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ポータブルラジオ奇想曲(くれとー)完

目を覆いたくなるような悲惨な現実や涙ぐまずにいられない悲劇、ほんの少しの輝かしい幸せや怒りや憎しみやそねみやおかしみがいかなる時も渦巻き溢れている世の中の片隅で、その渦に巻きこまれず淡々と生きている、僕らがいる。

 ちぎれた綿のような雲がまばらに浮いている空が視界を埋める。都会の汚れた空気を透かした薄い色の青空をレンズ越しに覚めた目で眺めながら、コンクリートの地面に四肢を投げ出した。
太陽の熱を吸い込んだ硬い地面がじりじりと体を灼く。耳の穴にねじ込んだ小さなイヤフォンから零れ落ちる無機質な声音が思考回路を満たしていった。
――昨日午後六時……県……市の道路上に三十代ぐらいの男が倒れ……警察は通り魔だと……
――……日に起こった強盗事件の犯人はいまだ見つかっておらず……
 音量を絞った機械がささやくように吐き出す淡々とした声は意味を成さない音の集まりとして耳を撫でていくが、時折掬い上げられたように断片的に言葉という形を成す。
山積して溜まっていく言葉の欠片。それを掻き集めるだけでは情報の全容を理解することは出来ないが、ハナからまともに内容を理解しようなど思っちゃいない。だったら最初からもっと真面目に聞くというものだ。
 では何のために聞いているのかと言うと、精神安定のためだ。植物が日光を欲するように、僕は誰かの不幸の事実を欲した。
だからといって不幸になった人々の悲哀が見たいのではない。僕にとって必要なのは感情でゆがめられていないその本質、事象だけ。
僕という一つの人格を保つために、僕は無機質な報道によりもたらされる情報を貪り続けている。
何も考えず、潮騒のように引いては寄せ、寄せては引くアナウンサーの平坦な声に身をゆだねて、静かに規則的に呼吸を繰り返す。
「ねえ」
 感情のこもらない、没個性的で事務的な音声が満たしていた僕の耳に、突如として雑音が侵入した。
一度で少女のそれとわかる高い声だ。
何も反応せずにいると、今度は少女自身がつかつかと歩み寄ってきて左隣に座った。
丁度顔の部分の日が遮られる。青々と広がる空の上に煙草の煙がゆらりとたなびいた。
「空、好き?」
 イヤフォンの音を掻き消す雑音の正体へ視線を転じると、目が合った。
学校の制服のような古典的なブレザーを百貨店の制服売り場に展示してあるマネキンのようにかっちりと着こなした少女。黒く長いつややかな髪が胸元あたりまで垂れている。
体育座りで腰を落ち着け、片手の人差し指と中指の間に吸いかけの煙草を挟んでいた。
僕は彼女を、不機嫌さをあらわにしてじろりと睨み付ける。
「そんなに怖い顔しないでよ。それくらい答えてくれたっていいじゃない」
 少女はさも不思議そうに言った。僕の不機嫌の原因は彼女にあるというのに気付いていない様子で。
干渉をされたくないと意思表示しているときにちょっかいを出されたら誰しも機嫌を悪くするだろうに。
「答えなきゃならない?」
「あなたがそんな簡単な質問に答えられない事情があるならいざ知らず、そうじゃないなら答えてほしいんだけど」
「どうして」
「ただの好奇心よ」
 少女は空に目線を向けたまま、好奇心という割には淡白にそう答えた。
これ以上会話を長引かせるのも面倒だと思った僕は、早く切り上げようと口を開く。
「別に、好きでも嫌いでもない」
「そう。私は好きよ、特にこういう青い空は」
「僕は大嫌いだ」
 一方的に断言する。
打ち切られた会話に気分を害した様子もなく、少女は空を振り仰いで煙草を咥えると、吐息と共に煙を吐き出した。独特の香りが僕の鼻先まで漂ってくる。
「名前が泣くわよ、蒼」
「…………」
 凪いだ湖のような穏やかさを有した少女の淡々とした声にどう反応していいかわからず、僕は態度を保留して黙った。
少女の呼ぶ蒼というのは僕が少女に名乗った名前ではあるが、本名ではない。名前を聞かれるのが煩わしくて、適当でその場でつけた名前だ。思い入れもない。
 沈黙を見透かしていたように、コンクリートの表面をこの季節にしては肌寒いぐらいの風が撫ぜた。
地上より幾分風の強いこの場所は温度も顕著に感じられるのだろう。
 軽く体を強張らせて風をやり過ごすと、これ以上少女を相手にしないつもりで耳元のアナウンスに集中する。
 戻ってくる平坦な声の秩序。流れていくニュース。
 音に身をゆだねて目を閉じると、片耳のイヤフォンがそっと外された。
「へぇ、音楽でも聴いてると思ったのに意外」
 本体からのびるコードが届くよう、僕と頬が引っ付きそうなぐらい上半身を傾けて、少女は僕の耳から奪い取ったイヤフォンを片方の耳につけて流れてくるニュースに耳を傾けた。
 僕は顔をしかめると、即座に手を伸ばして少女の耳からイヤフォンを奪い返した。
「いきなり何するんだ」
「ごめんなさいね、でも気になってたのよ。あなたはいつもここで何かを聴いてるから」
知らず観察されていたことに、さらに不愉快な気分が湧
いてくる。
再びイヤフォンが奪われることがないよう手で耳を覆って無視を決め込むと、少女は平然と僕の顔を覗き込んで首を傾げた。
「ねえ、どうしてあなたはいつもラジオを聞いているの?」
「関係ないだろう」
 少女の言葉が続く前に、鋭く言った。少女は無言で目を見開いてじっとこちらを見ている。
含みの見受けられない、純粋な驚きの色。僕の苛立ちっぷりが予想外だったのだろうか。
 よくもそんな表情が出来るものだな、と思う。まっとうに社会に参加している人間なら白昼堂々と廃ビルの屋上で油を売っている筈がないのに、なんともそんな社会の不適合者にはそぐわない透明な表情をする。
「たまたま同じ場所で時間をつぶしているとはいえ、僕はあんたに干渉されたいとは思わない。放っておいてくれないか」
「迷惑だった?」
「ああ。同じ場所を使っているからといって勝手に仲間意識のようなものを抱かれるだけでも十分迷惑だ」
 言い切って、呼吸一つ分間をおく。息を吸い込んでから吐き出すのはトドメの一言だ。
「こんな吹き溜まりにいるくらいだからどうせあんたもロクな人間じゃないんだろ?」
 どこまでも傲慢に聞こえればいい。誰かが関わってくることがなくなるのならば、たとえ相手が怒り狂ってもいい。
 しかし少女は激昂しても可笑しくないような侮辱の言葉にも心を動かした様子はなく、薄く口元に苦笑めいたものを浮べると、それもそうねと言って軽く肩をすくめた。


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