しらない、って一体なにを?
矢野さんはしらなかった――相田しおりが既婚者で、四歳の息子がいることも、今回の引っ越しが、彼女の夫の転勤のためだということも。
→つづく
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