『おやすみ』を言う前に
「なまえ、大丈夫なの?」

「大丈夫だってば。もう、心配し過ぎだよ。」

小太郎に送り届けられてから朝を迎えるまで、私はずっとベッドの上で膝を抱えていた

考え事に集中し過ぎて朝だと気付けず、ようやく気付けたのは設定時刻に鳴り響いた目覚まし時計のベルのお陰

一睡もしていないから頭は重く、体もダルい

とてもじゃないが、こんな状態で学校に行く気にはなれない

だから私は朝食の席で一つ、両親に嘘をついた

微熱があるから、今日はゆっくりと休んでいたいと

そんな小学生でも言えるような嘘を両親は疑おうともしないで、二人揃って私を心配してくれた

母に至っては出勤前にわざわざ自室へ現れ、不安そうに眉を下げてドアの方から此方を見る

恐らく容体を心配しているのではなく、虐めが原因で私が休もうとしていると考えているのだろう

「…今からでも行こうかな。」

やっぱり学校に行けば良かった、そう思うようになったのは両親が出かけた一時間後

静かな部屋に一人で居るのは不安が増し続けるだけで、時計の秒針の音をやけに大きく感じる

昨晩から考えている小太郎との問題も解決策が見つからず、友人からのメールしか受信しない携帯電話を見るのも嫌になってしまった

私から彼に連絡をするという方法があっても、また返信が来なかったらという不安で行動にはうつせない

遅刻を叱られるのを覚悟で学校へ行き、前日のようにクラスメートに彼との問題を相談するのも一つの手だ

少しでも役立つ助言をもらえるかも知れないし、騒がしい教室内に居れば少しは気も休まる

「こ、こたろうだ…。」

支度をしようとすると彼の番号からの着信の際にだけ鳴る着うたが響き、ベッドに飛び込みながら携帯電話を手に取った

表示される名前と番号に間違いは無く、早く出なければと焦りが生じる

でも通話ボタンを押せずに迷うのは、別れ話を出されそうで怖いから

彼なりに私との付き合いを一晩考え、別れようと決意をしたのかも知れない

昨晩私があんな事をしなければ、喜んですぐにでも電話に出れたのに

「…もしもし。」

『なまえ、おはよう。何だか元気が無いけど、大丈夫?どうしたの?そんな声を聞いちゃうと、心配でたまらないよ。』

無視するわけにもいかないから覚悟を決め、耳に当てたスピーカーから聞こえるのは聞き慣れた彼の優しい声

昨晩の彼とは別人のように優しく、まるで悪夢かのように思えた

どうしたの?と、私も彼に問いたい

昨晩はあんなにも冷たかった彼が、どうしてか今日はこんなにも優しい

極端に違い過ぎるので頭が混乱し、許してもらえたのだと安心は出来ない

「平気、大丈夫だよ。」

『そっか。それはそうと、体の方は大丈夫?』

「どうして知ってるの…?」

『なまえが受信するメールは全て俺に届くようになっているけど…忘れちゃったのかな。』

「あ、ごめ、ごめんなさい…。」

呆れられまいと口にした謝罪に彼はクスクスと笑い、私を咎めようとはしない

昨晩の彼なら何らかの言葉で私を咎め、大きな溜息をついただろう

喋りながら幾つか確認したメールを思い出すと、その中からは私の体調が悪いと受け取れるものが幾つかあった

それを見たから彼は私が不調だと知り、心配をして電話をしてくれたのだ

心配してくれているなら、まだ私を嫌ってはいないと安心しても良い筈だ

嫌いなら、こうして電話もしてくれないだろうから

『謝らなくて大丈夫だよ。俺は怒ってないし、今はなまえが心配だからね。』

「ありがと…。」

『やっぱり声にいつもの元気が無いね。もしかして、寝てないの?何か不安があって、一晩中考えていたとか?』

本当は全て把握されていてもおかしくない台詞に口籠り、どう返答しようかと迷った

昨晩の事を悩んでいた、そう言うのは彼への当てつけとなる

自分が原因で相手が眠れないほどに不安を抱えていたと知って良い気はしないだろうし、打ち明けて彼の機嫌を損ねてしまうのは避けたい

それを隠す為に嘘を言うのも気が引け、いよいよ何も言えなくなってしまった

「『無言は肯定として受け取っちゃうけど…良いかな。』」

「…え?……も、もしかし、て…え?」

「なまえ、何を驚いているの?」

沈黙を破った彼の声は二重に聞こえ、視線を足元から扉の方へと向けた

もしやと思って駆け寄ると向こう側からコンコンとノックされ、ドア一枚隔てて彼の笑い声が届く

鍵を開けてドアを開いた先には思った通りの彼が正面に立ち、携帯電話を耳に当てたまま二コリと微笑んだ

いつからそこに居て、何処からどう入って来たのかは分からない

通話をしている内に玄関の鍵を開けられ、その音に私が気付けなかっただけなのか

「どうして、小太郎が…?」

「なまえに会いたいって気持ちが我慢出来なくてね。迷惑だったかな。」

「そ、そんな事無いよ。すっごく嬉しい…っ。」

