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扉(外村駒也)完
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 男は暗い廊下を、何者かから逃げていた。
 少なくとも、隣の屋敷の窓から覗く少年、いや、少年と呼ぶにはあまりにも大人だが、彼の目にはそう映った。
 男はときどき後ろを顧みながら、縺れた足で廊下を進んでいる。表情は判らない。しかし、その足取りは、男の恐怖に怯える様子を伝える為には、あまりに十分であった。
 男を追う者の姿は見えない。逃げ惑っている男の目にさえ、その者の姿が映っているかは定かでない。もとより、月明かりしか差し込まない廊下において、一歩先の床以外の何が見えようか。男はただ、見えない者に追われ、見えない何かに憑かれたように、見えない出口を探して、屋敷をあてなく逃げ惑っているのである。
 そのうちに男は、屋敷の扉に辿りついた。扉に寄り掛かり押し開けようと試みていた。容易に開く様子はない。男は膝から崩れ落ちるようにして、床に突っ伏した。

 しばらくして、男ははっと後ろを振り返ると、両手を挙げる素振りをした。そのまま扉へと凭れ掛かり、下がる先もないのに、後ろへと進まんとしていた。男は頻りに首を振り、ただ助けを求めているようにしか見えなかった。
 そのとき、廊下の窓の端に、何かの姿が映った。その足取りはゆっくりと落ち着いていて、ただ男のいる所へと真直ぐに進んでいた。

 少年の好奇心は、ここに来て限界に達した。彼は自らの屋敷の一階へと下りると、外套を肩に引っ掛け、外へと飛び出した。

 飛び出すが早いか、断末魔の悲鳴が暗い闇を満たした。

 その悲鳴は、少年の足を震え上がらせた。少年の好奇心は、既に恐怖と化していた。しかし、それでも少年は、隣の屋敷へと続く小道を直走っていた。

 少年が屋敷へと着いた頃には、屋敷は不気味なまでに静まっていた。微かに聞こえるのは、屋敷を囲う伸び放題の草を風が撫でていく音だけである。少年の心を満たす恐怖は、絶頂へと達していた。季節は秋の終わり、十一月である。だが、少年の額からは汗が滝のように流れ出ている。
 少年は、屋敷の扉へと恐る恐る、しかし、ただ真直ぐに向かった。扉はやはり開かなかった。
 少年は、屋敷の壁伝いに、窓を探した。少年が自分の屋敷から、一部始終を見ることの出来た窓を、である。
 窓はすぐに見つかった。しかし、少年が窓の中を覗く前に、呻きとも言葉ともつかない音を、彼は聞いた。少年は耳を澄ますと、言葉の断片が聞こえてきた。
「……つは…れだ………か」
 少年は意を決して、窓の中を覗き込んだ。

 男が倒れていた。
 その上下の半身は、腰の辺りで、無惨なまでに引き千切られていた。首は半分切り裂かれている。少年はそれだけ確認して、惨状から目を背けた。
(男は間違いなく既に死んでいる。俺の聞いた声は何の物でもない、ただの空耳に違いない)
 少年はそう思ってから、もう一度、男だった物の顔にあたる所に目を遣った。
 男の見開かれた目が動いて、少年を捉えた。

 男は、笑った。

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