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ショートコント3
『世界の終わり』



 わたしたちのアパートの裏で、かねてから仲良くしていた黒猫がこどもを生んだ。
 あのひとは猫アレルギーだ。しかしかわいがっていた黒猫に赤ちゃんが産まれ、彼らがすこやかに育っていることをしってあのひとは大変大喜びをしたし、過酷な冬の予感に胸を痛め、ひっそりと彼ら親子を我が家に招き入れようと目下たくらんでいたりする。あのひとは動物が好きだ、むしろ人間よりも。

 ふたりで手をつないで堤防を散歩する。今日は一段と風が強く、つめたい。風に煽られ、あのひとみたいに背の高い雑草たちが、そこかしこでざわざわと大騒ぎしている。
 とうとうさきほど、猫たちの食糧を買い込んでしまった。もはや「わたしたちの猫」である。
 見上げると、雲が足早に西へと向かっているのが見えた。秋はどうしてこんなにも空が高いのだろう。隣であのひとが鼻歌をうたっている。
 神様、聞いてるかい? どうして正義なんか生みだしたんだ。あんなものがあるからみんな争うんじゃないか、と、そのバンドの善良そうなフロントマンはうたっている。ベースもドラムもいない、なんとも不思議なバンドである(でもお面をかぶったDJさんはいる)。

 あのひとに手を握られたら、バカなわたしはつい安心しきってしまう。上を向いたまま歩いていると、雲と空がはるか高い所からわたしたちを呼んでいた。

 こっちはいいよ。
 葛藤も苦難もなんにもないのだから。愚かな人間どもよ、と。

 うるさい、ほっとけよ、とわたしは中指を立ててやる。そんな寒い場所にいて、この生活のあたたかみがわかるはずもない。
 結婚にこぎつけるまでは、とてもじゃないが苦難の日々だった。波乱万丈、というほどでもないが、「不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様に異にしているものだ」。わたしたちはつねに幸せの真ん中で生活しながらも不幸だった。
 わたしは臆病だから、気をたしかにしていないと、ひゅるり、とからだを離脱した魂がどこかに逃げてしまいそうだ。気が遠くなりそうなほど、毎日が幸せだった。

 あの心やさしいバンドの名前みたいに、このまま世界が終わってしまえばいい、と思った。幸せの絶頂のまま今度こそ誰にも邪魔されずに。アパートの猫たちにも、わたしの両親にも、世間体にも、誰ひとりにだって邪魔されたくない。隣のあのひとは、まだ悪魔だとか天使だとか歌っている。


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あきゅろす。
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