仕上げに向かって容赦なく
「なぁ、いよいよ明日だな。」

退社時刻を打ち込んだタイムカードを棚に戻し、出口に向かおうとして身を反転させるとやけに機嫌の良い佐助が俺の顔を覗き込んだ

ウィッグを外したばかりの乱れた髪の毛はいつも通りヘアバンドで後ろに流され、普段の彼とあまり変わらない

俺の頭は指先で梳かしても跳ねが目立ち、妙な癖まで残っている

「遅刻したら駄目だよ。」

「分かってるって。」

平気平気と笑う彼は外に出ると寒さに身を震わせ、暖を取ろうと掌を擦り合わせる

空には幾つもの星が散らばり、綺麗だとらしくもない事を思った

明日と言うより既に今日の晩10時、俺は約束通り彼へなまえを紹介する

俺にとって初めての恋人を早く見たいという気持ちが強く、彼は少し興奮気味

今、俺達のすぐ傍に彼女が居るとは俺しか知らない

「じゃ、明日な。」

「ん、明日ね。」

バイトが終えたら一秒でも早く帰りたい、そんな願望があって彼はいつも車を出入り口から最も近い場所へ駐車する

今日もまた同じ場所に車を止め、掌を振って車内に乗り込むとそのままさようなら

俺の車は出入り口から最も遠い場所にあり、街灯も無いので辺りは真っ暗

それでも近付くにつれて車の横に小さな影が見え、緩む頬を引き締めた

影から視線を反らして開いた携帯電話は沢山の着信とメールを表示し、どれもこれも全て彼女から

開いたメールのメッセージは【私が嫌い?】の疑問と、【ごめんなさい】の謝罪

怒ってもなければ、嫌ってもいしないし、謝罪も要らない

とは、絶対に教えてあげない

「あの、こたろう…。」

「なまえ?こんな時間に…どうしたの?」

ロックを解除した音に気付き、ずっと膝を折って座り込んだまま俯いていた彼女が立ち上がった

利口にも運転席のドア前に立ち、俺を乗せようとはしない

彼女なりに考えたのだと分かるから、やっぱりどうしても笑ってしまいそうだ

「もしかして、お友達とかくれんぼでもしているの?」

ゆっくり歩み寄ってみた彼女は制服ではなく私服、一度帰宅してから此処へ来たらしい

一度帰宅しているとしても此処で俺を待っていた時間は5時間近く、こんな寒空の下でよく耐えられたものだ

5時間前、俺は彼女が来ているかを確かめようと駐車場へ訪れた

待っている間の彼女はひたすら寒さに耐え、今と変わらず不安そうな顔

俺の馬鹿げた質問には真剣に首を左右に振って、どうしようかと迷っている

「なまえ、黙ってちゃ何も分からないよ。それに今日は疲れているから早く帰りたいし、何も用が無いなら帰らせて欲しい。そこ、退いてくれる?」

「よ、用ならある。用って言うか、あの、小太郎…私………。」

彼女が俺に聞きたいのは俺が彼女に対して怒っているか、怒っていないのか

聞かずに俯いたのは以前、俺がその質問を咎めたからだ

同じ失敗をしてならないと彼女は必死に考え、俺の機嫌を損ねないようにする

最初から、ちっとも俺は怒っていないのに

「話、長くなりそう?」

「………うん。」

「悪いけど、煙草吸わせてもらうね。」

小さく頷いた彼女は俺の反応に驚き、今日初めて俺と視線を合わせた

これも演出の一つ、本当は吸いたい気分じゃない

何度か煙を吐き出して舌打ちまで決めると彼女は俺の機嫌が最悪だと思い、暗闇でもその表情が青褪め始めるのが見える

この為にバイト前に購入した携帯灰皿は使い辛く、短くなった煙草を押し潰すのも難しい

だから地面へ放り捨て、踏み潰すと彼女の不安は最高潮

そういう表情を見せられたら、もっと虐めたくなる

「ねぇなまえ、俺がずっと働いていたって、分かってる?」

「あ、ご、ごめ、ごめんなさい…も、もう帰る、から…。」

「は?何か話が会って来たんじゃないの?」

「でも、小太郎疲れているみたい、だし…。」

「そんなの、俺が今日はバイトだって知っている時点で分かる事じゃないの?」

おろおろと慌てた彼女はふらつく足取りで逃げようとして、腕を掴んで阻止すればビクリと過剰な反応を見せた

俺と視線を合わせられずに俯いたままで、ついに溢れた涙が道路の染みとなる

掴んだ腕からは彼女の震えが伝わり、益々面白くなってきた

メール一通返さないだけで彼女はこの状態、数日連絡もしないで会わずに放置したらどうなるだろう

「ほら、さっさと言ってよ。聞いてあげるから。」

「…め、めぇる…来て、無い。」

「なまえって、変わってるね。」

「え…?」

「メールの返信が無かったら、直接聞きに行く子だなんて知らなかったよ。」

「…っ違う。だから、えっと…。」

「俺が返信をしていないから、不安に思ったの?」

少し可哀想だから、これはサービス

うんうんと頷く彼女は可愛く、まるで幼稚園児のような反応に失笑しそうになる

もっと虐めて、もっともっと泣かせたい

例えば無視して俺一人が車に乗って帰宅したり、嘘で嫌いだよと言ったりしたい

実行しないのは彼女が一人で帰宅出来るか心配でたまらないし、嘘でも嫌いだとは言えないから

「あのメールにどんな返信が欲しかったの?なまえとしては、両親の離婚が俺の誤解だって結論に至ったんだよね?それなら、これ以上俺が口出ししても無駄だとは思わない? 両親の離婚は俺の誤解、なまえがそう思うなら俺はそれでも構わないよ。結局、俺はなまえに信じてもらえなかった、それだけだから。ね、そういう意味で送ったんだよね?だから、俺はもう何も言わないって決めたんだ。なまえの出した結論なんだから、今後何があっても俺を怒らないって約束してね。だって、俺は言えるだけの事実を事前に教えているんだから。」

