愛情の向く先は
幼い頃から私は忘れ物が多く、幾つになっても必ず通知表に【忘れ物に気を付けましょう】と書かれてしまう

忘れてしまう物は授業に必要なノートだったり、ペンケースだったり、忘れてもどうにかなりそうな物が殆どだ

忘れてしまうのは勉学へ向けての意欲が薄く、然程重要視していないのが原因だろう

だから自分にとって必要性のあるお弁当を忘れたり、友人へ貸すと約束した漫画を忘れたりはしない

言ってしまえば注意力に欠け、ただのおっちょこちょい

確実に必要だと言われれば前日の夜にバッグの中身を確認し、通学中に忘れていると気付けば来た道を戻りもする

一生の内に一度も忘れ物をした事が無いという人は存在しないだろうし、私の場合はその回数が多いというだけ

では最近、頻繁に何かを忘れ続けている私のこの状態はどう説明すべきだろう

皆から冗談で忘れ物チャンプと言われた私でも、流石に大切な誰かの名前や顔を忘れる事は無かった

先日の夕飯だってすぐに思い出す自信があり、これまでに読み終えた小説の内容も誰かに順を追って説明出来る

幼稚園の頃に両親との旅行で何処へ行き、何をしたか

学校では誰と親しく接し、どんな話題で盛り上がるか

どんな事でも今まではスムーズに思い出し、過ぎし日の光景を笑っていた

でも最近は何を思い出すにも時間がかかり、結局思い出せないままに諦める事が多い

そうなったのは恐らく、小太郎と出会ってからになる

「ここがなまえのお部屋だよ。家具は全てなまえの好みに合わせて、お留守番中のなまえが退屈しないように工夫したんだ。」

お風呂を終えた後、小太郎は私の髪の毛を丁寧にブローしてくれた

肌も毎日のケアが必要だと丁寧に化粧水を浸し、ボディクリームで仕上げもしてくれた

部屋着として与えられたのは私の好みに合い、何処かで見覚えのあるようなデザイン

私の何もかもを世話してくれる彼はガラス細工に触れるように私を大切に扱い、どんな事でも笑顔でしてくれる

そんな彼の笑顔を5分前、私は壊してしまった

「なまえ?どうしたの?」

「…これ、全部小太郎が?」

「そうだよ。なまえのお部屋なんだから、好きに過ごして良いからね。」

玄関から一番近い洋室に私を連れた彼は部屋の真ん中に立ち、私はドア付近に立ち尽くしている

今はこうして笑ってくれてはいるけれど、つい先ほど見たばかりの表情が忘れられない

自室として与えられた洋室は広く、天井の中心にはお洒落なカンテラを象った照明が一つ

オレンジ色に照らされたアンティーク調の家具もやはり私の好みに合い、ゆっくりと歩み寄った本棚の中は私の大好きな作家の作品だらけ

ガラス戸を開いて手に取れば香りや日焼け具合からして新品だと分かり、彼が支払っただろう金額を頭の中で簡単に見積もった

ハードカバーは高くて2,000円を超え、文庫本は安くて500円未満

38冊で計40,000円、小説だけでこの金額は彼にとって苦ではないのだろうか

家具の妥当な価格は分からないから計算出来ないが、私では簡単に購入を決意出来ない金額なのは明らかだ

床に敷き詰められた絨毯はシンプルに白の無地を選択され、ふわふわと足の裏に当たる感触が気持ち良い

いつから彼は私の為にこの部屋を用意し、これだけの物を用意したのだろう

「…もしかして、なまえの好みには合わないかな。」

「ううん、バッチグー!!」

ぼんやりと思考を巡らせていると彼の不安そうな声が届き、わざとらしくも親指を立てて返答をした

作ったばかりの笑顔には無理があり、彼が安心してくれたかは微妙だ

素直な本音を述べるのであれば理想通りの部屋を与えられ、好きに使用していいというのは本当に嬉しい

先程の事さえ無ければ部屋に入った途端床を飛び跳ね、彼に抱きつきでもして何度もお礼を言った筈

彼だけが何も無かった事にして、私だけがずるずると引き摺っている状態だ

「なまえのお洋服や下着は一通り揃えているけど、何か必要な物があったら遠慮なく言ってね。」

「…私に似合うかな。」

