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音無し会話
*とらあなED





なにがきっかけだったか思い出せないが、いつの間にか会話が無くなっていた。
恐ろしくくだらないことで言い合いになった記憶はある。
果たしてそれがなんだったか判らない。
しかし、アキラに折れる気はさらさらなかった。

シキは勿論、アキラ自身口数が多いほうではないから、沈黙には馴れている。
しかしいかんせん、場所が悪かった。
それなりに賑わう市場で、黙りこくった男二人が並んで歩いていたら、さぞかしおかしな光景だろう。
とはいえ声を掛ける気もないアキラは、やむを得ずシキの肩を叩いた。
普段より若干険を増した赤い目を睨み返し、目の前の魚屋を顎でしゃくる。
魚屋は、表情をひきつらせながらも鮮度の高い魚を示してくる。
それをしばし睨んでいたシキは、アキラを一瞥し腕を組んだ。
アキラは黙ったまま懐から金を取り出し、店主へ渡した。
おっかなびっくりそれを受け取った店主は、ぎこちない笑みを浮かべて袋に詰めた魚を渡してきた。
受け取るだけ受け取ったアキラは、まっすぐシキへ押しつけた。
瞬間眉間に皺を寄せたシキだったが、結局おとなしく受け取り、歩き出した。
普段より早いペースで進む彼の横にぴったり並び、時折視線を交わしては睨んで舌打ち。


かなり険悪な雰囲気のままだったからか、市場で購入したのは魚だけ。
果たして誰が捌くのか判らない、一本丸ごとの。
それを眺めていたら、邪魔だといわんばかりの態度で押し退けられた。
流石に腹を立てたアキラは、思わず口を開いてしまった。


「さっきからなんなんだアンタは」


問いかけにも応じないシキは、なにをするかと思えばいきなり包丁とまな板を取り出して魚を捌きだした。
その唐突な行動には、アキラも固まってしまった。
視線の先、シキは慣れた手つきで、切り取った鮮やかな赤身を更に小さく分けていく。
刺身が出来上がるまで、時間はそうかからなかった。
唖然と立ち尽くすアキラの眼前で、刺身にわさび醤油が掛けられていく。
シキはそれを、おもむろに卓上へ置いた。


「食べろ」


言われるまま、一切れつまみ、口の中へ放り込む。
うまい。
魚は新鮮で、醤油もそれなり。
わさびもぴりっと効いていて。

そう、わさび。

やっと口論の原因を思い出したアキラは、そろそろと視線を上げた。
シキは、笑っていた。
口角をつり上げた、嫌な笑い方である。とは言っても、そうするのも無理はない。
悔しさから唇を噛むアキラへ彼は、


「刺身にはわさび醤油が合うと言っただろう」


そう言って、刺身を手にとり食す。
言われるままは、流石に悔しい。
とっさに、アキラは返した。


「…俺は醤油だけがいいんだ」


しかしシキは笑うだけ。
俯いたまま、アキラは刺身をまた一口食べた。
わさび醤油も、確かに、悪くはなかった。





音無し会話


 


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あきゅろす。
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