夜半の風(煌鷹)完 選択 少し残念そうにラファエルは言った。もっとレイズと話したかったのだろう。 「いいか、よく聞いてくれ――実はもう、この世に『ラジエルの書』は無い。これ以上人間の手に渡らないようにラジエル自身が厳重に保管しているのだ。あの本にはあまりに多くのことが書かれすぎているからな。だが、エノクがその写しを持っている。だから君の知りたいことを教えてやることもできなくはないんだ。しかし」 初めて向けられたラファエルの厳しい視線にレイズは少したじろいだ。 「君が何故、この書を探そうと思ったのか。その理由に納得できない限り、そのようにはできない…だから話してくれ。何故『ラジエルの書』が必要だったのかを、君の言葉で」 自分の言葉で。レイズにはそれが非常に難しいことに感じられた。『ラジエルの書』を探す理由ははっきりしている。だがそれを「言葉」という形で相手に伝えること…レイズには巧くできる自信が無かった。ラファエルから視線を逸らして黙りこくっていたウリエルが口を開く。 「難しく考えすぎる必要は無い。いいか、お前が心から何かを強く望んでいるのなら、使う言葉が稚拙だろうと巧い言い方ができなかろうと、少なくとも我々には、お前の本心が伝わる。そういうものだ」 レイズはまた少しの間うつむいて考え込んでいたが、やがて顔を上げ、ラファエルの視線をしっかりと受け止めた。ラファエルが頷く。 「国王は…自分の保身に必死だ」 自分でも驚くほど落ち着いた声だった。目の前でラファエルが話を聞いていてくれているからかもしれない。 「宰相たちも、自分の立場を失わないことだけに目が向いている。街も村も寂れてしまった。皆、この国に絶望している…国外逃亡を試みる者もいる。隣の国の事も一切知らされなかった。そこでは兵士が訓練されているとか…俺の両親は病気で死んだが、知り合いは盲目の母親がいて逃げることすらできない。このままでは間違いなく、惨殺されてしまうだけだ。この国はどうなる?伝統や歴史は抹消され、生き残った者は奴隷として生き殺しにされる。だから俺は…どうすれば良いか知りたかった。自分に何が出来るのか知りたかった。俺は不学だ。それでも文字を読むことは自分で学んだ。」 最早自分が何を言っているのか分からなくなっていた。 「でも、もう遅いかもしれない。俺がこうしている間にも、村は戦火に覆われているかもしれない。それに…もういい」 「何がいいんだ?」 「三年以上ファルエラと旅をしてきて、俺はずっとファルエラに助けられっぱなしだった。俺に何が出来るかなんて、ただの思い上がりに過ぎなかった。だから…やるべき事を、未来を知るべき人は、他にいる。俺には大業は為し得ない」 「そうかな」 レイズの頬を流れ落ちる熱い雫を、ラファエルが指で拭い取る。ラファエルの大きな翼が覆うようにレイズを優しく包んだ。 「俺に助けられたなんて、ある意味で至極当然のことだ。俺は何万年もの歳月を過ごしてきた。経験が多いのは当たり前だろう?それにもう一つ、まだ戦争は始まっていない。君が、自分が指導者となるということが大役すぎると思うなら、それに値する誰かを援けてやればいい。君は『ラジエルの書』を求めて三年間旅を続け、この神殿まで辿り着いた。君に書を見せることについて、他の天使にも異論はないはずだ」 ファルエラの言葉に頷いたメタトロンが、レイズに黒表紙の本を差し出した。 [*前へ][次へ#] [戻る] |