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火炎龍と狼(仮) (煌鷹)
第十四章:赤

 司祭は数年ぶりに邸の外に出て奄城を歩いていた。無論それは《ガゼル》を始め邸の者には知らせていない。別に困らせてやろうと思ったというわけではないが、一人で出たかったのである。
 朝早くから城内は賑わっていた。その様子は三千年前と変わっているようには見えない、いや、首城であるこの奄を廃れさせるようでは為政者として終わりである。先に地方が乱れ始めるのが普通である。ただその余波がかろうじてここまでは及んでいない、それだけのことなのかもしれない。
 自分の時はあれ以来ずっと止まったままだ。普通の若者と何ら変わりない容姿の彼に誰も気づくことはなかった。
 ある店の前を通りかかったとき、店主と客のやり取りが偶然耳に入って彼は立ち止まった。
 「蔡游(サイユウ)の辺りで、河の水が赤くなったと知り合いから聞いたんだが、本当かい?」
 「らしいな。この目で見たわけではないが、蔡游から来た奴らはみんなそう言うとる」
 フェニックスが砦を構える蘭英(ランエイ)渓谷を通ってきた導紅川(ドウコウセン)は奄の北で紅川(コウセン)と導川(ドウセン)に分かれる。遥か昔、南から奄に移住した者が先に導川と紅川を発見してそう名づけ、彼らのうちの北上した者がその二つの川が元々は一つだったことを後で知ったために、分岐する前の川は導紅川と名づけられた。
 蔡游城はこの奄城より紅川の下流にある。紅川の水は稀に血のような赤色に染まることがあり、その後には必ずと言って良い程「何か」が起きる。過去にはその翌日に為政者が死んだり、規模の大きい山火事が起こったりということもあった。
 「それは、いつのことだ?」
 彼は思わず店の二人に聞いた。まだその話は誰からも報告を受けていない。客の方が言った。
 「又聞きで伝わってきたから何とも言えないな、兄ちゃん」
 「では、貴殿はいつ、それを?」
 「うーん、雨の日の三日後くらいだった気がするけどな」
 俺もその日だ、と店主も言った。
 「兄ちゃんは聞かなかったのか?」
 「潅斉から来たばかりだからな」
 彼は咄嗟に適当な嘘をついた。確かにそれなら知らなくても仕方ない、と店主が言う。
 「じゃ、兄ちゃん、潅斉城内では他に何かあったか?」
 「いや。役に立てなくて申し訳ない」
 「そんなことはねえがな。とにかくあんたも気をつけなよ」
 そうだな、と言って司祭はその店を後にした。元々こういった立ち話を聞くのが好きなのである。そのまま考え事をしながら城内を歩いていると、曲がり角の向こうから歩いてきた者とぶつかった。赤髪の青年である。
 「これは……失礼した」
 それだけ言って去っていこうとする青年に思うところあって司祭は彼に声を掛けた。
 「いや、こちらこそすまなかった。ところで其方……」
 「何か」
 「相当の力の持ち主と見た。名は?俺はディアロン」
 「……アスナ、だ」
 アスナと名乗った青年は胡散臭げな目で司祭を見る。
 「其方も隠してるつもりかもしれないが力が漏れ出ているぞ。偽名を使うくらいなら城内を出歩くな」
 司祭は驚いて青年の顔を凝視して言った。
 「事情があるのだ」
 「事情、か。残念だが俺には魂の名を明かした主がいる。そういうつもりなら諦めろ」
 彼にはアスナの言っていることが信じられなかった。この青年はもしや、偽名を使った自分が誰なのか知っているのだろうか?司祭はアスナをただ暫く見つめていた。
 「其方の情報網でも俺の名を捉えることはできない。俺の主はそこまで無能でも迂闊でもないからな」
 「……では、其方の主の名は?」
 「ロスタフィーノ」
 返答に困る彼を嘲笑うかのような表情を見せてアスナは更にこう言った。
 「其方の過去の友人の名なのだろう?」
 「脅迫か?」
 「そうとも言える。俺の主は、俺が其方と度々接触する天数を持っていると知った上で俺を使っている。流石の司祭と雖も天数から完全に逃れることはできないようだ」
 「……ロスタフィーノではなさそうだな、其方の主は」
 司祭はアスナの左目の色が変わっていくことに気づいた。茶色だったそれは少しずつ深い藍色になっていった。その様子を見られていることは承知でアスナは目を背けようとはしない。
 「其方が見ての通り、主と俺は左目で繋がっている。ここで俺を消しても無駄だ」
 「だが其方も其方の主とやらも俺をここで殺すことはできまい。天数はそう告げているだろう?」
 司祭は皮肉を込めてそう言ったが、アスナはそれに動ずることも応じることもなく冷めた笑みを浮かべる。
 「上々だ」
 「主に伝えておけ。誤解されたくないのなら帰って来い、と」
 「その言葉自体が誤解している証拠だな」
 アスナはすっと体の向きを変えて歩きだし、間もなく彼の姿は行き交う者に紛れて遠くに消えていった。


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あきゅろす。
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