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残る爪痕 血脈の果て (薩摩和菓子)完
「学者」
 哄笑が収まったアラシュは一先ず額の傷を止め、洞窟を後にした。出掛けに入り口のレバーを反ねじ回しに回すと、岩は二枚とも横にスライドして入り口を封じた。これでこの洞窟は王族内部の者が再び訪れるまで砦を守り続けるだろう。
 アラシュは洞窟内の事は一先ず忘れ、道を急いだ。陽が既に没していたからだ。今までと同じく慎重に、かつ着実にオルを進める。
 幸い二番目で最後の観光地「スハイレル=クラルムントの家」は洞窟からさほど離れておらず、直ぐに着いた。それはこぢんまりとした山小屋だった。円錐型の屋根から煙突が突き出し、暖炉でも炊いているのか、その煙突は黒煙を吐き出していた。一応ガゼル文化の建築技法に則っているようには見える。
人ならぬ身体能力を持つガゼルにとって建築の基本理念は先ず丈夫さなのである。住み心地やデザインも、丈夫さの二の次という事になっている。ガゼルにとって全ての物質は人間が体感する以上に脆い。人間の住むような建築物では普通に生活するのも大変なのであろう。
 アラシュは堅牢に石が詰まれた山小屋へ近付き、どっしりとしたドアにノックする。少し経つと、重厚感溢れる音を響かせながら、これもまた石を削り出して作られたドアが内側から開かれた。やっと肩が入る程度の幅でドアは止まる。どうやら蝶番が馬鹿になっているようだった。そこから白髪交じりの男が顔を出す。男はアラシュを見るなり、目を大きく見開いた。そのなりのまま、何も言わない。ただアラシュの顔を凝視し続ける。
 男の驚き方にアラシュも混乱してしまうが、相手がどのような反応をしようと、彼には男と会談するという目的があった。それに外は寒いので中に入りたいという基本的な欲求も彼を動かした。ポケットから案内書を取り出し、父の署名を提示する。
 すると相手は合点したようで、アラシュを小屋に招き入れた。
「どうぞお入り下さい」
そういって男はアラシュに背を向けた。背後で男が呟いたのを彼は聞き逃さなかった。
「ミュールド。このような形で俺とアラシュを会わせるとは」

居間には中央に向かい合った二つのソファ、その間に円卓、壁沿いに本棚があるだけだった。少し狭いが暖炉の効きが良く、凍えていた四肢が直ぐに温められる。
「私はただの神話学者だ。各国の神話について話す事しか出来ない。その私にわざわざ会いに着た貴方は何者であるのか、教えて頂きたい」
 スハイレル=クラルムントは謙虚な話し方をする男だった。姿勢も全く歪みがなく、厭味も無い。極めて自然体だった。自身の『学者』という肩書きについても無闇に持ち上げる事はせず、あくまで対等の立場で語ろうとしていた。
「私はアラシュ=マーセナル。雇われ兵です」
 アラシュもスハイレルの気持ちに応えようと、可能な限り丁寧に返答する。
「ではアラシュ殿。貴殿は私と何を話しにいらっしゃった。わざわざこのトースの辺境まで」
 男に来訪の理由を尋ねられる。答えを用意していた訳では無いが、既に腹の中は決まっていた。
「私はただ、王族について、ひいては自身について知りたいのです。王族はいかにして現れ、自分はその流れのどこにいるのか」
 アラシュの言い分を聞き、男はただ「そうか」と漏らした。そしてゆっくり、諭すように語り始めた。
「アラシュ殿。少しその事は忘れてみないか。王族の歴史は長く、そして深い。彼らは神話と共にあったのだから、至極当然のことだ。そしてそれは一人の人間に負えるような話ではない。
貴殿のような境界線上に立つ者は特にそうだ。
私のようにただ紙と向き合う者は、貴殿より更に頼りない。
私などを頼ったところで何も変わらない。しかし貴殿はまだ変えられる。変われる。選択肢がある。諦めるという選択肢と、無謀に関わり続けるという選択肢が。
さあ。貴殿はどちらを選ぶか」
スハイレルの思慮深さには感嘆の念を抱いたが、アラシュの心は既に決まっていた。
「私は、王族の過去を紐解く事を望みます。たとえそれが苦難に満ちたものであろうとも」
 アラシュの返答に、男はまた「そうか」と呟いた。
「貴殿の志が代わらないのであれば、私は貴殿に私の持てる全てを託そう。神話を紐解く事しか私には出来ないが、それでも良いか」
 アラシュは静かに肯定した。
「はい。神話について、教えて下さい」

