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爪切り(くれとー)完
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 人殺しの悪夢を見てから数年が立ち、その記憶さえもめったに思い出すこともなくなった頃、私は家の茶の間に可笑しな物が置いてあるのを見つけた。硝子製の小さな瑠璃色の壜である。軽く揺すると、中で沢山の小さな三日月が踊る。何の変哲も無い壜だが、私はそれを見ていると妙に不安になった。触れているだけで嫌な記憶を喚起するような、好ましくない予感があるのだ。
 私は瑠璃色の小壜を持って、妻の部屋を訪ねた。基本的に家財道具は妻が取り仕切っているので、小物についても妻に聞いたほうが手っ取り早いのだった。
――どうかなさいましたか。
 振り返った妻は、何かの白い欠片を口にくわえていた。それは三日月形をしており、骨のようでもあった。
 爪の切り滓だった。
 不意に、数年前の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。同時に、驚くべき事実にも気が付いた。私は、夢の中で妻を殺す以前の妻の姿を良く覚えていないのだった。無理に思い出そうとしても、輪郭の不鮮明な像しか浮かばない。
 自分が妻としている女の顔を見る。黒い髪が自慢の、美しい娘だ。だが、昔はこんなに目鼻が整っていなかったように思う。口調も、ちょっとやそっとじゃ直らないぐらいに蓮っ葉だった。
 妻は、コクリと音を立てて爪の欠片を飲み込むと、何事も無かったかのように針仕事を始める。
 私は蒼褪めながら、掠れた声で聞いた。
――お前は何者だ。
――私は、約束を果たしてもらいに来たのです。
 漆黒の長い髪を背中に垂らした女は、嫣然と微笑んだ。
――けして、見捨てないでくださいませ。   【了】


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あきゅろす。
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