「小太郎を信じれないとか、そういう意味じゃなくて…お、お母さんが、違うって言ってくれた、から…だから、誤解だって、思って…小太郎は信じてるよ、ほんとだよ。でも、お母さんが…。」

「うん。なまえは俺より、お母さんが大好き。だからお母さんを信じるんだね。それなら、早く帰った方が良いよ。ほら、大好きなお母さんを心配させちゃ駄目でしょ?じゃ、気をつけてね。」

「やだ!!待って、お願い!!違う、違うの、違うから!!」

「なまえ、静かにしてよ。此処、何処か分かってる?」

車に乗り込もうとすると彼女はドアへ背を張りつけ、声を荒げて俺を止めようとした

でも注意した途端黙り込み、無言で首を左右に振る

ここまですれば彼女は俺が怒っていると確信し、次には許しを請おうと謝罪をする

何でもするとでも言って、俺の機嫌を取ろうとするのは明白

あえて指示を出さず、彼女が何をするのか見届けるのも充分楽しめそうだ

「離婚、は…誤解じゃないの?」

「…何それ。」

俺の右手を両手で包み込み、恐る恐る確認を取った彼女の表情は涙でグチャグチャ

わざとプッと吹き出すと目を白黒させ、視線が忙しなく泳ぎ始めた

俺は本当に彼女が自分を信じてくれない、とは思っていない

そもそも離婚は誤解じゃなくて俺の作り話、しかも証拠は無いから彼女が絆の深い母親の回答を事実として受け取るのも無理はない

自分にとって最悪な状況を否定されたら、誰だって望ましい回答を選んで当然だ

「なまえ、その質問はおかしいよ。離婚は誤解、そんなメールを送ったのは誰かをよく考えてごらん。あぁそうだ、今ここで大好きなお母さんにメールしてみなよ。電話でも良いから、なまえの大好きなお母さんに事実を教えてもらった方が早く解決するよね。」

「昨日…違うって、言われた…。」

「じゃあ、違う、誤解だった、俺が無駄になまえを不安にさせただけ、それで良いんじゃないの?」

「…小太郎に嫌われる、の、やだ…嫌われる、なら…小太郎を信じたい…。」

「別に俺は嫌ってはいないけど…そっか、俺は絶対になまえを嫌わない、その言葉さえ信じてもらえなかったんだね。残念だよ、本当に。」

勝手に結論を出して、肩を竦める俺に彼女は絶句

大きな瞳で俺を見上げて何も言わなくなり、涙を流す以外の反応を示さない

次がラスト、そろそろ彼女も疲れただろうから休ませてあげたい

長時間も此処で俺を待ってくれた彼女に、これ以上の仕打ちは自分でも酷いと分かっている

当然、それは今更ってのも分かってるけど

「話はこれで終わり。そろそろ帰っても良いかな。」

「こ、このまま、やだ…何でもする、から…許して…。もう、二度と小太郎を疑わないって、約束もする、絶対…。」

お願いとまで言う彼女の声は小さく、泣き過ぎて腫れた瞼は真っ赤

引き止めようと掴まれた腕の力も弱く、乱暴に振り解いた時の反応が気になる

今すぐ彼女を力強く抱き締めて、大好きだと言ってあげたい

今すぐ彼女に酷い言葉を向けて、立ち直れないくらいに傷付けたい

心の底から彼女が愛おしくてたまらないのに、矛盾した考えだ

「何でもって、何をするの?」

「………。」

「なまえ。」

「こ、小太郎が言ってた、あれ…。」

「あれじゃ分からないって。」

「……………自慰。」

随分と間を開け、やっと口にした単語に彼女の頬が寒さとは違う理由で赤くなった

俺がそれを要求していたのはからかうのが目的で、見たいという願望は無い

彼女にそういう行いをして欲しくないという気持ちがあり、彼女がそういう行いを嫌っているとも知っている

「したいなら構わないけど、なまえにそんな願望があるなんて知らなかったよ。するなら、此処ではしないでね。誰かに目撃されて、変態が出るなんて噂は御免だから。通報でもされたら、店の評判まで落ちちゃうよ。そういう趣味を持つのは個人の勝手、それは分かってる。だけど、他人を巻き込んじゃ駄目だよ。良い子のなまえなら、約束出来るよね?さ、好きだけしてきなよ。その後は、気を付けて帰ってね。」

効果覿面と言うべきか、今の言葉はとどめとなって彼女はその場に蹲り声を上げて泣いてしまった

多少声を出して笑っても、気付かれないくらいの泣き声だ



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