火炎龍と狼(仮) (煌鷹)
第一章:漆黒の翼
ファイヤードレイクが砦に戻って二日後の深夜のことだった。月はとうに沈んでしまい明かりとなるのはいくつかの部屋から漏れる灯りと微かな星の光だけである。ファイヤードレイクの居室にもまた灯りがついていた……しかし彼は起きてはいなかった。彼には珍しいことではあるが、考え事をしているうちにいつの間にか眠りに落ちていたのである。突っ伏している机の上で揺らめいている蝋燭はかなり短くなっていた。
そんな静かな夜に一羽の烏が、門を任されている戦士ロハゴスの後ろに音もなく降り立った。
ロハゴスがいくら優秀な戦士であるとはいえ、一切の羽音を立てず接近した烏に気付くことのできるはずもなかった。烏はすうっと人型を取ると手を伸ばして戦士の口を塞ぎ一言唱えた。
「眠れ」
ロハゴスは抵抗の間もなく地面に崩れ落ちた。
「どうした?」
それに気付いて彼に声を掛けた相方の門番も、その答えを聞くことなく同様に眠らされてしまっていた。それどころか彼らの周りにいた戦士たちも次々と抗えない眠りに落ちていく。侵入者を報せる者は無かった。そう、狡猾な侵入者は予め、櫓で見張りについていた者も術にかけておいたのだ。
彼は閂を内側から外し、少し遠くで待っていた仲間達を砦の中に入れた。砦の中でただ一人、門から一番近いところに寝起きしている「斬り込み隊長」のキヌスだけがその音に気付いた。
(こんな真夜中に門が開くとはどういうことだ?)
キヌスは眠い目を擦りながら剣を持って外に出た。用心するに越したことはない。辺りを見回すと幾つかの人影があった。彼らは互いに何かを伝え合いながらそろそろと研究室のある建物の方へ近寄っていく。
(夜にはあそこにめぼしい物はないんだがなぁ)
非番で眠っている他の戦士たちを起こしに一度宿舎へ向かい、彼らに侵入者のいるであろう研究室へ行かせるとキヌスはその足で指導者の部屋へ向かった。
灯りが点いている。
キヌスは主を起こす必要の無いことに安心しながら何度か扉を叩いた。しかし返事は無い。何度同じ事を繰り返しても一向に反応が無かったので彼は仕方なく扉を開けた。
ファイヤードレイクはこちらに背を向けて眠っている。
しかも運の悪いことに、丁度キヌスが声を掛けようとしたときに蝋燭が燃え尽きてしまった。
「あ」
蝋燭の持ち合わせなどあるはずもない彼は仕方なくそのまま記憶を頼りにファイヤードレイクに近づき、軽く肩を叩いた。だが次の瞬間、彼は背後から何者かに剣を押し当てられていた。
「動くな」
凄みのある声だ。
「俺がここに近づいたと気付いた途端に灯りを消すとは大した奴だな、ファイヤードレイク」
キヌスは直ぐにその言葉の意味と相手の誤解に気がついた。成程、敵はこの自分がファイヤードレイクだと勘違いしているのだ。彼は暗闇の中で一人ほくそ笑む。
「俺をどうしようというのだ」
「仕事が済むまで大人しくしてもらう」
首元に剣を押し当てながら大人しくしろ、など何とも愉快なことを言う、とキヌスは笑い出しそうになるのを堪えていた。そして二人の声に目を覚ましたのだろうか、キヌスはファイヤードレイクが右手の下で僅かに動いたのを感じた。
「そうだ、グレイジル様はどこにいる」
「グレイジル?そんな名前の者はここにはおらぬが」
「とぼけるな。スレイプニルと名乗ってここにいる筈だ」
ファイヤードレイクが自分の足を軽く蹴ったようだが意図が分からない。仕方なく彼は話の先を促した。
「スレイプニルがどうしたというのだ。グレイジルを探していると言ったな、人違いだろう」
「容貌が酷似しているとの話だ。正直に答えろ」
キヌスはスレイプニルのことをよく知らない。そもそもグレイジルが誰なのかすら分からないのだ。そろそろ自分がファイヤードレイクでないことを白状すべきだろうか。
ファイヤードレイクが再び彼の足を蹴る。キヌスの体が少し揺れて侵入者に気付かれてしまった。
「そこに誰かいるのか」
キヌスは言葉に詰まって黙りこくった。
「答えろ」
「其方は俺を探しに来たというのか?」
ファイヤードレイクが低い声を使って言った。どことなくスレイプニルと似た声である。何度か自分を蹴っていたのはこれを狙っていたからなのか?
「父上が俺を探していると聞いた。とすると……」
「ここにいらしたのですね。覚えておいでですか?レイヴンと申します」
「無論だ。漆黒の翼レイヴン」
キヌスの首から剣が離された。レイヴンという者が〈ペガシス一派〉にいるということは同じ武人としてキヌスも知っている。
「何としても連れ帰るように、とのご命令でした。少々の無礼はご勘弁頂きますよ」
「俺に戻るつもりはない」
「そうも言ってはいられません……ファイヤードレイク、グレイジル様は返してもらう」
再びキヌスの首に剣が押し付けられた。そしてレイヴンが「眠れ」と唱えた瞬間から二人の記憶は残っていない。
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