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残る爪痕 血脈の果て (薩摩和菓子)完
「芋虫」
あのような事を、他ならないアラシュの前で話しても良かったのだろうか。彼に関する部分は全て省いたが、薄々彼はそれが自分に関する事であると感じ取っていたのかもしれない。
ハイルドは一人、居間の椅子に身を委ねていた。アラシュには複数ある空き部屋の一つをあてがっておいてある。再び、三十年の間そうであったように、居間は静寂に包まれたていた。しかし来訪者の痕跡は遍在している。
振る舞わられた料理の皿。
玄関に揃えられた(やったのは彼だが)泥だらけの靴。
 全てが今日の出来事を物語っていた。しかしその経緯は未だ分からずじまいだ。
 何故アラシュはここを訪れたのか。彼の所在を知るのはミュールドだけだが、アラシュはそのミュールドを遠ざけていた筈。第一、アラシュがニルシュト家との縁を切った原因がそれなのである。
 もしくは、何か時期的な要因が二人を再会させたのか。一ヶ月前にガロレイドが組織した部隊がトースに侵入し、撤退した。その部隊には傭兵が一人いたと聞く。もしもそれがアラシュだとしたら、ミュールドは部隊名簿からアラシュの足取りを辿ったのか。未だに疑問は残るがそれ以外の説は思い付かなかった。
 少し肌寒くなってきた。間にあったソファ越しに暖炉に目を遣る。火の勢いが弱まっていた。どうやら溜まった灰を長時間取り除き忘れていたようだ。話に没頭していた事に初めて気付く。彼は暖炉の横に立て掛けてあった火掻き棒を手に取り、灰を取り除こうと先端を灰に沈めた。しかし先端は二センチ程埋まるだけですぐ底に当たる。灰が局地的に固まっているのだろうか。周囲を掻き回すが、どこも積もっている灰は薄い。違うようだ。原因が分からないまま灰を掻き回し続ける。
 火掻き棒越しに、場違いな弾力が伝わった。ハイルドは息を呑む。灰の中に見慣れない物がいる。ずんぐりと太い芋虫だった。首には太い毛髪の様な黒い刺が生えている。頭と尻にそれぞれ嘴、針状の突起が突き出ている。それが胴をうねらせながら移動していた。先端が当たるとその先から青い液体がこぼれ、すぐに凝固する。ハイルドは気味が悪くなった。灰とまとめて芋虫を慎重に取り除こうとする。しかしその行為は新たな闖入者に遮られた。
 また芋虫である。上から落ちてきて、火掻き棒の上、彼の手から拳一つと離れていないところだ。驚愕の余り火掻き棒を手から落とす。それは灰に落ち、土煙が上がった。少し気管に入り込み、思わず咳き込む。彼は暖炉から後ずさった。
何かが起こっている。あの暖炉で。しかし何が。
 わざわざ現地まで赴いて神話を蒐集してきた現物主義の血が差沸いたのだろうか。この目で確認しないといけない。言いようの無い好奇心は恐怖心を凌駕し、ハイルドを焦がした。
 少しずつ暖炉に近寄る。二匹の芋虫が嫌でも目に入り込んだ。そして彼は気付く。火が消えているのは芋虫がその上を歩いた部分なのである。そして芋虫は火を消すとほんのり夕日色に染まる。
まるで火を喰らっているかのように。
暖炉に手が届く所まで来た。どうしようか迷う。上から落ちてきたのだから、上を覗くしかない。しかし狭い暖炉に頭を突っ込む事は躊躇われた。何かないか。辺りを見回す。
視界の隅に小さなスタンドの付いた鏡を見付けた。これだ。彼はそれを手に取る。斜めに傾けながら暖炉の中に入れた。鏡に反射した光が彼の目に飛び込む。
居間の天井、暖炉の縁、そして、
煙突に這いつくばる、無数の芋虫。彼の目と、下を向いたその歪な目が合う。その複眼に自身が無数に写っている気がした。
 彼は急激に後ずさった。背中を傍のソファに叩きつける。はずみで鏡を落とした。それは幾筋にも割れ、小さな破片となった。天井に下がったランプの光は八方に散る。
 ドアがノックされた。ハイルドは腰を上げ、ドアに向かう。暖炉は消えているが、そこは我慢してもらおう。そもそもこんな夜遅くに訪ねる方が悪い。
 それにしても、今日は客が多い。
 彼は閂を外し、ドアを開けた。ドアは肩幅余りしか開かない。一ヶ月程前から蝶番が馬鹿になってしまったのだ。実生活に支障がないので、そのままにしている。
「やあ、研究の進み具合はどうだい」
 ミュールドだった。ミュールドと会うのは何十年ぶりだろうか。ハイルドの知っているミュールドとは違い、今彼は首筋を隠していない。
「お久しぶりです」
 再会の挨拶を口にしながら、頭を下げる。視界が自然に下を向き、ミュールドの足下が目に入った。
 一体何度目だ。芋虫が玄関に向かって前進していた。何匹も、である。
