気付かぬ内に全てを捨てた
「小太郎、喜んでくれるかな…。」

二学期最後の日、私は一度も教室へ行かないままに放課後を迎えた

担任との話し合いは3時間にも及び、最終的には私の嘘泣きで勝敗が決まった

たった一枚の退学届を手に入れる為だけに、3時間もの時間を無駄にするとは誤算だ

けれどそのお陰で教室に行けず、かすが以外のクラスメートに会わずに済んだのは不幸中の幸いだろう

退学届を手に入れてからの私はその足で学校を去り、小太郎との待ち合わせ場所に来た

全力で駆けて来たから少し早目に到着したようで、まだ彼の車は見当たらない

だから私は駐車場内にあるクリーニング屋の前にあるベンチに腰掛け、退学届を手にしたまま彼を待っている

彼が到着したら一番にこの退学届を見せ、喜ぶその笑顔を目にしたい

「間違ってないよね、きっと。」

ひたすら彼の到着を待っていればスーパーに入ろうとしている三人組の学生を見つけ、無性に寂しく感じた

私も以前は友人とこのスーパーに立ち寄り、電車が来るまでの時間を潰していた

パン屋の新作を買っては分け合ったり、一緒に雑誌を立ち読みしたり、カラオケに持ち込むお菓子を大量に購入したりと、沢山の思い出がある

事実を知ってしまった今となっては、夢のような話だ

皆の本音を知り、退学届を手に入れた以上、私はもう戻れない

仲直りをする機会も無く、このままお別れだ

これで正しい筈なのに、楽しそうな学生の姿を見ていると泣きたい気持ちになる

両親との関係についてもまだ解決はしていない

昨晩、お風呂から上がった私を両親は遅くまで叱り続け、中々自室へは逃がしてくれなかった

あれだって演技だと知っているし、心配したという言葉が嘘だとも知っている

でも、本当に?

実は全て小太郎の勘違いで、私はまだ両親に愛されているんじゃないの?

と、浅はかな期待を抱いてしまう出来事が起きた

今朝は両親との接触を避けようと早めに起床し、なるべく音を立てずに家を出た

そんな私の行動を見透かしたようにリビングのテーブルには母の書置きがあり、【行ってらっしゃい。車に気を付けてね。今夜は御馳走だから、お菓子を食べ過ぎないようにね。】とメッセージが書かれていたのだ

冷蔵庫には朝食が用意され、おかずは全て私の好物ばかりだった

最後に、下駄箱の上には父からのさり気ないプレゼントがあった

それはクリスマス専用のメッセージカードで、開けばクリスマスソングが流れる細工付き

今年も用意してくれたのかと嬉しく思い、バッグに仕舞ったまま登校してしまった

彼にあれだけ両親の本性を教えられ、それを事実として受け止めたのに、簡単に心が揺らぐなんてどうかしている

「…これ、どうしよう。」

カードを取り出して開けば音楽が流れ、音に合わせてツリーの飾りとなっている幾つもの小さなライトが光った

小太郎の教えてくれた両親の本性について、忘れたわけじゃあない

二人にとっての私は邪魔者でしかなく、もうじき捨てられるとも自覚している

小太郎の言葉こそが正しく、皆が嘘を言っているとも知っている

なのにこうして諦め悪く引き摺っているのは、まだやり直せるんじゃないかと期待している証拠だ

期待出来ないくらいに絶望するような、両親の本性を目撃すればもう良いやと諦められるだろうか

「それ、どうしたの?」

「…こ、たろ…えっと、これ、これ、ね…今朝、お父さん、が…下駄箱に…。」

いつの間にか到着していた小太郎は私の隣に腰掛け、音楽が流れ続けるカードを覗き込んだ

後ろめたい気持ちがあるから言葉が途切れ、上手く目を合わせられない

会ったらすぐに退学届を見せるつもりだったのに、余計な事をしてしまった

「こんな物で罪滅ぼしをしようだなんて、相変わらず最低なお父さんだね。」

「………。」

半ば奪い取る形で彼はカードを両手に持ち、何の躊躇いも無く左右に引っ張った

真っ二つに裂けてもカードからは音楽が流れ、ライトも点滅している

裂くだけでは物足りない彼は足元に投げ捨てると何度も力強く踏み潰し、荒い足音に乱れた音楽が混じる

何度も続ければ完全に壊れてしまい、音も鳴らず、ライトも点かないただのゴミになった

可愛らしいイラストも彼の足跡が隠し、原型を留めていない

きっと、これで良かったんだ

「…罪滅ぼしって、私を捨てるから?」

「そうだよ。その証拠に、今からなまえの実家に連れて行ってあげる。なまえがこうして未練を持っているのは、まだ期待してしまうからだよね?だから最後に、両親がどれだけ酷い人間か、きちんと確かめてみるのも良い機会だと思うんだ。」

