ポータブルラジオ奇想曲(くれとー)完 六 青空が久しぶりに翳り、雲が空全面を席巻したのは丁度伯父が訪ねてくる日だった。 だからといって僕が一番好きな白い雲が空を覆う感じではない。今にも雨が降り出しそうな暗い雲である。 そんな雲も嫌いではないのだが、雨が降ると色々と面倒だから苦手ではある。 基本的に傘を持ち歩かないから濡れると風邪を引く可能性があるし、雨の日はあまり屋上が快適に使用できない。 自分の体を濡らさない為には何が散乱しているかわからない、埃っぽい階下に避難するしかないのだ。 普段ならこういう日は家に引きこもって過ごすのだが、伯父も間が悪い。いや、伯父にとっては都合のいい事態なのだろうか。 ニュースとニュースの間に挟まった天気予報で、今日が雨になると報道を聞いた。この空を見上げれば一目瞭然な気もするが、改めて聞くと気が滅入る。 屋上ならばともかく、あのビルの屋内は徹底的に空気悪いのだ。前に雨が降ったときに中で雨宿りをしたからわかる。 もう一度あの悪夢が繰り返されるのは正直勘弁したかったが、他に行くあてもないし家には伯父がやってくる。背に腹は変えられなかった。 しかし、雨はすぐにでも降り出しそうな空模様ではあるが今現在雨が降っているわけではない。 暗澹たる気持ちを抱えながらも中にいる時間を多少でも減らす為に、廃ビルに辿り着いた僕は迷わず屋上に上った。 雨が本格的に降り出すまでできるだけ外で粘るつもりだった。 屋上には先客がいた。しばらく姿を見せなかった黒髪の少女。 いつでも半分開きかけの扉から覗く僕に背を向けて、手すりに寄りかかっているようだ。 僕は構わず自分にとっての定位置に無造作に転がると、少女は微かな物音を聞き取ったのか驚いたようにばっと振り返った。 「……来たの」 声が心なし震えていた。僕はいつ雨が降るか監視しているように空に視線を固定しながら答えた。 「来ちゃいけないわけ?」 「そ……んなことはないわ。ただ、あなたが来たことに驚いただけ」 声の震えはいまだ止まない。さすがに怪訝に思った僕はゆっくりと視線を少女に向けた。 少女は肌寒いぐらいの陽気の中で、何故かブレザーを脱ぎ捨ててワイシャツ姿になり、左の袖を肘までまくっていた。 右手でむき出しになった左手の手首を白くなるまできつく握り締めている。 その指の間からどうしようもなくあふれ出てくる色。赤。 鮮血が少女の右手を伝わり、ワイシャツの袖口をじわじわと染めていた。よく見れば、少女は右手に刃先が血でぬれたカッターナイフを握っている。 曇天に包まれてくすんだような色合いに見える風景の中で、その真っ赤な色彩だけが鮮烈に目に焼きつく。 その赤を凝視したまま、僕は言葉を失った。足に根が生え、舌も凍りついたように固まっていた。 最初は彼女が薬物などに手を出して、錯乱してやったのかと思った。だが、まっすぐにこちらを見据える少女の瞳には正気の光が浮かんでいる。 ならば、この事態は。 先に平静を取り戻したのは少女の方だった。うっすらと顔に困ったような笑みを貼り付けながら謝罪した。 「ごめんなさい、見苦しいところを見せて」 「…………」 やはり、少女は正気のままこんな馬鹿なことを仕出かしたらしい。無言の時間が流れていく間にも、少女の指の間からは血が滴り落ちていく。 「今日はあなたがいないと思ったから切ったのに、失敗だったわね」 [*前へ][次へ#] [戻る] |