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火炎龍と狼(仮) (煌鷹)
第九章:共有

 ファイヤードレイクは単独、瑛鶴山に来ていた。ここが既に無人の廃墟と化していることなど知っている。ペガソスがここを愚かにも守ろうとするとは微塵も考えてはいなかった。もし守ったとすれば、それはここに余程大切なものがあるということであるが、残念なことにそのようなものはなかったようだ。
 「アスナ……」
 無人のはずの瑛鶴山の砦の門の櫓に、一つの人影があった。その人影は地上に主の姿を認めると、その場から遥か下の地面に身軽に飛び降りる。
 「お待ちしておりました」
 「ここの様子はどうだ?其方の目を通して見た限りでは、目立たずに行動するには適した場所だと思ったのだが」
 アスナは今しがた飛び降りてきた櫓を見上げて目を細める。
 「申し分ないですね」
 そうか、と答えてファイヤードレイクもその櫓を見上げていた。先のことを考えると、活動の拠点としていくつか砦を確保しておきたい。モノケロスのいた冲稜は晃來山に近すぎる。それでは意味がない。今は誰も住んでいない絃瞑(ケンミョウ)山も候補に挙げてはいるが、砦が残っているなら利用しない手はない。
 「ロスタフィーノ」
 アスナはファイヤードレイクをいつもこう呼んでいる。彼の名を知らないというわけではない。が、自分の主としての彼はファイヤードレイクでもケイオスでもなく、ロスタフィーノなのだ。
 「……リコルヌは、どう致しましょうか?」
 「まだそのままにしておいてくれ。傷も癒えてはいまい」
 ファイヤードレイクは櫓を見上げたまま答える。
 「承知致しました」
 そう言ったアスナの目もまた櫓に向けられたままであった。生温かい風が結い上げたアスナの長い髪を揺らす。
 「…………」
 ファイヤードレイクはそれを見てなにか湧き上がってくるものを感じたが、視線を櫓に戻して言った。
 「其方は、これでいいのか?」
 「何がでございますか?」
 「俺と呪縛とも言える契約を交わしたことだ。この契約が続く限り、其方は俺から、或は俺の意識から完全に離れることを許されない。俺の所有物になったも同然の生……」
 アスナは相変わらず櫓を、いや空を見ていた。
 「貴方がそれを罪と思っている限り、私は救われない。私が貴方に束縛されるのと同時に、貴方も私に束縛されている。契約とはそういうものであると私は愚考します」
 雲がゆっくりと空を走ってゆく。
 「私は自ら望んで貴方のものとなったのです。未だかつて為されたことのない契約の実験台となることから始まり、今では貴方の力を一部、自分のものとしている……私が強引に貴方にお願いしたことです」
 アスナの淡々とした口調を聞きながら、ファイヤードレイクは彼の意思を嬉しく思うと同時に、自分が作った契約の恐ろしさを思い知らされていた。初めて彼と会ったとき、アスナは快活な青年だった。それが今では、自分の影響を強く受けすぎた、もう一人の自分を目にしているようでやりきれない。
 「……そうか、いや、そうだったな」
 「そうだったのです。私は以前とは変わってしまいましたが、この変化は自ら求めたものなのですから」
 ファイヤードレイクははっとしてアスナを見た。
 「私は貴方になりたかった。それだけです。自分の中で二つの自分が争い、闘うのを感じながら、私は積極的に貴方を求めた。過去の自分を保つのも容易でしたが、私は貴方になりたかった。私は貴方に心酔しています。殆ど貴方になりかけて、それでもまだ、貴方を己にとって絶対的な存在と信じている」
 もう十分其方は俺になってしまっている、そう言いかけてファイヤードレイクは口を閉ざした。このアスナとの会話は自分と対話に等しいということに気づいた……それでは答えは出まい。互いに同じ事を考えている。賢い、とか、知識がある、とか、そういった意味ではなく、アスナの感情は自分のそれと同じなのだ。
「分かった」
 ファイヤードレイクはまだ靄の掛かったような気持ちを断つかのように言った。
 「もうこのことに関しては何も言うまい。だが、もし……万が一にも、其方がこの契約を呪縛にしか感じられない時がきたら、それをはっきりと告げてくれ。これだけは約束してほしい」
 「……誓いましょう。ただ、私からも一つお願いが。その内容は私が言うまでもなく、お分かりでしょう」
 「分かった。これは相互の誓いとしよう」
 アスナはそれを聞いて漸く、その視線をファイヤードレイクに向けた。そしてその後に彼の浮かべた微笑みはファイヤードレイクの微笑そのものであった。
 「それと、ロスタフィーノ。貴方が私に会いにここにいらした理由は、まさかそんな話をするためではないでしょう?」
 「そうだ。忘れてはいない」
 ファイヤードレイクは彼の自分と同じ態度や物言いに少し気味悪さを覚えながらも、それに気づいていないかのように答えた。
 まあ、アスナは俺の心境に気づいているのだろうが。
 「明後日、天蓋山に出発する。伝書は読んだ、貴殿の事情と意思がはっきりと分からぬ以上は返答はできない。この戦いが終われば、必ず姿を見せろ……と、炎の者に伝えておいてくれ」
 アスナは拱手して「承知しました」と答え、原形に姿を変えて瑛鶴山を飛び立っていった。


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