「どうやって確かめるの?」

「裏口からこっそり入って、リビングに居る両親の会話を盗み聞きしてごらん。絶対に、バレないようにね。」

口元に人差し指を立てた彼は楽しそうに喋り、足元のゴミを蹴り散らした

私の居ない間、両親がどんな会話をしているのか

想像すると嫌な言葉ばかりが浮かび、悪い方向にしか考えられない

両親の本性を目にした時、私はどうなるだろう

あまりのショックで大声を出し、わんわんと泣いてしまうだろうか

所詮こんなものだと冷めた気持ちで受け止め、現実を笑うだろうか

どんな現実が待っていようと、正気を保っていられるだろうか

「その膝はどうしたの?」

「…あのね、階段から落ちちゃって…あ、左腕に痣も出来ちゃったの。」

立ち上がろうとした彼は私の膝にある怪我に気付き、心配そうに眉を下げた

左腕の袖を巻くって痣を見せると慰めるように私の頭を撫ぜ、優しく袖を正してくれた

他の人と違って、彼の行動からは確実な優しさが伝わる

本当に私を大切に思い、どんな時でも私を一番に考えてくれてる

私もそうあるべきなのに、ウジウジと皆との関係をやり直せないかと悩んでいるなんて最低だ

けじめをつける為にも彼の指示に従い、両親の本音を聞いてしまおう

「帰ったら二人でお風呂に入ろう。それから傷の手当てをしてあげるよ。食事はね、なまえに喜んでもらおうと思って早起きをして用意したんだ。ちょっと形は崩れちゃったけど、クリスマスケーキも俺が作ったんだよ。ツリーも用意して…昨日買ったばかりの家具も午前中に届いたから、模様替えも完璧だよ。」

