[携帯モード] [URL送信]

爪切り(くれとー)完
ページ:15
 だが、女には私の言葉が聞こえていないようだった。拒否すればするほど、何かに憑かれたように、一層高らかに、静かな熱意をこめた口調で朗々と続きを語るのだった。
――男はついに妻を殺したのでした。妻の抵抗も力で抑え込み、鬱血が起こるまでずっと首を絞めていたのです。男はその後、通行人に見つからないよう人目を避けて、妻の死体を堀川の暗い水の底に捨て、何事も無かったかのように女の元へと行ったのでした。
 初めて女と出会ったとき、女が言っていたことがある。爪には、記憶が宿っているのだと。それも、誤魔化しや改竄が絶対に介入せず、感情も反映されることもない真に客観的な記憶が。女は爪を食べることで、その記憶を味わっているのだと。
 事実として、認めるしかなかった。女が語るのは、爪から読み取った、本当の意味で正確な記憶なのだ。まざまざと、指が喉に食い込む感触が甦る。
 人を殺めた私はこれからどうすればいいのか。罪悪感に耐えられなくなった私は、救いを求めるように女を見た。私の視線が女の視線と出会う。女の瞳は、呑み込まれそうなほどに深く暗い闇に通じていた。女は幸せそうに目を細めると、舌で血のような唇を舐める。
――美味しゅうございました。
 女は笑っていた。世界中の幸福を味わっているかのようなとろけそうな笑みで、私を見返したのである。爪に蓄積されていた記憶は私が体感してきた通り陰惨である筈なのにだ。
 血の気が凍る思いがした。女の様子は明らかに常軌を逸している。その笑顔があまりに幸福そうだからこそ、恐ろしかった。浮世離れしているとは感じていたが、私が相手をしていたのは人ではなかったのかもしれない、と今更ながらに思った。何か、魔性のものだ。それが真実なら、女の美しすぎる容姿にも説明が出来る。
――顔色が悪いようですね。どうかなさいましたか。
 女は私を気遣うように手を伸ばしてきた。急に触れられるのも恐ろしくなり、私はその手を払いのけると一目散に逃げ出した。とにかく家に戻るつもりだった。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!