風のフアレク 2 とある日のことだった。 フアレクとクィアラは、市に買出しにでるために山里を下り、拓けた町の中心部に来ていた。 出店の並ぶ大通りは、往来人の行き来も多く、この日も活気に溢れている。 二人は、一通り買出しを済ませた昼下がりに、通りをのんびりと、並んで歩いているところだった。 ふとしたはずみに二人は、ちょうど自分達が歩いているところから、一本外れた通りに、やけに大きな人だかりができていて、騒がしいことに気付く。 「何があったんだろうねえ」 思わず顔を見合わせる二人だが、往来平和なこの土地に、人がたかるほど集まる出来事など、そう滅多にあることではない。 二人は興味の赴くままに、その野次馬の群れの方へと向かっていた。 たかる野次馬の輪の後方から、彼らの視線の先を窺うと、彼らが一体何に集まっているのかは、もう幾ばくもしないうちにわかったのだった。 それは、戦争捕虜の群れだった。三十人近くはいるのだろうか。連行される捕虜達は皆、後ろ手に手かせをはめられて、左右前後を見張りの兵士に囲まれながら歩いている。 その様子を、険しい面持ちでじっと見つめているフアレクに、隣にいる野次馬の男が話しかけてくる。 「兄ちゃん、こいつらが何者か知っているか?」 「いや……」 すると男は、どうやらそれを話したくてたまらなかった様子で、にんまりと満足そうな笑みを浮かべる。 「先ごろの帝位を巡っての戦で、皇帝の弟アルクが敗れて死んだことは知っているだろう? だからこうして、奴に組した残党のやつらも捕らえられて、こいつらも見せしめに市中を引き回した上で、首を刎ねるんだとよ」 「何?」 フアレクにとって、耳にする内容の何もかもが、寝耳に水だった。 フアレクはさらに目を凝らして、捕虜の一人一人の顔を眺めてみると、背筋に電気が走るような衝撃を覚える。 「お、親父……兄貴……それに弟まで……」 そこにいたのはまさしく、彼の一族郎党そのものだった。 「ち、ちくしょう!」 フアレクは大声でそう叫びながら、我を忘れてその行列に飛びかかっていこうとするが、彼のすぐ後ろにいたクィアラは、夫の突然の異変にいち早く気がついていた。 「フアレク!?」 クィアラは、フアレクの体を後ろから瞬時にはがい締めて押さえ、必死に彼の理性に訴えかける。 「落ち着いて! 頭を冷やして! あんたは今武器も持ってないんだよ。丸腰で向かって何になる」 突如として持ち上がった騒ぎに、周囲の野次馬達は皆、二人の方を振り向いていた。 身の危険を強く感じたクィアラは、興奮冷めやがらぬ夫の気を、何とかして静めると、放心して棒立ちになっている彼の手をつかんで、引きずるようにしながら、速やかにその場を離れることにしたのだった。 その日、家に帰ってからも、ぼんやりしたまま、食事にもろくに手をつけず、ほとんど口を利かないフアレクのことを、クィアラは訝しがっていた。 勘の鋭い彼女は、夜になり寝静まってから、夫が隣り合う布団を出て、音もなく部屋の外に向かっていく様子を、横目でさりげなく窺っていた。 やがて彼の後を追い、立ち上がって部屋を出ようとするクィアラに、何かを感じ取ったのだろうか。赤子は突如として目を覚まし、ついには泣き出してしまう。 クィアラは、一旦赤子の元に寄ると、その頭を優しく撫でて言うのだった。 「大丈夫。あんたの父さんはね、どこにも行ったりなんかしないんだから。 これからも一緒、ずっとずっと一緒……」 しかし、その言葉とは裏腹にクィアラの本心は、恐れで満たされていた。 息子を抱きしめて頬をすりあわせながらも、その体はがくがくと震えていた。そう、彼女の直感は告げていた。止めなければこれが夫との、今生の別れになる。 いつしか泣き止んだ赤子に代わり、彼女の目から涙が頬を伝い流れ落ちていた―― 彼らの家の少し外れに位置している、物置を兼ねた質素な馬小屋に、一つの松明の灯りが灯っている。 そして、その灯りの下にいる男――フアレクは、自らの背後に寄ってきたある気配に気付くと、ふと手を止めて苦笑いを浮かべる。 「ちぇ……ばれてたのか。そこにいるんだろうクィアラ」 小屋の中で、剣を腰につけ、愛馬の背に蔵を結んで、戦の身支度を整えているフアレクは、後ろを振り返ることもなく、そうつぶやくように言っていた。 そのうち、馬小屋の柱の影から姿を現したクィアラは、ゆっくりと夫の元に歩み寄っていく。 「……あんた、何してるの?」 「ん、見りゃわかるだろう」 こともなげにそう言い返すフアレクに対し、もはやクィアラは悲痛な胸の内を隠せなくなっていた。 「お願い、それだけは思い留まってフアレク……。 いくら何でも相手が悪すぎる。あんた、殺されちゃうよ……」 しかし、クィアラが泣き崩れて夫の背にしがみついてみても、フアレクの目の色が揺らぐことはない。 「悪いなクィアラ。こればっかりは黙って見てるわけにはいかねえんだ。 帰りに野次馬の言葉を小耳にはさんだ。捕虜の処刑はあの街の広場で、明日の正午だそうだ。 クィアラ、俺は俺の一族郎党を助けに行く。お前はここにいて、テムルを守ってくれ」 しかし、当のクィアラは顔中を涙で濡らし、目を真っ赤にして激しくまくしたてる。 「イヤだ! それなら、私もあんたと一緒に戦う! だって……もしここに居たまま、どうなるかしれない明日のあんたの身を想い続けてたら、そのほうが私……はらわたがちぎれて死んじゃうよ……」 だが、フアレクは妻の両肩を手で押さえ、その瞳を見て訴える。 「クィアラ頼む、あいつは……俺の希望の全てなんだ」 その場にしばし、長く重い沈黙が流れる。 妻は下唇を噛んだまま俯いて、険しい表情を崩さない。 そのうちようやく夫の言葉を受け入れたクィアラだったが、代わりに強い口調で夫に釘を刺すのだった。 「わかった……わかったよ。もうあんた、何言ってもきかないだろうから。 でもねフアレク、これだけは約束して。 必ず……必ず生きて私の元に帰って来て。そして、仲間を助けたなら、これからはもう二度と戦に出向いたりなんかしないって……」 妻のその言葉を聞いたフアレクは、穏やかな笑みを作り、彼女の気持ちを慰めようとして言うのだった。 「ああ、約束するよ。もう戦はこれっきりだ。 心配するな、死にはしねえよ。俺はな、昔っから悪運だけはめちゃくちゃ強えんだ」 [*前へ][次へ#] [戻る] |