紅世御伽絵巻
弐*夜桜
「……………?」
神社の境内の中。
箒を持った緋色袴姿の少女は、後ろを振り返った。
が、後ろに誰かがいるわけでもなく、ただ咲き始めの桜の木が一本、ぽつんと立っているだけだった。
「如月?」
呼ばれて少女が振り返ってみると、いつもの紺色の着物に山葵色の羽織姿が立っていた。
「あ、桔梗。お帰りなさい」
「ただいま」
優しく微笑みながら、桔梗は如月に歩み寄って来た。
「どうした?」
「いえ・・・ただ、なんとなく声が聞こえたかもって」
「声?……それって、あの桜の木くらいからじゃなかった?」
桔梗が指差したのは、如月がさっき見たぽつりと立っている桜の木だった。
如月は頭を縦に振った。
「そっかぁ……そろそろかなぁ」
「?」
如月が不思議そうに桔梗の顔を覗き込むと、それに気付いた桔梗が如月の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「如月。今晩は花見だよ」
桔梗は、笑顔でそう言った。
夜。
空は満月で、時々雲がその光りを遮る程度だ。
桜の木の下に緋毛氈を敷き、その上にちょこんと如月は座っていた。
目の前には、黒塗りの重箱の中に色鮮やかな料理と三色団子が入っている。
「お待たせ〜」
桔梗と柘榴が、提灯幾つかを持ってやって来た。
桔梗は柘榴に提灯全部を任せると、如月の横に腰を下ろした。
もちろん、柘榴は何か言おうとしていたが、桔梗が大人しくそれを聞くはずもなかった。
「少し冷えるけど、花見にはもってこいな頃合いかな」
そう言いながら、桔梗はさっそく盃に酒を注いで一気に飲み干した。
すでに諦めた様子の柘榴は、眉間に皺を寄せながら提灯の準備をしている。
「桔梗」
「んー?」
「何で、今日に花見をするんですか?」
如月は、桜を見上げてそう尋ねた。
まだ咲き始めで花びらより蕾が多く、桜色よりも葉の緑色の割合の方が断然高い。
満開までには程遠く、花見をするにはあまりにも早過ぎるように感じる。
桔梗はもう一杯盃を煽ると、
「もう少ししたらわかるよ」
にっこりと微笑んだ。
「桔梗ーっ!」
両手に酒瓶を持った満面の笑みをした男が、右腕をブンブン振りながらやって来た。
設樂(しだら)白蓮(びゃくれん)。
桔梗の仕事仲間であり、酒飲み友達である。
そう言えば、花見が決定した瞬間に生き生きと電話をかけていた。
電話先は彼だったようだ。
「今日は酒盛りだなっ」
「もっちろん。今日はとことん飲むつもりよ。如月も付き合ってよね」
桔梗は満面の笑みで言うが、当の如月は動きが止まる。
「え、い、いや、私は…」
「いいじゃないか、如月。今日は飲もう!」
そう言いながら、白蓮は如月に持たせた盃に並々と酒を注いだ。
オロオロする如月だったが、その上から伸びてきた手が盃を取り、そのまま飲み干した。
提灯を燈し終わった柘榴だった。
「無理矢理飲ませるな」
「あーっ!何すんだよ、柘榴っ!」
「それに、俺だけに酔っ払いの看病をさせるつもりじゃないだろうな。如月、今日は茶にしておくように」
「あ、はい」
如月は、ホッと胸を撫で下ろした。
何度か挑戦はしたものの、あまり酒は得意な方ではなかった。
「ちぇっ」
「まぁまぁ、白蓮。その分飲めるんだから」
「…それもそうだな」
百面相とは、このことを言う。
が、
「けど、俺は飲むからな」
「げっ!柘榴ザル通り越してワクじゃないかっ!」
「だから飲むんだ」
柘榴は、淡々とした口調で言ってのけた。
「………言った通りだろう?」
「だ、大丈夫なんでしょうか……?」
「しばらく放っておけば起きるから問題無い」
すでに酔い潰れた白蓮と桔梗は、緋毛氈の上で眠っている。
持ってきた毛布を掛けてはいるが、まだ3月の夜風は肌寒い。
風邪をひかないかが心配だ。
「酒も飲んで温まっているからな…そう言うお前は大丈夫なのか?」
「あ、はい。寒さには免疫があるみたいですから」
「そうか」
それから、柘榴はまた盃を傾け始めた。
お陰で、沈黙が下りてきてしまった。
如月は何となく沈黙が苦手だった。
なので、必死に話題を探す。
「えっと…このお弁当って、柘榴さんが作ってくれたんですよね」
「ああ、いつものように」
柘榴はこの神社の神主であると同時に、家事統べて請け負っている。
彼に言わせれば、柘榴は桔梗の世話役らしい。
とはいえ、全体的に保護者気質である。
しかも、最近は如月までその中に加わったのだが、柘榴曰く、『一人も二人も三人も大して変わらない』だそうだ。
「……柘榴さんはいつから桔梗といるんですか?」
言い終わってから、如月は自分が何を言っているのか理解した。
まったく無意識な行動で、思わず口を押さえてしまった。
「す…すいません」
