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爪切り(くれとー)完
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 手の中で爪切りを弄んでいる女を眺めていると、会話が途切れるのがなんとなく惜しくなって私は女へと一歩歩み寄った。
――明かりもないのに、手元は狂わないのか。
――夜目は利きますゆえ。
――だが、屋内で切った方が何かと便利であろうに。
――いいえ、ここでなくてはならないのです。
――それは何故。
 女はつぅと顔を上げると、私に向かって微かに笑った。
――私は道往く人の爪を切っているのです。
私は成程と、合点が行く気持ちで頷いた。それならば女がわざわざ往来で呆けたように座っていたのにも説明がつく。女は人が通りかかるのを待っていたのであろう。しかし、この通りは人を待ち構えるにはいささか静か過ぎた。下手をしたら一晩中人も通らないだろうに、と言うと、女はこともなげに答えた。
――それでいいのでございます。私は、日々の糧を得るために人の爪を切っているわけではありませんから。
 爪を切ることは怪我を防ぐ為に大切な日常の行為だが、普通自分の爪は自分で切るもので、他人に外で切ってもらうなど聞いたこともない。同じ体から伸びるものといえども髪なら鬘などに有効利用できるが、爪の切り滓はただ塵となるだけである。特に他人の爪など、叶うことならあまり触りたくない。糊口をしのぐためならいざ知らず、道楽として他人の爪を切っているとは随分物好きなことだ。
――ならば、どうして他人の爪なぞを切っているのだ。
――知りたいですか。
 問いかけられて、ふと言葉に詰まった。女は吸い込まれそうなほど深い黒の瞳で、私の瞳を直接覗き込んでいる。知らないほうが幸せなことも御座いますよ、とその瞳は訴えかけているようであった。真摯な光に戸惑いが芽生えたが、一旦口に出したことを取り消すのだけは避けたい、という一念で私は鷹揚に頷いてみせた。
――ああ、気になるとも。
――では、話しましょう。
 女は視線を手元に落とすと、爪切りの代わりに瑠璃色の小壜を手に取った。桜貝のような桃色の指先で小さな蓋をつまみ、目の高さまで持ち上げる。
――私は爪を食うのです。
 女が壜を揺すると、さらさらと音を立てて中に納められた爪の切り滓が踊るように跳ねた。三日月型のそれは、ガラスと同じ瑠璃色に染まってきらきらと光る。
――これは、以前ここを通った方々に頂いたものです。貴方と同じように、このような小さな道にも迷い込む方はいるのですよ。


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