Celluloid Summer
†††
暗く、根底に沈んでいた記憶は、咲遊音の心臓をギリギリと締め上げる。
呼吸が乱れていくのは、まだ傷が深い証拠。
だが、それに構ってはいられない。
今は自分の古傷よりも、現状、と咲遊音はその痛みを無視する。
擦り抜けていった、子供。
あれが、那智だ。
黒髪の。
顔は見えなかった。
直前まで奏と話していた、と那智は言った。
咲遊音の体温が冷えていく。本人にも原因のわからない変化に、考えを繰り返した。
直前まで奏と話していた、那智が、走り去った。
不自然に傾いだ奏。
直前まで奏と話していた、那智が、走り去った。
記憶が巻き戻り、何度もワンシーンを繰り返す。
辿り着いた答えが、咲遊音から思考を奪った。
何故、直前まで話していた相手が事故にあって、普通の小学生にその場から走り去る力が残されるのか。
答えは一つしかないのだから。
明かりのない部屋。
深海のような無音の部屋。
咲遊音が帰った部屋は、数日前までの暖かさが感じられない。
那智の部屋の前に置かれた手付かずの昼食。
帰ってきたら、真っ先に扉を叩いて帰宅を知らせてきた数日間の咲遊音の癖は、逆に那智を追い詰めたのではないかと咲遊音は思う。
一人きりの部屋で、どんな思いをしているのだろう。
行き場のない感情が、咲遊音から零れる。
那智を想う気持ちと、奏を失った痛み。
自分は那智を許せるのかすら、もう咲遊音にはわからない。
咲遊音は部屋に置いていた携帯を手に取ると、そっと部屋を出た。
キツイ時、嬉しい時、悲しい時、悩む時、咲遊音が話相手に選ぶのはいつだってたった一人。
電話番号を呼び出すのも、既に手が覚えている。
寮を出て、近くの公園に向かいながらコール音に耳を澄ませた。
『もしもし…?兄さん?』
しばらくの時間をおいて出た相手は、柔らかな声音で咲遊音を呼ぶ。
咲遊音の弟、凪遊音(なゆと)。実家にいる弟は常に咲遊音の良き相談相手だ。
咲遊音とよく似た父譲りのふんわりとした茶髪と、利発そうな瞳が咲遊音の脳裏に蘇る。
声を聞くだけで、ほっとする。
『兄さん?何かありましたか?』
電話の向こうで訝しげに首を傾けているだろう弟に、咲遊音は笑った。
「うん、何でもないよ?なあ。」
暗い公園のベンチに腰掛けて、止まらない涙を拭う。
咲遊音は凪遊音を『なあ』と呼ぶのだが、年の離れた弟は兄に敬語で話す。いや、相手が誰であれ、凪遊音は敬語で話すのだが。
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