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爪切り(くれとー)完
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夏になると、その男は天秤担ぎで水を張った盥をしょって街にやってくる。蓋をした盥の中には沢山の瓜が冷水で冷やされており、男
は道々歌いながらそれを道行く人に売るのだ。

甘い瓜 甘い瓜はいらんかね
ほっぺたが落ちそうになる 天下一の瓜だ
さあ 食べたことのある人もない人もいらっしゃい
冷えた冷えた甘い瓜だよ

「瓜をください」と頼むと、男はにっこりと顔をほころばせてまな板と包丁を取り出し、その場で瓜を一切れずつ切り売りするのである。
その男が売る瓜は本当に美味しかったので、街の子供は男が来ると小銭を握りしめて往来に飛び出したし、大人たちもこぞって買いに来て、いつも男の瓜はすぐなくなってしまうのだった。
だが、不思議なことに誰に聞いてもその男の本名も、どこからやってくるのかもわからなかった。男について聞くと、人は皆口をそろえて「いつの間にかやってきて、いつの間にかいなくなる」と言った。だから街の人々は男のことを瓜切りと呼んでいた。 

瓜切りがたまに現れる街に、その男の持ってくる瓜が大好きなある子供がいた。
子供は本当に瓜切りの持ってくる瓜の味が大好きだったので、毎日でもその瓜を味わいたいと願っていた。
だが瓜切りは、予告もなく突然ふらりと現れ、商品の瓜が売り切れるとすぐにどこかに帰っていく。
瓜切りが今度いつ来るかもわからないので、子供が瓜がほしい瓜がほしいとごねたって親はどうすることもできないのだった。
あんまりに子供がわがままを言うので、親は他の畑でとれた瓜を与えたが、こどもは一口かじっただけでこれは違うと無造作に投げ出すばかり。それほどまでに、子供は瓜切りの瓜の味に、狂ったようにとりつかれていた。
瓜売りがやってきたとき、その子供はためていたお小遣いを使ってたんまりと、両手で抱えきれないぐらいに瓜を買うが、その瓜はその日の内しか保たないから結局は一日で全部食べてしまう。そうすると、次に瓜売りが来るときまで瓜売りの瓜は味わえないのだ。そのことが子供にとってはどうにも口惜しかった。

