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星空のうた2
とおい、とおいとおい、とおい、とおいとおい……『とおいとおいひとを思ううた』とかどうだろう……我ながらしょうもないな。
「愛ちゃんはさ、」
「はい」
ぽろん。
「なんていうか」
「はい」
ぽろろん。
「なんか、とおいんだ」
ぽろろ、
あたしは弦に触れる指を思わず止め、谷さんのほうを向いた。
「なにを」とあたしは笑った。谷さんはたまに変なことを言う。てんで的外れだ。だからあたしは言う――なにをバカなことを。と。とおいのは、谷さんのほうじゃないですか。と――けれどもそれはあっさりと阻止されることとなる。
とおいのは。
谷さんの顔がゆっくり接近してくる。きゅうっと、心臓が一回り縮んだ。あたしたちの距離が、だんだん、だんだん……あたしは目をとじる。
谷さんのキスはみじかい。それはたとえば会話なんかとおなじ種類のようなもので、スキンシップというよりもコミュニケーションといったほうが近いたぐいのものだ。
くっついた唇が離れて、あたしはすぐに演奏を再開する。やっぱりとおいのは、あなたのほうじゃないですか。と、内心ひとりごちたりする。実際はそんなこと、面と向かって言えるほどもあたしは強くなんかない。
「愛ちゃん?」
「……。」
「どうしたの、ねえ」
「……。」
どうもしない、とあたしは首を振った。
「悲しいとか、べつにそんなのじゃないです」
ああ、のような、ううん、のようなみじかいうなり声をあげ、谷さんは芝生のうえに寝ころんだ。彼はしばらく黙り込み、じっとしていた。あたしはそのあいだもずうっと弦を弾きつづけていた。名もなきうたが三巡めを迎えるころ、あたしのギターにあわせて、谷さんは下手くそなハミングなんかをはじめた。
谷さんはたまに、変なことを言う。けれどもそれは時にとても的確だ。的確だった。谷さんはいつも正しい。正しいことしかいわない。下手くそなハミング、と笑ったら、ますます涙がとまらなくなった。
せめて、とあたしは思った。せめて、これが初恋だったらと思った。はじめての恋で、はじめてのデートで、はじめてのキスで……そしたらきっと、あたしは今夜のこと忘れないのに。むろん谷さんもおんなじだったらこのうえなく幸せなことだけれど、そこまで贅沢なんか言わない。言えない、といったほうが正確かもしれない。だってあたしは弱虫だもの。
あたしはいずれ、今夜を忘れてしまうだろう。いつかまた、まともな恋をして、谷さんのことすらも忘れしまうのだ。
それが許せなかった。いつか彼を忘れてしまうだろう未来の自分が。今夜のたまらなく幸せな気分を、たまらなく不幸な気分を忘れてしまうだろう自分自身が。
いますぐ手を止めてギターを置いて、顔を覆って声をあげて泣きたかった。わんわん泣きたかった。それはそれは、谷さんが困り果ててしまうほどに。けれどもあたしは彼を困らせたりしない。あたしは泣くのをやめる。頬にのこる雨粒を、本格的な冬の夜風がたちまち凍らせた。
「うたの」
「ん?」
「名前、きめました」
「お、まじで?」
順位なんてきっと、みんなが考えているほども、ほんとうは取るに足らないものなのかもしれない。けれどあたしはためらっている。ちゃんと足を踏ん張っていないと、いつ自分が「二番目でもいいから彼女にしてください!」なんて暴走してしまうかもしれない。そんなの嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。
あたしはいつかきっとまともに恋をする。きっと谷さん以外のだれかに。谷さんだけには絶対に溺れたりしない――すくなくともこれ以上は。
「やっぱり」と言ってあたしは手を止めた。
「なんとなくまだ名前つけたくない気分です」
「なんだそれ」と、谷さんはけらけら笑った。心臓にちくんとした痛みが走る。ひそかな、それでいて的確な意味をもった痛み。
――いつか大人になったら、とあたしはひっそり思う。そのときは今夜のことをきっとうたにしよう。きっとこのメロディーに名前をつけて、ことばを載せてあげよう。
すくなくともそれまでは、絶対に今夜のことを忘れませんように――あたしは夜空のやさしい星たちに願った。
星空のうた/fin.
sp thanks/『星屑にららばい』さま
お題/『セカンドキス』
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