「いや、構わない。俺は小学生卒業した直後からここにいる。桔梗はその頃からああだからな……俺がするしかないだろう?」
「―――よく言うよ」
如月が驚いて振り向くと、起きた桔梗が大欠伸をしたところだった。
「何かしようとすると、す〜ぐ怒りだすくせに」
「お前にやらせると何かと物を失くすか壊すしかしないだろうが」
桔梗は、クスクスと笑い出した。
「さて、そろそろ時間だね。柘榴、白蓮起こしといて。んでもって………如月、おいで」
そう言って、桔梗は緋毛氈から立ち上がった。
如月も急いでその後を追う。
桜の木の下。
見上げると、月の白い光で淡く輝いている。
真後ろで何やら鈍い音がしたので振り返えろうとしたが、桔梗は笑顔でそれを遮った。
「ほらほら、これからがメインイベントだからね」
「これから…?」
「そっ、これから」
如月が不思議そうに桜を見上げていると、
「き〜さらぎ〜っ!」
「ひゃっ!」
後から、酔った白蓮が抱き着いてきた。
「びっ、白蓮さん!?」
「ん〜、やっぱり如月可愛い〜ねぇ〜。なぁ桔梗、これちょうだい!」
「嫌よ」
桔梗は笑顔で如月を白蓮から剥ぎ取ると、そのまま自分の腕に引っ張った。
「如月は私のなの」
桔梗は、きっぱりと言ってのけた。
その腕は、とても居心地が良かった。
「それより、ほら。そろそろでしょ?」
時間は、ちょうど24時。
満月が天の真上に昇った。
「―――うわぁ…」
如月は、思わず感嘆の声を漏らした。
足元から月の白い光と同じ光が溢れ始め、一瞬にして輝きが広がった。
その上に、ひらひらと小さな花びらが落ちていく。
見上げると、桜の花で緑が見えない程満開に咲き誇っていた。
よく見ると、小さな影が桜の木の枝にちりほら見て取れた。
「………妖精?」
「そ。年に一度、この季節のこの時間帯にこの桜の木に妖精が集まるの。どういるわけだか桜もわかってるみたいでね、この時間帯だけに一気に咲くんだ。終われば普通の桜の木に戻るんだけどね」
辺りはふわりとした空気に包まれ、キラキラして見える。
暖かい風が流れてきて、それに乗って枝から妖精が降りて来た。
手を延ばすと、その掌に静かに着地した。
降りて来たその妖精は、頭に白い小さな花飾りをつけている。
「花の妖精か」
「何の花だろう?」
「鈴蘭じゃないのか?」
横から柘榴がそう言うとその妖精はニッコリと微笑み、如月の掌から飛び立った。
そのまま柘榴の頬にキスして桜の木へと戻って行った。
「………何だ、白蓮」
「こんのぉ〜、モテモテだなぁ。この色男め」
その後、白蓮はもう一度眠ってしまった。
ただ、頭に大きなタンコブが出来ていたのは見間違いではないと思う。
「……あのぉ」
「大丈夫大丈夫」
「このくらいで死ぬような奴じゃない」
特に問題は無いらしい。
ふと見ると、如月の廻りをくるくると飛び回る光があった。
それは如月と目が合うと、目の前で止まった。
如月が恐る恐る掌を出すと、光が弾けて小さな桜色の妖精が降り立った。
「桜の妖精、だな」
「そうだねぇ…そろそろお開きかな?」
「え?」
すると、その桜の妖精は一度微笑んでから丁寧にお辞儀をし、木に戻った。
それと同時に視界が光に溢れ、次に目を開くと、月の光だけが残っていた。
「妖精の花見は、主催者の桜の妖精が出て来たらお開きってわけ」
「そうなん、ですか………?」
握っていた手に小さな感触があって開いて見ると、小さな桜色の石が転がっていた。
「珍しいな」
「おや、桜色の月長石じゃない。よかったね」
桔梗に、珍しく柘榴まで覗き込んできた。
不意に後から手が延びてきて、ひょいと月長石を摘んだ。
「おぉ、これが噂の桜色の月長石かぁ」
「あの…これ、何ですか?」
見上げた白蓮に如月は聞いてみた。
「これはな、桜の妖精の力の結晶なんだ。ついでに、月の魔力まで含んでるからかなり強力だな。あながち、桜のプレゼントってやつだ」
「…………お前からそんな言葉を聞く日がくるとはな」
「ひ、酷いぞ柘榴っ!」
「あ〜あ、明日は雨かなぁ〜?」
「なっ、桔梗っ!?」
「雨…」
「おわっ!ざ、柘榴さんなんですかその振りかざした拳は!?」
白蓮はまた寝てしまった。
如月は手にある小さな桜色の石を見て、蕾だらけの桜の木を見上げた。
そして、
「……また来年、よろしくお願いします」
そう微笑んだ。
「まったく、俺も欲しかった超レア物なんだぞ〜?」
「さぁ…渡す相手は向こう側が決めることだもの。こちら側の関与するのは不可能でしょ?」
「はいはい、わかってるよ。まぁ、如月は可愛いから何かあったら手伝ってやるよ」
「期待してるよ………それなりに」
こうして、満月の夜は更けていった。
〜夜桜・完〜
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