「なまえじゃなきゃ似合わないよ。」

クローゼットを開いた彼の隣に並べばハンガーにかけられた何着もの服が現れ、木製の三段ケースの中身は全て下着だった

服はドレスとも言えるようなワンピースが多く、色は白が多め

なんとなく街中で見かけるロリータの方々の格好を思い出し、着慣れたデニムやパーカーを懐かしく思う

ワンピースを着るならもっとラフな物が良い、そう言えばきっと彼は用意してくれる

でもこれは彼が私の為に用意し、彼の好みに合わせた物だ

彼がこういった格好の私を望むなら、私は彼の望みを叶えてあげたい

「ここは俺の部屋だけど、これからは二人の寝室だよ。」

「………。」

「なまえ?」

廊下を出てすぐに隣にある彼の部屋は黒一色で統一され、明かりをつけてもどこか薄暗く感じる

窓際に置かれた机にはノートパソコンとプリンターがあり、机の隣の本棚には難しい本でぎっしりだ

私の部屋と繋がる壁に向けて設置されたベッドはシングルサイズでも二人で眠るには十分なスペースがあり、枕は長方形の物が一つだけ

それだけならシンプルな部屋だという感想を持ち、彼と眠る際の自分の寝相の悪さを心配するだけで終わった

この部屋はおかしいと思い、落ち着けない原因は壁のあちこちに張られた私の写真だ

どれも撮影された覚えが無く、明らかにカメラに気付いていないものしかない

登下校中の私

本屋で立ち読みをする私

ファーストフード店で大きな口でハンバーガーを頬張る私

野良猫を追い駆ける私

雨で機嫌の悪い私

メールを打ちながら歩く私

バイクで何処かに向かう私

誰かに笑顔で手を振る私

何らかの罰を受けて校庭の掃除をジャージ姿で行う私

駅に入る寸前で鞄を探って定期を探す私

お遣いとして頼まれたトイレットペーパをカゴに入れて自転車で走る私

店員と会話をしながら服の購入に迷う私

返却されたばかりのテストをコンビニのゴミ箱に捨てる私

駅のホームで乾燥した唇にリップを塗る私

空にバットを向けて予告ホームランをする私

黒い前掛けエプロンを身に着け緊張をしている私

レンタル店でのヘッドホンで新曲を試曲している私

両親の説教を恐れて玄関の前で時計を睨む私

誰に向けているかも分からない笑顔の私

眠っているのに頬を赤くしている私

全部全部、被写体となっているのは私だ

「この写真は小太郎が撮ったの?」

「…忘れちゃったんだね。」

「ご、ごめんなさい。」

「気にしてないよ。今はなまえの写真しかないけど、これからは沢山二人での写真を飾ろうね。」

忘れたも何も、最初から彼に写真を取られた覚えが無い

けれど彼は私が忘れていると答え、勝手に撮影したとは言わない

だからこれ以上の追及は諦め、力弱く頷いてまた顔を上げた

どの写真も私の目線に合う場所に張られ、一見乱雑のように見えてもきちんと一定の高さになっている

一枚一枚、彼はどんな思いでレンズ越しに見える私へシャッターをきったのだろう

私の写真が壁紙にもなったこの部屋で、どんな思いで過ごしていたのだろう

「小太郎、これは何?」

「…あぁ、これは頬杖を付く際に使うクッションだよ。クッション無しだとすぐに肘が痛くなるんだ。」

次には枕元にある小さなクッションが気になり、彼に問いかけてみた

すると彼はそれを手に取るとどのように使うのかを説明し、パソコンの方へと位置を変えた

まるであの人形の為に用意した枕みたいだね、なんて意地悪は言わない

もしかしたら本当に彼が説明した通りの物かも知れないし、あれだけ必死に人形に関心は無いと言った彼の言葉を無駄にはしたくない

きっと彼にとってあの人形は私が思っている以上に大切な存在で、彼は私がその趣味を理解すると期待していたんだ

なのに私は数の多さと、見慣れないその特殊な存在に驚いてしまった

特にリビングへ連れられて一番に視線の向かった人形は私に酷似していて、彼が私に向ける気持ちは人形へ向けるものと変わらないのではないかと恐くなった

多分、その気持ちに彼は気付いた

