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寒さを感じると無性に虚しくなる(二司まぐろ)
3の巻
その日から、私の友香に対する態度は冷たくなった。
休み時間に友香の教室に行くことはなくなり、友香から来ても偶然入れ違えるように教室から去り、友香に話しかけられてもそっけなく返して会話が続くことはなくなった。友香に対するなにかが私の中で決定的に変わっていた。理由は分からない。昨日の友香の言葉にそこまで怒ったからでもない。ただ世界で一番嫌いな毛虫のように、友香の顔を、姿を、名前を聞くだけで全身の鳥肌が立ちはじめ我慢をすると頭痛がしてくるのだった。
その日友香は朝から何かを感じとったように、珍しく饒舌で私に話しかけてきた。しかし私の排他的な態度に徐々に顔にはりついた不安の色を濃くし、目に浮かべる涙の量が増えた。下校時にはほとんど泣き出す寸前だった。いつもと異なる私たちの雰囲気を、葉子と白は察したらしい。後ろから聞こえる葉子の声は時々止み、囁く微かな声がした。
電車の中では四人とも無言で座っていた。私と友香は両外側にいる。いつもなら決してしない座り方だ。私は憮然として外の方を向き、友香は唇を噛みしめて下を向き、葉子と白はなにか言いたそうにお互いの顔を見つめあっていた。
「じゃあ、ばいばい」
葉子は名残惜しそうな表情で降りていった。
「降りるね。さようなら」
白は心配そうな表情で降りていった。
そうして私と友香の二人だけになった。友香と二人だけでいる気まずさを、私は初めて感じた。私と友香のあいだには葉子と白がいたスペースがある。白が降りてから二駅目、電車が発車してから友香は動いた。
のろのろと腰を上げると下を向いたまま私の前に立つ。二三度息をつくと弱々しく顔をあげた。視線が数周さまよったあと、私の目を怖々と見つめる。
「友香、昨日紀伊のこと怒らせちゃった? そんなつもりはなかったけど、もしそうだったらごめん。友香は馬鹿だからそういうことに疎いの」
友香の大きな瞳から涙が一筋流れ、それを追うように頭を下げた。埃のついた床に三四滴涙の広がりができる。すぐにしゃくりが聞こえ始める。すると車内にいた数人がこちらを怪訝そうにしかし面白そうに見つめた。残りの数人は耳をそばだてはじめる。私はいたたまれなくなって、頭を下げ続けている友香の手をとり、私の隣に引っ張るようにして座らせた。
「ごめん」
「うん」
「ごめんね」
「もういいよ」
「ごめんね、紀伊」
「いいから」
「本当に、ごめんね」
「いいよ、もう」
めんどくさい。
許しの言葉の裏腹に私は舌打ちと、ため息と、友香を突き放す手の強さを思い描いていた。だから友香にかけた言葉も自分が思うより投げやりになっているだろう。それより自分は嫌な顔をしていないだろうか。感情はでないたちだが心底嫌な時だけははっきりとでてしまうらしい。友香が私の肩に顔を埋めて泣いていることが幸いだと思った。
「ごめんなさい」
頭が痛くなってきた。友香の謝り泣く声が私のマフラーとコートに弾かれるのを見て、車窓に映った自分の姿を見て、私は静かにため息をついた。私は本当にどうしてしまったのだろう。独占したいと思うほど気に入っていた友香がこの手に入り、そして意図せず腕をのぼってきただけでこんなにも嫌気がする。全身で友香を拒否している。私にとって友香はそこまでの存在だったのだろうか。
「あ、そっか」
友香がびくりと体を震わせた。思考の一部が外にでてしまったらしい。
――そうか、友香は私にとってそこまで。
すとん、となにかが抜ける音と電車が私の降車駅に着いたのは同時だった。
波の周期でくる頭痛にいつかの友香の声が重なる。友香には紀伊がいればいいの。友香には紀伊がいればいいの。コンパスで刺したような痛みが眉間にはしる。
痛みと声はエスカレーターに乗った時も、帰り道も、家についてからも続いた。

翌日の朝。
私は友香に一つの宣言をした。
私は友香がいなくても生きていける。
そのあとで一つお願いをした。
しばらく私に関わらないでほしい。
風の強い日だった。正門で友香と待ち合わせ石畳を歩く間に話した。待ち合わせへの疑問と不安と昨日の恐れが残る友香の顔は、しかし私の予想を外れて無表情になっていった。
北風が銀杏の葉の最後の一枚を吹き飛ばそうとしていた。風が地上に降りると片付けられていた落ち葉が無様にまいあがった。友香の髪に綺麗な銀杏が一枚くっついた。
「紀伊、それは無理だよ」
風の終わりに届いた友香の声は芯が通っていた。
私は目を大きく開いて友香を見た。友香の髪の銀杏が私の目に痛いほど輝いている。友香は唐突に走りだし、私の数メートル前で振りかえった。紀伊、と笑って手まねきをする。私を急かすときの友香のいつもの行動だった。
私は、動揺した。
なぜ今友香は私を手招くのか。なぜ笑っているのか。そしてなぜ無理だと断言したのか。私は友香が分からない。
石畳の両側にある銀杏の樹に朝日がふりそそぐ。電線が唸る。金色の雨が降る。銀杏の葉は回転をして落ちていく。無数の綺麗な蝶のようだと私は思う。
分からなくて、そうすると、私は別のことばかり考えていた。夢にはいってしまったように時がゆっくりと流れていた気がする。他の生徒など存在しないようにいない。
風が止み雨が静かに止んだ後、隠れていた友香が姿をあらわした。数秒前と変わらない笑顔。私は唐突に怒りを覚えた。
友香に私を見透かされている気がした。
「無理なわけない!」
私はそう叫びたかった。しかしなぜか喉がつかえたように言葉はでなかった。なにも言えずに、けれどいち早くこの場から立ち去りたくて、早足で私は友香のわきを過ぎた。
友香は終始微笑んでいた。
私は自分がどういう顔をしているか分からない。分かりたくなくて、鏡から下駄箱のガラスから教室の窓から目を逸らしつづけた。

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あきゅろす。
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