「わっ、わっ、ほんとに?全部小太郎がしたの?ケーキまで?」

「そうだよ。チェリーパイも焼いたから、食べてくれる?」

「うん!!小太郎が作ってくれたなら、何でも食べるよ!!」

私の体を抱きかかえた彼は車の方へ歩き、嬉しそうに話してくれる

期待の膨らむ話題に私も笑顔を取り戻し、彼の胸元に頬を預けて甘えてみた

二人で初めてのクリスマスだから、どうしても浮かれてしまう

しかも食事とケーキは全て彼が作り、ツリーまで用意されている

その上模様替えまで終わっていると分かれば喜びを隠せず、声がいつものトーンより高くなった

「でもその前に、なまえに両親の本性を確かめてもらわないとね。」

「…それさえ終わったら、小太郎のマンションに連れて行ってくれる?」

「勿論だよ。二人のマンションに、二人で帰ろう。」

片手で私の体を抱え、助手席のドアを開けながら彼は嬉しい言葉をくれた

二人のマンションに、二人で帰る

つまり今日から、私と彼の同棲が始まるのだ

嬉しくてたまらないからシートベルトを装着されたまま両足をバタバタと動かし、両手で頬を挟んだ

まだ実家へ行くのは恐いけれど、それさえ終われば同棲が始まる

そう考えただけでこんなにも喜び、先程までの悩みを捨てる私は本当に単純だ

この調子なら、両親の本性を自分の目で確認しても平気な気がする

どんなに酷い本性を知ってしまっても、私にはもう縁の無い人達だから

「良い?なまえ、絶対にバレちゃ駄目だよ。」

「うん。頑張るから、待っててね。」

私の実家まで彼は法定速度を超えたスピードで車を走らせ、昨日と同じように家の前に車を停めた

最終確認をする彼は笑顔のまま喋り、私の表情は緊張で強張っている

バレないように細心の注意を払い、こっそりと両親の会話を聞かなければならない

裏口の鍵は玄関と同じだから、彼に渡された鍵で開けられる

足音を立てないように家へ入り、ギリギリ二人の声が届く距離まで進むのは私が思っている以上に難しいだろう

万が一、バレてしまったら

その場合の話を彼がしないのは、失敗が許されないからだ

「…頑張らなきゃ。」

一人で外に出ると冷たい風が頬に触れ、膝元の傷が疼いた

塀からこっそりと覗いたリビングにはソファーに向き合ったまま座る両親の姿が見え、10メートル近く離れた此処からでも口の動きを確認出来る

早く裏口から入り、何を喋っているのか確認しなくては

早く早くと気が焦り、動きが雑になる

それに気付く度に立ち止り、深呼吸の繰り返しだ

鍵を握る力も強まり、鍵の先端が掌に食い込む

呼吸も乱れ、どうにかなってしまいそうだ

「竹中先生の話によるともう解決したらしいの。でも、あの豹変ぶりはおかしいでしょう?やっぱり、まだ何かあるんじゃないかしら。」

大声を上げたい衝動に耐えながらも、裏口からの侵入を成功させるまでにかかった時間はきっと5分くらい

けれど緊張がピークに近い状態で慎重に動いているから時間の感覚が無くなり、それ以上に長く感じた

やっとの思いで家の中に入るとリビングの方から母の声が聞こえ、唾液をゴクリと飲み込んだ

裏口は風呂場とトイレに近く、リビングとの距離は長い

此処からでも声が届くのなら、無暗に近付かない方が良いだろう

なるべく裏口から離れないまま、いつでも逃げられるようにしていよう

「…なまえじゃないのか?」

「どうかしら。ケータイの方にかけても充電が切れたみたいで繋がらなかったから…はい、もしもし。」

二人の会話を邪魔するように固定電話が鳴り、母が早足でそちらへ向かう足音が響いた

母が電話をしている間、父がトイレに来たらどうしよう

イレギュラーな電話が不安を大きく膨らませ、指先が冷たくなる

何故か左右の奥歯が痛くなり、慌てて頬に触れると無意識の内に歯を食い縛っていたのだと自覚した

尋常じゃない程に緊張しているからか、不可解な行動を取ってしまう

「あら、それでしたら一昨日の晩にそちらからお電話を頂きましたが…えぇ、そうです。はい、はい。お約束通り、娘が下校しましたらすぐにでもそちらに向かいます。えぇ、そうですね。きっとあの子、あまりの驚きに大声を出しちゃうんじゃないかと思います。ご迷惑をおかけしてしまうかも知れませんが…えぇ、よろしくお願いします。はい。では、わざわざ有難う御座いました。」

母の声に意識を集中させると私の話だと気付き、やっと小太郎の意図を理解した

彼が私を実家に忍び込ませ、両親にバレないようにさせたのはこの電話での会話を聞かせるのが狙いだったんだ

今のを聞いて、両親の目的がはっきりとした

両親は私を他人に押し付け、今日まで続いた親子の関係を終わらせようとしている

クリスマスプレゼントを買いに行くと思わせて、実際に行くのは私を押し付ける他人の家

ようやく私を捨てられるその解放感があるから、あんなにも楽しそうに喋っていたに違いない

電話の相手は母の口調からして親戚や、あまり親しい人ではないという事だけが分かる

いったいいつの間に両親はそこまで話を進め、私を押し付ける人との繋がりを築いていたのだろう

仕事で忙しい合間を縫ってまで、私を押し付けるに最適な場所を探していたの?

「なまえの驚く顔が楽しみね。」

「驚きを通り越して泣かないと良いが…。」

電話が終わるとまた二人が喋り、楽しそうな声からどんな表情をしているのか簡単に想像出来た

何百回も目にしているあの優しい笑顔で、私が捨てられると知った際にどんな反応をするのかを喋っている

私が居ない間はいつもこうしてこの話題で盛り上がり、何も知らない私を馬鹿にしていたのだろう

何も知らずに愛されていると信じていた私は本当に馬鹿だ

小太郎に事実を教えられても、今の今まで受け入れられなかったのだから馬鹿だとしか言いようがない

馬鹿で無知で惨めで、何の価値にもならない

どうしようもない馬鹿だから捨てられるんだ

特技は無く、成績は中の下

その日の気分で学校をサボり、高い授業料を無駄にする

そのくせ興味を惹かれるイベントには必ず参加し、一人前のお小遣いを要求する

躾で駄目だと言われても嫌だと反抗が多く、口を開けば我儘を言ってばかり

一人も友達が居ず、誰からも嫌われている

そんな私が捨てられるのは自業自得で、二人が悪いわけじゃあない

生まれてからずっと、二人の邪魔しか出来なかった私が悪いんだ

せめて最後の親孝行として、自分の足で二人の前から姿を消そう

「早く帰って来ないかしら。」

「通知表を見せるのを嫌がって寄り道しているかも知れないな。」

二人の会話に背を向け、来た道を戻る足取りは軽い

緊張も解け、ふふっと笑えるだけの余裕も取り戻せた

けれど心に物足りなさを感じ、早く満たされようと小太郎の元に向かった

(大丈夫、私には小太郎が居るから。)


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