通話を切るなり彼は背中を丸めて私の体を抱き締め、温かい頬が私の頬にピタリと密着した

迷惑だなんて思わないし、彼が私に会いに来てくれたのは本当に嬉しい

昨晩の事があるから尚更嬉しくて、彼の背に回した腕に力が籠る

嫌われたかも知れないという不安も消え、ようやく得た安心に涙が出てしまいそうだ

皆から大丈夫かと尋ねるメールが来始めたのは30分くらい前から、同じメールを受信した彼は私の容体を知るなり急いで来てくれたのだ

心配させて申し訳ないと思うより、嬉しいと思うのは悪い事だと分かっている

だけど今の私には嬉しいとしか表現出来ず、クスクスと笑う彼につられて私まで笑いが零れた

「熱は無いみたいだね。でも、今日はゆっくり休まなきゃ駄目だよ。」

「あ、あのね、違うの。今日…本当は体調が悪いってのは嘘、で…。」

「でも、眠ってないのは確かだよね?眠れないなら、俺が寝かしつけてあげる。」

額を重ね合わせた彼は熱を確かめ、平熱だと分かると頭を撫ぜてくれた

更には私の体を抱き上げ、やさしくベッドの上まで運ぼうとしてくれる

こうも優しくされたら昨晩の彼は全て悪夢だと信じてしまい、自分の非を忘れてしまう

昨晩の彼なら私が嘘を言い、学校をサボっていると知った時点でお説教をしたと考えられる

どうしてたった一晩にして彼はガラリと変わり、私にこんなにも優しくしてくれるのだろう

聞きたいのに、昨晩の話題を出す勇気が無い

「ケータイ、持ったまま寝るの?」

「あ、忘れてた…。」

「寝る間は使わないんだから、俺が預かっててあげる。」

「ありがと。」

二人で潜った布団は冷たく、彼の体から伝わる優しい体温にすぐさま眠気が押し寄せた

ウトウトとしつつ手渡した携帯電話を彼はジッと見つめるとポケットへ仕舞い、良い子良い子と言っては私の頭を撫ぜてくれる

いつだったか、クラスの誰かが彼氏と共に寝転ぶ時は腕枕をしてもらわなきゃ絶対に嫌だと言っていた

周りの子は皆同意見だと主張し、彼是と盛り上がってもいた

私は彼女達のように盛り上がれる程恋愛経験は無いし、腕枕をしてもらった経験も無い

でもこうして彼と抱き合い、布団に潜って体温と香りを全身で味わえるだけで充分だと言える

「小太郎はいつも玄関から入って来てるの?」

「そうだよ。なまえに貰ったこの鍵を使ってね。」

チャラリと音を立て、彼が私の目元に運んだのは自宅のスペアキー

いつ、どんな理由で私が彼にあげたのかは覚えていない

あげたのかと驚きが大きくて、曖昧に笑って誤魔化した

私が彼に自宅の鍵をあげる理由、それは何だ

どんなに深い付き合いをしている関係でも、家族も居る実家の鍵をあげるのはよっぽどの理由が必要になる

その理由を探してもさっぱり思い出せず、日に日に悪化する自分の記憶力が心配になる

「忘れちゃっても気にしなくて良いよ。それに、この鍵を使うのは今日で最後だからね。」

「…もう来てくれないの?」

「次は、なまえが鍵を開ける番。」

同じポケットから彼は見慣れぬ鍵を取り出し、私に握らせた

聞かなくてもなんとなく、これが彼の部屋の鍵だと分かる

いつかは行ってみたいと思っていた、大好きな彼の部屋の鍵

鍵は可愛いクマのキーホルダーに繋がれ、明らかに私専用

立て続きに嬉しい事ばかりが起きて、緩む頬を引き締められない

「小太郎のお家、いつ行こうかな…。」

「明日、祝日なんだし今夜から泊りに来る?」

「………。」

「…可愛いね。」

唐突なお誘いに頬が熱くなり、それを見た彼は頬を指先で突いて笑う

異性、しかも彼氏のお家にお泊りという経験もやっぱり私には無い

泊まるとなると、やっぱり気にしてしまうのは夜について

普段から味見と言って私に触れる彼と、共に眠る事となる

触れられて嫌な思いはしないものの、緊張と不安が混ざってまだ抵抗がある

だから言葉一つで提案には乗れず、からかう彼から目線を反らした

「なまえ、眠くないの?大丈夫?」

「小太郎が居るのに…眠るの、もったいない。」

眠気は徐々に強くなり、欠伸の連発

彼が頭を撫ぜてくれるから余計眠くて、一瞬足りとも気を抜けない

冷たかった布団も温かくなったから眠るには丁度良い温度、そして彼が隣に居るのだから安眠は確実

幸せな夢に浸かれ、気持ちの良い目覚めを迎えるだろう

それでも今は彼と少しでもお喋りを楽しもうと再び漏れそうになった欠伸を噛み殺し、密着した状態で更に彼と距離を縮めようと身を摺り寄せた

「今日のなまえは甘えたさんだね。とっても可愛いよ。」

「ん…。」

その努力は彼の優しいキスで失敗に終わり、ものの数秒で眠ってしまった

『あまりに無防備だと、悪戯しちゃうよ。』


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