気付いたからこそ全ての人形を壊し、私が一番だと必死に言葉を並べたのだろう

大切にしていただろうに、私は彼の手で全てを壊させてしまった

今もそれらは悲惨な状態のまま放置され、どうするのかは彼が決める事

別に彼が人形を趣味とするのは問題無いけれど、私まで人形として見られているのでは?と不安が拭えない

有り得ないと鼻で笑い、余計な不安は消してしまいたい

消せずに不安が膨らむのは彼が用意してくれた服の全てが人形に似合い、私の好みとは異なるからだ

例え本当に彼が私を人形として愛していたとしても、今更後には引けないと分かっている

でもやっぱり明確な答えが欲しくて追及の言葉を悩んでしまう

「なまえ、ここに座って。」

機嫌良く喋る彼はベッドの淵をポンポンと叩き、私が指示通りに移動すれば机の方へ移動した

視線で追うと引き出しの中から消毒液を出すのが見え、妙に緊張させられる

お風呂で体は綺麗になり、それからは何も汚れるような物に触れてはいない

怪我も無く、消毒液を必要とするような事は一つもしていない

「小太郎、何をするの?」

「この際だから、全部抜いちゃおうと思ってね。」

私と喋りながらも彼はまた新たにピンセットを取り出し、消毒液で濡らしたティッシュで先端を拭いた

ピンセットで抜くと言えば誰もが眉毛の手入れを想像するだろう

私の眉はいつも自分で整え、形は何の特徴も無い普通

つい先日整えたばかりなのに、彼はこの形がお気に召さないようだ

「ちょっと腰を上げてくれる?」

「やっ、やだ…何して…。」

「なまえのここ、凄く薄いよね。どうせならさ、全部抜いちゃおうよ。」

ピンセットを手にしたまま彼は私の前に立ち、腰を浮かした私の部屋着を下着と共にずり下げた

両手で隠そうにも彼は私よりも先に下腹部へ腕を伸ばし、子供のような性毛を撫ぜて笑う

私の性毛は薄く、まだ僅かに生えた程度

無いに等しいそれは私なりのコンプレックスで、笑われては流石に傷付く

「衛生的にも、見た目的にも良くなるよ。」

「でも痛そうだし…やっぱり恥ずかしいもん。」

肩を掴まれて再びベッドに腰を下ろすと彼が足元で膝立ちになり、私の太ももの上で腕を組んで説得を始めた

衛生的に良くなるなんて初耳、誰もそんな事を教えてはくれなかった

見た目的にも良くなる、これは彼の趣味にしか思えない

やっぱり彼は私を人形として愛し、人形のようにするつもりだろうか

人形ならば髪の毛や眉毛以外の毛が無く、下腹部が無毛で当たり前

人として愛されてるって信じたいのに、これじゃあ益々不安になる

「すぐに終わらせてあげるし、我慢出来たらご褒美としてなまえの大好きなアイスを食べさせてあげる。」

「…自分で剃るのは?」

「なまえに剃刀を使わせるなんて危ない事、絶対に出来ないよ。剃ってもどうせすぐに伸びちゃって、チクチクと痛いだけだよ?刃を向ける角度を間違えると伸びたのが皮膚の中に埋まっちゃう事もあるからね。大丈夫、絶対に優しくしてあげる。信用の出来るクリニックを探している途中だから、それまでの辛抱だよ。」

剃刀ならば一瞬で終わり、痛みを感じずに済む

それでも彼は説得を続け、困ったと言わんばかりに眉を下げて笑う

しかも本格的に無毛にさせるつもりらしく、さらりととんでもない事まで口にした

脱毛エステへ通う女性は珍しくはなく、最近では私と同年齢の女の子だって普通に行っているとは知っている

彼と同じ考えを持ち、下腹部の脱毛を行う人が居るかは知らないけれど

「ねぇなまえ、どうしても嫌なの?」

「…小太郎がね、もっと私を好きになってくれるなら我慢する。」

「その言葉を聞いて、もっともっとなまえを好きになったよ。本当に、愛してるよ。」

そろそろ彼は【良い子】という言葉を使い、私に自分の意思を捨てさせる

だから今一番欲しい言葉を求め、ずっと邪魔をしていた両腕を退けた


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