 ハイルドはミュールドに、何か得体の知れない物を感じていた。アラシュの来訪にせよ、芋虫の事にせよ、不自然なことが立て続けに起こり過ぎていた。
「中に入れてくれ。火が消えていようと、いくらかは外より暖かいだろう」
「ええ、まあ」
 言いながら振り返ると、丁度最後の灯火が芋虫に喰われていた。暖炉はドアに遮られ、外からの死角にある。ハイルドはミュールドの言動に悪寒を覚えた。しかし彼は指示に従った。脇に退いて、狭い入り口を開ける。ミュールドは肩を傾け、山小屋に入った。
「やはり消えていたか」
 居間に入ると、ミュールドはさも当然そうに発言した。更に違和感が増大する。
「椅子に座ってくつろいでいて下さい。お茶を入れてきます」
 ハイルドは一番ドアから遠い席を示し、足早に台所へ下がる。振り帰り際、ミュールドのズボンの下から芋虫が床に落ちた。
「そういえば、アラシュは来ていやしないか」
 背を向けるといきなり、質問された。思わず立ち止まる。ハイルドは、自身でも意外な事に、パトロンに真実を打ち明けようか迷った。明らかに今日のミュールドは変だ。ズボンに芋虫を忍ばせるなど正気の沙汰では無い。
 そのミュールドはアラシュに一体何の用があるのだろうか。見た限り、アラシュはミュールドに懐柔された様子は無い。きっとミュールドの来訪はアラシュにとって不都合に違いない。
何より、ハイルドはアラシュをミュールドに会わせたくなかった。
「いいえ。来てはいませんが」
「そうか」
 声が震えていないか心配だったが、どうやら切り抜けたようだ。
 ハイルドは茶を用意しながら、数々の違和感を検証した。
アラシュの来訪。これは想定外ではあるが、問題では無い。
アラシュに続くかのような、ミュールドの突然の来訪。一体どのような目的なのかは分からないが、ズボンの下から芋虫を落とす時点で異常かつ危険である。
蔓延る芋虫。特徴は首の棘、尻の針、頭の嘴と見られる突起である。世界各国で見かけるが、本来あまり海や人家に近寄らないはずだ。それが我先にとこの小屋に押しかけている。
待て。棘、針、嘴を持つ芋虫を落とす男。これはガゼル神話に登場する王家の始祖の事ではないか。始祖は彼のみが適合できる「爪」を使い、王族の砦を巨岩の内側から削りだした。彼はそこで餓死を遂げている。彼が生前に残した子孫の内、娘は後の王族となり、息子は人間の世界に人間として溶け込んだ。それは娘が「爪」と適合できないながらも、始祖に準ずる身体能力、交感神経を有しており、息子にはそのどちらも無く、知能と道具を扱う技能以外の全ての能力が人間の範疇に漏れないものだったからである。
これは王族の起源に言及する神話だが、同時に今ではどこにでもいる芋虫の発祥を物語ってもいる。その中に、始祖が巨岩を削りに行く道中を後で確認すると、そこには今まで見た事も無い芋虫が、丁度始祖の辿った道筋をなぞる様に蠢いていたという記述があるのだ。
問題はそのときの始祖の精神状態だ。彼は見かけた人間を全て惨殺したと記録されている。もし現在ミュールドがそのときの始祖と似たような精神状態にあるならば、ハイルドとアラシュは非常に危うい状況に立たされている事になる。いつミュールドが襲ってきてもおかしくないのだ。
ハイルドは決心した。己の保身は二の次だ。今はアラシュだけでも逃がさなくてはならない。
しかしこの状況でどうやって。アラシュにあてがった寝室は二階、丁度台所の上にある。二階への階段は居間から続いている。従ってミュールドに察知されずに二階に行く事はできない。無論大声を出すのも慎まなければならない。
恐らく寝ているであろうアラシュを起こし、どこか遠い所、例えばオルス港まで逃げるように伝える方法。それを考えあぐねていると、調理台に置かれたゴムの実が目に付いた。
台所と二階の客間は同じ場所に窓がある。その向かいには大木が立っている。台所の窓は縦横二十センチ程、だが、客間のそれは十分に人が通り抜けられる大きさだ。起こされたアラシュに窓から下りるよう手振りで指示すれば良い。
それ以前に、物を正確に投げる事が出来るかわからないが。
我ながら子供染みた考えとは思いながらも、試しにやってみる気になった。この方法なら居間を通らなくて済む。傭兵であるアラシュなら手荒に起こされても大声を挙げる様な不注意はしないだろう。幸い窓はベッドの枕付近にある。窓を通り抜けた実で彼が目を覚まさないはずが無い。
仮にもうまくいけば、不都合は何も無い。駄目で元々。失敗したらまた別の案を探そうと頭の隅で考えながら、ハイルドはゴムの実を仰角大きめに、大木に向かって投げつけた。
期せずして、大木に反射した実は吸い込まれるように客間の窓に入った。

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