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小説3 (御曹子×トリマー)

(早くかたを付けて戻らなければ…)
ここに長くいたら、自分が自分でなくなりそうだ。
それは、今の社会的地位から転げ落ちることを意味する。

中西 柊〈なかにし しょう〉は、首を一振りしてダイニングのテーブルから立ち上がり、鍋のふたを開けた。

今夜は、那月〈なつき〉がリクエストしてきたクリームシチューだ。
昨夜から仕込んだブイヨンは申し分なかったし、ホワイトソースも会心の出来だ。

外は今にも雪が降りそうな重い雲と冷たい風。

パタン!

玄関のドアが開いて閉まる音。
パタパタと子供のような足音がする。

那月だ。

やがて、ダイニングのドアが開いた。
柊はわざと振り向かない。

ふわっと外の冷気の匂いがして、華奢な腕が後ろからウエストに回ってくる。

「ただいま、柊さん。いい匂いだね」

那月の声だ。
那月には声帯が無い。
だから、声は吐息を言葉にしたような音でしかない。

最初は耳についたその音が、今ではとても心地よく聞こえる。

那月の頬が背中に当たっている。
胸の中がじわりと暖かくなる。
喜び、と言ってもいいかもしれない。

(いけない)
あわてて、その喜びを否定する。

だから、
「こら、邪魔をするな。先に風呂に入ってこい」
那月にかける言葉はぶっきらぼうだ。

「はあい」
柊のきつい言い方を気にしたふうもなく、するっと那月の腕が離れていく。

そのことを物足りなく思っている柊の心を知ってか知らずか、那月は歌でも歌い出しそうな上機嫌で、風呂場へと続くドアのむこうへと消えた。



〜〜〜〜〜〜〜


柊は、日本で最大規模を誇る専門学校、多田総合専門学校の理事長の御曹子だ。

正確に言えば、多田総合専門学校理事長、多田 直行〈ただ なおゆき〉が一番初めに囲った愛人の子、である。

愛人だった母親は柊が7歳のときに他界してしまい、それから中学を卒業するまでの9年間、柊は多田の本家、つまり直行の正妻のもとで育てられた。

正妻とその子供たちの間で暮らすために、柊が身につけたことは二つ。

誰にも心を許さないことと、母親譲りの美しい顔を生かして人を意のままに操ること、だ。

多田の本家では、正妻を除いたすべての人間を味方に付けることができた。

柊が心の中では舌を出しながら、表向きには悲しそうな顔をして見せれば、正妻の子供たちさえ柊の味方についてくれた。

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