火炎龍と狼(仮) (煌鷹)
第十一章:匂い
「……これは、降るな」
「降りますね、今夜」
陽も傾いて湿っぽい空気が二人の気を滅入らせた。決して重々しい空気が漂っているというわけではない。雨の匂いが広がっていてこの二人には不快なのだ。今日に限ってはモノケロスは動かないだろう、というファイヤードレイクの出所不確かな情報と、普段は信用ならないネイブの勘は見事に当たり、冲稜の北に構えた陣中で皆が一日中寛いでいる。
「ケイ……いやファイヤードレイク」
「その呼び直しは意図的なものですか、それとも?」
「意図的なうっかりだ」
「そうですか。ところで何か?」
二人だけの時はフェニックスに遠慮も何もあったものではない。
「其方の情報の出所がどこなのか気になってな。今日のことにしろ、今までのことにしろ、どこから情報を得て自信満々に策を出しているのか甚だ疑問だ。自分の本拠地から離れているにも関わらず早く情報を得る、その方法をお教え願いたい」
ファイヤードレイクは苦笑した。
「フェニックス殿、ご自分が何を仰っているかお分かりですか」
「やはりだめか」
「まあ、私でなくとも同じように答えるでしょうね。ただ、方法がないということはないですが。お教えしましょうか?」
「是非とも。ただし無茶なものはお断りしたい」
「その『無茶』ですよ、残念ながら」
誰かと常に意識を繋げ続ければ驚くような速さで情報を得られるということはフェニックスも知っている。しかしそれはあくまでも理論上であり、普通なら、或は自分でもその状態を半日も保つことはできないであろう。繋げる者は相当量の力を常に消費することを余儀なくされるし、接触しない限りは切れた意識を繋げ直すことはできない。机上の空論というものである。
「俺を殺す気か」
「まさか。私はフェニックス殿のご参考になれば、と思って申し上げたまで。強要はしておりません。それに、工夫次第では重要な情報入手手段にできる可能性がありますよ」
「……そうだろうな」
フェニックスは不貞腐れたように言って溜息をつく。
風に流されてきた黒雲が冲稜の上空に集まってきている。
「嫌な雲だ」
「そうですね。しかし、私がモノケロスの立場なら、こんな日には迷わず……」
ファイヤードレイクの言葉を聞いてフェニックスの表情が一変した。こんな日には、迷わず、やることは一つだ。
「ネイブはどこにいる?」
「どうなさいました?ネイブ殿はご自分の隊を率いて、潅西の関までいらっしゃったではありませんか」
「そうだったな」
フェニックスはネイブがそう告げてどこかへ行ったことを思い出し「ならいいか」と言って一度は表情を崩したものの、またすぐに複雑な表情に戻る。
「今日はネイブが担当の日だったか?」
「違いますね」
「何故行った?それについてネイブが何か言っていたような記憶はないのだが……俺もそろそろ年か?」
「それも違いますね。多分」
多分とは何だ、とフェニックスはどうでもいいことに反応した。
「本来、今夜の担当だった者は確かラオシアだったな」
「ラオシア殿も随分と前に出発した気が」
「ではネイブは何のために行ったんだ?」
フェニックスは少しの間何故か地面を足で掘り返しながら、下を向いて考えていた。足が嵌るぐらいの穴ができた。
「……暇だったからか?」
「考えて出した結論がそれですか」
「いや。ネイブのことだから何かあるのだろう」
能天気な会話を交わしながら二人が陣中を少し歩いていると、背後から誰かが走り寄ってくる足音が聞こえた。それに気付いて振り向いたファイヤードレイクの目の前で、走っていた誰かがフェニックスの掘った穴に足を取られて転ぶ。その物音にフェニックスも足を止めて振り返った。
「すまない」
自分の掘った穴が引き起こした惨事に気づいたフェニックスは倒れている彼の隣に駆け寄って行って座った。謝っているというよりは見物しているようにしか見えない。
「……ネイブ隊長から、ほ、報告です」
「うむ」
湿った砂を払って立ち上がった彼は拱手して言った。
「お伝えします。『潅西関より、導紅(ドウコウ)橋を通過した敵援軍を確認、日没には潅西関に到達する模様。その西にて敵援軍を一掃する。雨が降りそうだから来るな』との事です」
「他には何か言っていなかったか?」
「特に承ってはおりませぬが」
「そうか。ではネイブに伝えてくれ。モノケロスたちは援軍と合流するつもりだ。ラオシア隊と協力してそれを防げ」
彼が来たときのように走り去った後、フェニックスはファイヤードレイクに耳打ちした。
「俺の今言った通りで間違いないな、ケイオス?」
ケイオスは黙って頷き、潅西関の方向に目をやるとフェニックスには聞こえないようにこう呟いた。
これ以上の狂いを出さないように、そちらのことは頼みましたよ、アスナジアーサナミア。
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