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残る爪痕 血脈の果て (薩摩和菓子)完
「異形」
周りの景色が風のように流れていく。全身が強風を感じる。まるで突風が自分以外の全てを後ろで吹き飛ばしているかのように。
否。まるで自分が突風になったかのように。
視点が低く、小刻みに上下している。障害物を視界に収めたまま足元を見ると、長い物体が左右交互に突き出されている。それを見て初めて、己が走っているのだと理解した。それまでは疲労感や思考が霞掛かり、己の状況を把握出来なかったのだ。なるほど己は走っている。しかしそれは走りとは似て非なるものだった。体力の効率を考え腰を上げて走るはずが、一歩一歩に掛けられるだけの負荷を掛けようと屈み込んでまで腰を下げ、インターバルを増やしている。足はそれに応え、地面をほとんど横に蹴る。体が地面に落ちないのは、超人的な速さで二の足を踏み込んでいるからだ。
そう、彼は超人だった。少なくとも人では無かった。では何が彼を人外たらしめているのか。彼の両手首にそれぞれ五本食い込んでいる爪だった。彼がトースの洞窟で対峙し、「直線」と形容した物だ。それが箱の戒めから解かれたとき、王族の始祖、テラが手にした神器となり、アラシュに取り付いた。彼は知らない。何故それがアラシュに取り付くのか。しかし爪は知っている。それはアラシュが誰よりもテラに近しい存在だからだ。


書斎には、椅子が二脚、向かい合って置かれていた。一脚には部屋の主、ミュールドが座っていたが、もう一方は空である。しかしミュールドは語った。もう片方の椅子に、そこに座るものに向かって。
「テラは今、爪と共にあります。そしてエレは決戦の地にて、貴方の復活を見届ける事が出来ます。全てが貴方の御意の儘に進んでおります。復活の日は間近です」


アラシュの目前には惨状が広がっていた。大砲に破壊された家屋、麻酔の副作用で心停止したガゼルの死体、そしてガゼルを非情に追い立てる無数の帝国兵。ダクラは、何処だ。既に逃げたか、既に運ばれたか、既に死んだか。分からない。しかし今の彼に出来る事が一つだけ分かった。
アラシュは上体を下げると、帝国兵に向かって駆け出した。それを帝国兵は迎撃するが、一発も彼には当たらない。否。彼は全ての銃弾を避けているのだ。鋭利に研ぎ澄まされた彼の神経は、全ての銃身の向きを察知していた。銃弾の軌道を予測しながら前進していたのである。それは接近と防御を両立させた、無駄の無い動きだった。最低限の反応で銃弾がその脇を通過する。実際彼の移動速度は非戦闘時から全く落ちていなかった。
彼は平野を縦断し、前線に肉薄した。彼が新たに手に入れた、幾千もの時を経て取り戻した体の一部を振るう。五本の刃が兵士と兵器に迫り、減速する事無く切り裂く。空間に五つの平面が描かれ、彼の周囲がシュレッダーに掛けられた。血の雨と麻酔の霧が降り、人と機械から薄切りのハムとスクラップが生み出される。その間も銃軌道を常に避け、流れるように標的を切り替える。
それは異形の刀による剣舞だった。足運びは軽く、全ての動きが計算された洗練さで運ばれる。誰も彼の舞を止める事は出来ない。それは死神の舞だった。人間に干渉する事など許されない、神聖な領域。
そして静かに舞は終わる。それを観ていた者は全て肉塊と化していた。
アラシュは標的を全て破壊すると、今までの疲労で意識が途絶した。

彼が最初目にしたのは、石造りの堅牢な天井だった。遅れてそこがガゼルの小屋だと分かった。
「どうだ。麻酔の所為で頭が痛いとか無いか。何せ三日間も眠り続けていたから。あと私の名前はアンドレだ」
上から覗き込む男の虹彩は赤かった。平野付近に住むガゼルだろう。
アンドレは彼を、帝国兵に回収されなかったガゼルと思って自宅で寝かせていたらしい。都合が良いので誤解は解かないでおく。
「ダクラが近くの村に来ていましたよね。彼女の消息を知っている者はいませんか」
 あのような激戦区から帰還した者は彼ぐらいしかいないだろうが、駄目で元々と聞いてみる。
「ダクラ姫」
 相手の確認に、相槌を打つ。
「遺憾だが、姫は帝国の空中砲台に連れて行かれた」
 まだ遅くは無かった。兵器として利用されるという事は、利用するまでは殺さないという事だ。
「あの平野に行って、生きていた者が私以外にもいたのですか」
 情報源について訊ねる。
「途中で戦場から逃げて、隣の村で拘束された帝国兵がいた。今の情報はそいつから聞き出した。前線にかなりの被害を与えられたのでよく覚えていたそうだ」
 彼が懸念していた通り、彼女は戦線に突っ込んで捕らえられたようだ。
「にしても何故、それまで押していた帝国軍は壊滅したのかね。脱走兵は、ガゼルでも人でもない化け物に襲われたと言っていたが」
 それはアラシュの事に違いない。未だに自身が異形となっていた事が信じられないが、自身の起こした行為は認めなければならなかった。
 それに、今も爪は彼と共にある。手首には五つの爪痕が残るだけだが、彼は腕の中に「今まで自分に無かった何か」の存在を感じ取る事が出来た。
「私がその化け物だといったら驚きますか」
 自虐的に訊く。しかしアンドレの返事は予想していなかった。
「もし仮にそうなら、お前はガゼルの守護神さ。帝国の魔の手からガゼルを守ってくれたのだから」
 さも嬉しそうにアンドレは言った。
それは違う。あの時彼が為した事は、ダクラに危害を加えられた怒りと虐殺への愉悦による支配の産物だった。寧ろ、前線で敵兵を切り刻む彼の頭を占めていたのは後者である。肉を引き千切る感触、吹き上がる血飛沫、飛び散る肉片、寸断される叫び。その全てにアラシュは悦楽を覚えた。血液を全身に浴びながら、彼は笑っていた。それは間違いなく彼の底から湧き上がる感情だ。彼の今まで目を背けてきた部分だ。それを強大な力の獲得と同時に発露してしまった。
本末転倒ではないか。助ける為に振るった刀を、私は殺す為にしか使っていない。それは自身の愚かさだ。だから使う時を誤ってはいけないのだ。
アラシュは異形の力を、ダクラを助ける以外の目的には使わないと、強く心に誓った。

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