[携帯モード] [URL送信]

残る爪痕 血脈の果て (薩摩和菓子)完
「細工」 
目前が濃霧から岩に変わった。最初の目的地に着いたようだ。しかし依然視界を占める乳白色は変わらなかった。青みがかってすら見える岩肌はこの場において迷彩色を為している。方位磁針が一度でも狂っていたら、詳細な行程が示されていなかったら、決してここを見つける事はかなわなかっただろう。気付かず素通りしてしまうか、見当違いの場所を探索してしまうか。その何れかになっていた。
目を凝らすと、この岩で唯一この風景から浮きだっているものが見えた。表面に付着した幾本もの黒い筋。恐らく腐敗した血液。ここで繰り返された惨状が容易に想像できた。
再び案内書を取り出す。この先は王族の砦。入り口は重々しく隙間の無い一枚の岩で厳重に守られている。案内書によると、岩は口伝でしか伝えられる事の無い手順に従わないと退かす事が出来ないようだ。しかし彼は五歳の頃にあの男の前から姿を消している。だから今まで手順を教えられた事が無かった。
その教えずじまいだった筈の手順がこの案内書の中に記載されている。この事も彼がこの案内書に抱く疑問の一端だった。
しかし幾ら思案しようとも、彼は答えを見つけられなかった。元より見つかる事を期待すらしていなかった。結局、彼にニルシュト家の人間の考えている事など理解しようが無いし、彼自身、理解しようとも思わなかったのだ。彼自身がニルシュト家の末裔ではあるが、彼はそれを努めて考えないように、思い出さないようにしていたのであった。
それに、当ての無い思案よりも本来の目的である観光に今は徹するべきであろう。それにここはただの観光場所ではない。
彼は案内書に目を移し、手順をなぞる。
まず、岩付近の地面を三十センチほど掘らなくてはいけない。彼は事前に手順を確認し、ノース内の武器店で見付けたシャベルを持参していた。鍬としても使えるようにと考案された物で、柄と刃の取り付け部分が回転し、折り畳みが出来る優れものである。彼は早速組み立てた。そして朧気な視界の中、岩の下にそれを振り下ろした。シャベルの先が濃霧を切るのを視認する。このとき彼は土にシャベルが食い込む感触が返ってくるのを予想していた。しかし帰ってきたのはシャベルが弾かれる感触。それに遅れて硬いもの同士が打ち合う音も伝わってきた。何度も試したが、反応は変わらない。不思議に思って振り下ろした先に屈み込むと、原因が判った。砂利や小石が魚の小骨のように混じり、シャベルの進行を妨害していたのだ。それに土は土で、長年の岩の重量で固められている。この地盤は掘るのに向いていなかったのである。
本当にこの行為に意味はあるのだろうか。
霧の篭もる森の中で一人、大して掘れもしない地盤にシャベルを突き立てている事の意味を彼は疑った。しかし直ぐに、掘らなくてはならない、という半ば使命感にも似た感情に駆られた。
彼にはトースから逃げる直前の記憶が無い。記憶が残っていないのは、少年だった彼の精神には受け入れがたい何かを知ってしまったので、それを抑圧し、忘却してしまったのではないか。そして、その受け入れがたい何かというのは、ニルシュト家の血筋に関する事柄ではないか。彼はそう予想していたのである。
ニルシュト家。その血筋には何か、常の理では説明出来ないようなものが潜んでいるのではないか。
呪い。古来の者が唱えるそのようなものと、あるいは似通っているのかもしれない。それを無意識に察知し、幼年の時、逃げたのかもしれない。
彼はこの奥に今まで謎に包まれていたニルシュト家の起源が隠されていると踏んでいた。今まで自身の出生について知らないままにしてきたが、ダクラという少女に出会ってから、彼はそのスタンスを変えようと思った。過去を忘れる事で縁を切ったつもりになっていたが、ただ避けるだけではいつまでもニルシュト家の影が彼を見逃さないという不安が彼を蝕むようになっていたのだ。
疑問を頭から消し去り、彼は再びシャベルを振るった。シャベルを地面に突き立てるのをやめ、少しずつ、小石を掬いながら地面を削るような掘り方に変える。すると、少しずつながら着実に穴が深くなっていった。
そのようにして掘っていくと、シャベルの先が小石以外の硬い物に当たる音がした。穴のヘリを左手で掴み、音の在り処に屈み込む。周辺の土を右手で掻き出すと、明らかに人工物と判る、手の平ほどの大きさの半円形が岩の下に張り付いた形で覗いて見えた。彼はその半円形を掴み、反ねじ回りに回す。すると彼の期待通りに半円形は外れた。半円形の後には奥と手前の二方向に可動な一本の棒が取り付けられてあった。その棒にはD型の持ち手がある。半円形はレバーを覆うための物だったのだ。彼は半円形を穴の外に置き、持ち手に手をかける。しかし奥にも手前にも動かさず、持ち手をねじ周りに回転させた。それが案内書に書かれてあった手順である。
耳元で数多の歯車が金属音を奏でる。下から仰ぐ目の前で、慄然と佇んでいた岩が荘厳な音を立てて左にスライドした。岩が半ばほどまで移動すると、奥でまた別の岩が右にスライドしているのが見える。入り口の上部に目を転じると、そこには手前の岩を押し出す機構があった。その機構は倒れた岩を戻すためのワイヤーで手前の岩と繋がっている。
レバーを動かせば岩は手前に倒れる。しかしその先には別の壁があるから依然洞窟には入れない。
レバーを回せば岩は二枚とも横にずれる。
D型の持ち手が付いたレバーを見れば動かしてしまう。これはその心理を逆手に取ったブービートラップだったのだ。趣味は悪いが、効果は抜群と思われる。何よりも岩肌に付着した血液が果敢な挑戦者達の凄惨な成れの果てを雄弁に物語っていた。
ここで命を失った多くの挑戦者を偲びつつ、アラシュは洞窟の中に入っていく。年中温度の変わらない洞窟の空気がアラシュの体を包み込んだ。

[*前へ][次へ#]

4/11ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!