あるとき、太陽が光で地上の人々を串刺しにしてしまおうとしているような炎天下の下、瓜売りがよく冷えた瓜を売りにやってきた。子供はもちろんそのときも沢山の瓜を独り占めにしていたが、そのとき不意に名案を思いついた。
瓜売りがどこから来て、どこへ帰っていくかは誰も知らない。だが、瓜売りが帰るところではきっとこの美味しい瓜がとれるはずだ。本当は、この瓜の生る種を自分の家に植えてみたいものだが、残念ながら男の売る瓜には種の影も形もない。だから、美味しい瓜の秘密を知るために瓜切りの男をつけてみたらどうだろうか。
それは、子供にとっては瓜切りの瓜の甘みにも似た甘美な誘惑だった。倫理的な観点から言って、人をつけ回すと言うことは悪いことだ。小さい頃からそう教わってはいたが、一旦そのことを考え出すと、それが何よりも名案に思え、いてもたってもいられなくなった。
瓜を食べながら物陰から瓜切りをじっと見張っていると、まもなく瓜は売り切れ、瓜切りは行きよりも軽くなった盥を肩に担いでえっちらおっちらと街道を歩いていく。残りの瓜を口に詰め込むと、子供も素知らぬそぶりで瓜切りにさりげなくついていった。
しばらくは順調についていくことができたが、瓜切りはゆっくりと町中を抜け、山へと分け行っていく。子供の頭に、親からきつく言い渡された言葉がよみがえった。「一人で勝手に山に入ってはいけません。神隠しに会いますよ」子供はそれを聞く度にさらわれる自分を想像して身震いをしたものだが、今回は恐れは微塵も感じなかった。親の言いつけを背く罪悪感より、神隠しに対する恐怖より、子供にとっては瓜切りの瓜に対する興味が勝ったのである。ごくり、とつばを飲み込んで、ためらいもなく瓜切りの後から山に入った。
男はゆっくりと足を動かしているように見えるが、その足取りは山の急な斜面でも全く落ちず、子供はついていくのに苦労しなければならなかった。ざあざあと音を立てて藪をかき分け、振り向きもせず歩いていくのでその点ではついていくのが楽だったが、袖の短い服を着ていた子供は藪をかき分けるときに鋭い刃先で何度も手足を切った。だが、その苦労もあの瓜の味を思い出せば何のことはない。子供は諦めずに男の後をついていった。
ひときわ険しい斜面を登りきったとき、さすがの子供も荒く息を切らして、ぜーはーと息をついた。人心地ついてからもう一度男を追おうと顔をあげたが、男の姿は影も形もない。子供はあわてて周囲を見回したが、あたりには獣道らしきものもなく、子供の肩ぐらいの高さの草がぼうぼうに繁っているだけだった。
 子供は途方に暮れて呆然と立ち尽くした。いったいこれまでの苦労は何だったのだろう。男の背中を見失ったという事実が認識されると同時に、心に不安が忍び寄ってきた。このまま引き返した方がいいのではないか。そう思って後ろを振り返ってみたが、後ろはきつい下り坂である。足を滑らせたら大けがは免れないだろう。下の地面をまじまじと見てしまったら、戻るのも怖くなってしまった。
 もう一度、男が行ったはずの方向に向き直ると、男が売る瓜の何ともいえない風味が口の中によみがえった。どうせここまできたのならば、追ってみるしかない。子供は勇気を奮い立たせて、当てずっぽうに草の中につっこんだ。
 それからどのくらい歩いただろう。足には肉刺ができ、草履のひもが一回切れたのでその場でいったん結びなおした。適当に草の中をかき分けで行くが、男の姿は全くもって見つからず、周りに満ちる音といえば風のざわめきばかりで鳥一匹虫一匹の姿も見ない。けれど子供は疲れている体を引きずってずんずん山の奥へと進んでいった。
 やがて、不意に視界が開けて子供は開けた場所にまろびでた。そこはまるで広場のようで、これまでのきつい斜面のさなかにあるとは信じられないぐらい平坦だった。起きあがってきょろきょろと見回すと、そこには大きな木が一本生えていた。大人が5人ぐらい手をつないでも回りきれないような太い幹から、空を覆うぐらいに広く広くたくましい幹が張っている。梢に生い茂る葉は生き生きと青く、その間には大きくて丸い実が生っていた。よくよく目を凝らすと、それは瓜だった。男が売っている瓜そのものだった。
 瓜とはふつう、蔓に生るものである。この瓜はどうして枝に生っているのだろう。そんな疑問が子供の頭を一瞬かすめたが、子供にとってはそんなことどうでもよかった。子供にとって大切なのは、今ここに男の売っている瓜があるということだけだった。子供はおびえた様子で周囲を伺い誰の目もないことを知ると、素早く木に登り始めた。元々子供は木に登るのは得意だったので、瓜が生っている枝まではあっさりと到着した。もう一度誰の目もないことを確かめると、子供は無造作に瓜をもぎ取ってそれにかぶりついた。記憶の中よりもさらにみずみずしく、しっかりとした歯ごたえと甘みが口の中に広がる。子供の用心深さが続いたのはそこまでだった。子供は夢中になってその瓜を食べ終えると、すぐに次の瓜へと手を伸ばした。手の届くところに瓜がなくなると、次の枝へ。次から次へと、食欲はとどまるところを知らなかった。さらにこの瓜は味に飽くということがなく、次の瓜次の瓜とと食べていくほどになおさら美味に感じられていくので、子供は瓜を食べるのをやめようとも思わなかった。再現なくあるように感じる鈴なりの瓜をむさぼり食っているうちに、ついには時間を忘れた。
 子供がやっと我に返ったのは、もうとっぷりと日が暮れた頃である。この時間まで帰らなかったとなれば、親に大目玉を食らうに違いない。瓜の生る木に名残惜しさを感じながら、子供は手探りで瓜をもいで抱えきれないほどの瓜を服で包んで背負った。家に帰ってからゆっくり食べる分として、とっておこうと思ったのだ。枝に生っている瓜にもやはり種はなかったので自分でこの瓜を育てることができないのは残念だが、明日もここにくれば心行くまで瓜を食べることができる。幸せな思いに心を膨らませながら子供は瓜の木から滑り降りた。
そして家へと一歩進もうと思ったとき、子供は小さな違和感を感じた。踏みだそうとした後ろの足がぴくりとも動かないのである。首をひねって、子供は自分の足首を触ってみた。なめらかな肌の質感の代わりに、節くれ立ってざらざらとした、まるで木の幹のような感触があった。
 不意に背筋に氷塊が伝うような思いにおそわれて、子供はおそるおそる振り返って念入りに後ろ足の足首を触ってみた。暗闇の中でよくは見えないが、どうやら自分の足首が木の幹のような感触に変わったわけではなく、何か足に木の根っこのようなものが絡まっただけらしい。そう確認はできたものの、精一杯引っ張ってみてもなかなか足は抜けなかった。もう一度足に絡まっている根っこの形を手探りに調べてみて、また子供はぞっとした。絡み付いている根は、まるで人間の手のような形をしているのだ。小さく悲鳴を上げて尻餅をつくと、これまで静寂に満ちていた広場がざわざわと急に葉擦れの音に満たされた。普段ならばどうってことないと笑い飛ばすところだが、今はその音の中に何か不吉なものが隠れているような気がしてならなかった。雲の切れ間から、かすかに月の光が漏れる。闇の中から、空へと枝を高くあげ、子供を圧倒するような大樹の姿が浮き彫りとなった。逃げ出したいという一念で、子供は半狂乱に足を引っ張る。だがどう頑張っても足を抜くことはできず、子供はその拍子にその根がまるで、本当の老人の手のような形をしていると知った。ふと、顔を上げる。手の形をした根の先には、腕のような形の根が、腕のような形の根の先には、胴のような形の根が。
 見てはいけない、見てはいけない、と念じても、どうしても子供は視線をあげるのを止められなかった。胴の先には首、首の先には。
闇の中に、根と一体化したような色の人間の顔を見つけたとき、子供はこらえきれずにあらん限りの悲鳴を上げた。その顔は、よく見慣れた瓜切りの男の顔をしていた。心臓がばくばくと荒れ狂い、歯の根がかみ合わずかちかちと不協和音をたてる。ひゅーひゅーと口からかろうじて漏れる呼吸音が妙に耳障りだった。瞬きも忘れて凝視している子供を、顔はあざ笑うようににんまりと笑みを浮かべた。その途端、男の表情に呼応するようにいっそう葉擦れの音が大きくなった。








 それ以来、その子供の姿を見たものは誰もいない。街の人々は口々に、きっとあの子は神隠しにあったのに違いないと言い、次第にその存在は忘れ去られていった。
 そして、毎年夏になるとその街には変わらず瓜切りが現れる。

甘い瓜 甘い瓜はいらんかね

そう歌いながら、男は美味しいと評判の瓜を売り続けているのだった。

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