他 やわらかなとげ *一八万打記念 *新婚パロディ パソコンの画面を射殺せそうな視線で睨みつけ、舌打ちを数回。 忌々しげに、そして怒りを押し殺すように大きく息を吐きながら、シキは時計を見た。 あともう少し、というところでパソコンが固まってしまった。 元々動作の怪しかったそれが、いつ復旧するかなど紙だけが知っているだろう。 もしかしたらそれきり動かなくなってしまうかもしれないのだ。 今日までに終わらせるしかないというなら、やるしかないだろう。 とはいえ、本当に久しぶりの残業だ。 シキは滅多なことがない限り残業はしない。 仕事が趣味なわけではないし、できる限り早く帰りたかった。 首を長くして待っている人間がいるから。 自分の机から離れた彼は、コーヒーを買いに行きがてら、携帯電話に唯一登録されている番号にかけた。 数回のコールののち、相手はすこし掠れた声で出た。 「寝てただろう」 シキがそう笑うと、電話の向こう側のアキラは、反論しようとはしたらしい。 結局言葉にならず、そのままあくびになってしまったが。 「…残業か?」 アキラは単刀直入に聞いてきた。 シキは滅多なことがない限り職場から自宅に電話を入れない。 問いかけに、短く回答する。 彼は特別なリアクションは取らなかったものの、間を開けてから言った。 「気をつけろよ」 通話はそれだけで終わった。 メールにでもすればいいのだろうが、こちらのほうが分かりやすい。 なによりアキラは、きっとそのほうが落ち着くだろう。 シキはまた息をついて、席に戻る。 そして、一刻も早くパソコンが復旧することを、彼らしくもなく祈った。 待ってなんかない、と言い張る同居人の頬をつつき、シキは土産にと買ってきたアイスを突きつける。 食事を作り終え、わざわざ玄関先でこんな時間になるまで待っていたらしい男は、いそいそと袋の中身を確認すると、少々足取り軽くキッチンへ向かう。 いつだったか、今日のように帰りが遅くなった日もこうして待っていたことがあった。 あの日は帰宅する時刻が深夜に近しくなっていたにもかかわらずアキラは待っていた。 それ以来なるべく残業はしないようにしているものの、どうしても遅くなってしまうときは、何らかの手土産は買うよう心掛けていた。 つんけんしているわりに、いじらしく帰りを待っている連れに対して、少しばかりの感謝の念を込めて。 「面倒なんだな」 食卓に着いたシキは、延々とニュースを流していたテレビを切った。 アキラとて興味があるわけではないのだろうが、どうも静かすぎる環境が好きではないらしい。 「そういうものだ」 アキラは軽く返事をしながら茶碗を二つ置いた。 そして、どちらからともなく目の前の料理に手を付けだした。 壊滅的であったアキラの料理の腕は、とりあえず食べられる程度にはなってきていた。 あくまでも摂取するという目的を満たすという意味で、褒められるほどうまいわけではない。 だがどういうわけか、二人で食べているときのほうが、なんとなく美味く感じてしまう。 どういう理屈なのかは、シキにもわからないけれども。 「…不味いか?」 不意にアキラが声をかけてきた。 物思いにふけっていたせいか、表情が渋くなっていたのかもしれない。 「今回は食える」 「食えるってアンタな」 しかしそれ以上アキラの言葉は続かなかった。 もごもご口内で呟いて、結局何も映していないテレビのほうへ無理やり視線を転じた。 そんな仕草まで妙におかしくて、ついシキは軽く口角を上げる。 せっかく待っていた人間を怒らせてはつまらない。 明日は休みだ。 いろいろと、やってもらわなければならないこともある。 機嫌を取るように髪を撫でると、アキラは肩を揺らしてこちらを見た。 「…アンタ、何考えてる」 「夫が信じられないか」 「今日は早く寝ろ、頭やられてるぞ」 事実婚のような状態になって何がよかったか。 恐らくそれは、もうアキラに逃げ場がないことだろう。 「待っていた褒美をやる」 すぐさま大声で罵声が飛んできた。 それでも彼は逃げず、顔を赤くしながらシキの肩をたたくだけだった。 やわらかなとげ [*前へ] |