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紅世御伽絵巻
壱*金魚鉢
何時からなのだろう。

気がつけば、ここにいる。

冷たい水中。

静かに揺らめく微かな響き。

ただ両手で顔を覆っていることはわかっても、どうしてそんなことをしているのかはわからない。



ある日、指の間からその人は見えた。

紺色の着物に山葵色の羽織を着ていて、薄く笑みを浮かべている。

誰もいなかったはずなのに・・・。

ふと、今までになかったことが頭を過ぎった。


―――そういえば、何故私は此処にいるのだろう・・・?


「何故だと思う?」

ふと、彼女は私に話しかけてきた。

初めて、明確な響きを聞いた瞬間だった。

「貴女は今、水の中にいる。もっとも、普通の水ではないけれど・・・」

―――貴女は知っているの?

「どう思う?」

―――わからない・・・気がついたら此処にいた。

「そう・・・・・・」

―――貴女はなぁに?

「何に見える?」

―――わからない。ただ・・・・・・貴女は蒼い色をした人なのね。薄紫色の影もいるの。

ふと、彼女の表情が少し驚いたように見えた。

しかしそれは次第に和らいで、笑いかけてくれた。

だんだん、私の中で響きが増えていく。

それが増えれば増えるたび、『私』というものが構築されていき、次第に出来上がっていけるような気がした。

「そう、そこまで見えるんだね。やっぱり勿体ないなぁ」

そう言って、彼女は手を差し出してきた。

「私は桔梗。本当は君を消しに来たんだけど、やっぱり止める・・・一緒においで」

―――一緒に?

「そう、一緒に。私ならそこから出してあげることができる」

―――でも、どうやって?

そう言いながらも、ゆっくりと手を伸ばしていた。

初めて、彼女を真っ直ぐに見た。

私を見るその目は、とても暖かく、優しい。

「あら、簡単よ」

彼女はニッコリと笑うと、そっと何かを呟いた。

その瞬間、何かがぱしゃりと弾ける音がして、ふっと体が落ちた。

それと一緒に、意識も落ちていった。



あぁ・・・。


私が出来上がっていく・・・。







幾つかの心地よい風が、少女の頬を優しく撫でた。

「――――起きた?」

紺色の着物に山葵色の羽織姿が目に入った。

口を開こうとするが、上手く開くことが出来なかった。

「無理しなくてもいいよ。此処は私の家だから」

開け放たれた障子からは小さな庭が見え、あまり生活感がない和室が広く感じた。

他にこれといって物はなく、生活感というものがあまりにも欠如された空間だった。

「今日から君は此処で暮らすの」

「此・・・処・・・?」

「そう、此処で私の手伝いをして欲しい」

「貴女・・・・・・は?」

「神成桔梗。それなりに過ごしている神社の巫女よ。まぁ、裏家業ってやつで拝み屋っぽいことはやってるけどね」

そう言って、桔梗は少女の枕元にやって来て腰を下ろした。

風が流れるたび、彼女の綺麗な髪が揺れる。

「・・・・・・・?」

「ま、正式には違うんだけどね」

そう言うと、桔梗はクスクスと笑い始めた。

「お陰で、君に会えたけど」

「どう・・・し・・・て?」

「本当は、君を消そうと思ってたの。けど、君を消すのはかなり惜しかったわけ。だから、此処に連れて来たの。わかった?」

少女は、小さく頷いた。

が、

「けど・・・・・・・・・どうやって?」

「あら、簡単よ」

そう言って、桔梗は少女の髪を撫でた。


「君が失った―――君が君であり、君が存在する為に必要なもの、又はその契約の証・・・それさえあれば、君は此処にいられる。だから、私は君にそれをあげた」


透き通る風が揺らした。

そっと、少女の頬をなぞる指の温度が気持ち良かった。

「――――『如月』。今日からそう名乗りなさい。それが君が君である為の証だから」

「きさらぎ・・・?」

「そっ。ちょうど今2月なの。そこからとったわけ」

そこにある微笑みが、春のように暖かく柔らかかった。

『如月』と名づけられた少女は、自ら与えられた名前を何度も反芻していた。

胸の辺りが高揚感で満たされるのがわかる。

「疲れたろう?もう少し眠りなさい」

そう言うと、桔梗はふわりと立ち上がった。

「此処は君の部屋として使ってくれていいよ、如月」

「あ、あの」

「桔梗でいいよ」

「え、あ・・・・・・・・・おやすみなさい」

言ったがいいが、桔梗がきょとんとしたので体が固まる。

背中に何となく汗が流れる。

間違えたのだろうか・・・。

その沈黙を破ったのは桔梗。

体を揺らしているが、笑いを堪えているのがよくわかる。

「あーあ、ゴメンゴメン。おやすみ、如月。良い夢を」

そう言い残して、桔梗は襖の向こうに消えた。

ぼんやりとしたまま、如月は庭を見た。

小さな日本庭園は、しんとした空気に溶けていた。

まだ手には、あの水の感覚が残っている。

けれど、何故そこにいたのかさえ覚えていない。

思考が廻る。

ふと、今まで自分が魚になっていて、金魚鉢の中にいたのではないか・・・・・・そんな考えが過ぎった。

その瞬間から、強力な睡魔が如月を襲ってきた。

庭を見ると、白い雪が降り始めていた。

今まで聞いていた響きとは違う静寂さが、如月の意識を奪った。

その雪を見ながら、いつの間にか眠りについていた。







「何故言わなかったんだ?」

「柘榴、顔が恐い」

神社の境内に積もっていく雪を眺めながら、桔梗は少し困ったような顔で神主を見上げた。

「それに、もう如月は私のものだもの。名前の解除は私しか出来ないし・・・・・・もっとも、渡す気も無いけどね」

「そういう問題じゃ無い」

神主――――黒羽柘榴は、静かに桔梗の隣に腰を下ろした。

「俺はお前の身の安全を一応考えて言ってるんだ、一応。いくら神の贄であったとはいえ、両刃の剣であることを忘れるんじゃない」

「うん。わかってる」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・絶対わかってないだろう」

柘榴は、諦めたようにため息をついて中へと戻ってしまった。

太陽は雲で隠れ、しんしんと降り続ける白い雪の光だけが淡く輝いていた。

「如月は私のものだもの・・・・・・アイツらの好き勝手にはさせない」

雪の中、薄紫色の影が思考を横切った。

そんな気がした。



〜金魚鉢・完〜

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