 世界各国には様々な形態の様々な神話がある。しかし全ての神話には多くの共通点がある。その一つが、全ての神話には必ず神器と強大な怪物が登場する事だ。
強大な怪物は神器で倒され、神器は強大な怪物から生まれる。全ての神話には多かれ少なかれこのパターンがある。
例えば、ノメイルでは九首の龍と剣、トースでは山嵐と爪、トスキールでは蜂と槍、ネーズルでは鳥と盾、と言った具合だ。

二重の円を中心に二対の翼、下から二本の直線が延び、交差する。これはホーキョク、カカミ、爪に共通して刻まれている紋章だ。ホーキョクの紋章は少々歪だが、一応同じものと見なせるのでここも同列に語る事にする。またこの紋章は、海外で神器と評されているものにも、些か変形はしているものの、刻まれている。全ての神器には何か、製造時点で共通項があったに違いない。もしかしたら銘のようなものなのかもしれないが、断定は出来ない。

全ての神話に共通する要素だけしか持っていない神話。それがガゼル神話だ。逆に言えば、ガゼル神話は全ての神話の根源、言わばパクリ元に一番近いものと思われる。そのガゼル神話には合計五つの神器があると書かれている。これは明らかに世界各国の神話に登場する神器の総数よりも遥かに少ない。仮にノメイル神話の三種の神器が本当ならば(実際ホーキョクとカカミの存在は確認されている)、爪と合わせて四つ。後一つしか神器が無い事になる。しかし具体的な名前や形状が紹介されているのは『爪』という神器だけで、他の三つの神器についてはその存在が示唆されている事しか分からない。

これが、神話学者スハイレル=クラルムントの最後の講義だった。
「最後に、一つ聞いても良いですか」
 思わず疑問に思ったことを聞く。
「何だね」
 それはスハイレル自身の事だった。
「貴方は何故ミュールド=ニルシュトの世話になり、このトースで暮らしているのか」
「そんなことか。これはくだらない男のくだらない話だ。比較神話学者と名乗っただろう。昔は神話収集の為なら戦場にも出向く程に、男は学問に没頭していた。しかし三十年前に発表した論文がノメイル政府に有害と見なされ、追放を言い渡された。そこで男は追放先にトースを選んだ。ノメイルでの追放の仕方は、猶予を与えた後で全ての州に指名手配するというものだった。今は違うが、当時はそうだった。だから男は浅はかにも思った。人間に統治されていないトースに移り住んでも法には触れない。それにトースには未だ収集した事の無い多くの神話が眠っていると。
男はノース城に駆け込み、ノスタリオール=ニルシュトに対して、ニルシュト家がガゼルの王族であることを仄めかした。二百年前のトース条約締結は人間側の立会人であるモルタイン=ニルシュトがガゼルの中の長でないと成立し得ないという事を根拠にして、だ。男は事実を口外しないこと、ニルシュト家にあるガゼル神話やその他の資料を分析する事を条件に、自分のスポンサーになってくれないかと持ち掛け、以外にも快諾された。
以後、五年間ほど男は城内で学問を続けた。時折ミュールドの家庭教師をする事もあったが、それを除けば自室に篭もって資料と格闘していた。男はその暮らしに満足していたが、ある日転機が訪れた。ミュールドに紹介されて、週に一度ノース城を訪れるネソリア嬢と会話するようになったのだ。男とネソリア嬢は直ぐに仲良くなり、会う毎に親密さを深めていった。男は幸せだった。
しかし、男の幸福は長くは続かなかった。ネソリア嬢は彼女が嫌っていた男の伴侶になり、その翌年の出産直後に亡くなった。元より永遠に続く幸福など無いのは当然だったか、終焉はあまりに唐突だった。
男はあまりのショックで、城にいること自体が耐えられなくなり、城から離れたこの小屋で研究を続けた。彼は研究をしている間だけあらゆる煩悩を忘れる事が出来た。結局、研究は男の逃げ道でしかなかった。先ほどまで話していたことも、本棚に詰まれた論文も、彼にとってはただの気紛れの副産物だった。
さあ。これで話は終わりだ。夜も深いし、今夜はここに泊まりなさい。気兼ねはいらない。私の話に付き合ってくれたお礼と思ってくれれば良い
あと、スハイレル=クラルムンドは論文を書くための、いわゆるペンネームだ。本名はハイルド=ドカルノセレムル。何と呼んでも構わない。一応ミュールドには名前を呼び捨てされているから、その方が違和感が無い」
最初から最後まで冷静に物語った男の目は、深淵を湛えていた。

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