足場が崩れる瞬間
先輩のバイクに跨り自宅まで送り届けられた私は今夜の予定を内緒にしたまま玄関で別れ、一日限りのバイトの用意をしようと自室へと向かった

作業着となるのはジーンズとTシャツのみと至ってラフな格好、エプロンはあちらで貸して頂けると聞いている

あとはスニーカーを履くだけ、それらを身に纏えば私は誰がどう見ても立派なアルバイトだ

仕事の内容は学校で告げられていて聞いた限りだととても簡単、指示通りのお席へ料理やお酒を運び、お客の注文をきちんと確認した上で厨房に居るみぃちゃんの御両親へと告げて…後は、何だっけ

そうそう、レジは可不足を出してしまわない為にみぃちゃんが担当、もしもの時は御両親がレジへ立つので私とかすががお金に触れる事は一切無し

初めての事なので緊張はするけれど人見知りをしないし上がり症でも無いからきっと大きなミスはしないだろう

「タクシーを頼まれた時は此処にある電話で呼んだら良いから。」

「はーい。」

夕方5時30分、約束通りの時間にみぃちゃんの自宅へと向かった私は彼女直々の御指導を受けている

隣には私と同じ格好をしたかすがが居て、私以上に緊張しているのが表情からして分かる

お店は大して広くも狭くも無く、何処が何番テーブルなのかは既に頭にインプット済み

お客があれば元気に『いらっしゃいませ!!』と言い人数を確認して空いている席へと通す…思った以上に簡単そうだ

「まぁ、もしもの時は申し訳ありませんって謝罪したら良いよ。絡まれても流しちゃって。」

「かすがが絡まれた時は私がすぐさま駆けつけるからね!!」

「お前は自分の心配をしたらどうなんだ。」

「もー…今それを言わなくても良いじゃんか。」

助けてあげると宣言した私の額をかすがはコツンと拳で小突き、呆れたように溜息を漏らした

先輩と同じく私を心配してくれている彼女は私以上に事態を重く考えていて、昼間のお弁当騒動も告げた途端警察に行けと強制したくらい

私だって自分の身に危険が迫っているとは重々承知、けれど四六時中同じ悩みを抱えていては心労で倒れてしまう

今くらいは気持ちを切り替えて、お店のお手伝いだけに集中すべきだ

「なぁに?何か揉め事?」

「んーん。何でも無い。気にしないで。」

「そ。じゃあそろそろ開店だから、よろしくね。」

はーいと挙手までして呑気に返事をした私の隣で、かすがが再び溜息を漏らした

かすがの心配性、そんなに心配されると必要以上に脅えちゃうからやめてよね

アイツが此処にまで現れるわけ無いし、あまり考え過ぎるとかすがの方が先に倒れちゃうよ?

「なまえちゃんこれ三番に。」

「はい!!」

「すみませーん、注文お願いしまーす。」

「はーい!!」

「なまえ、あちらのお客様のタクシーを手配してあげて。」

「はいよー!!」

これは予想外、そう思わされたのはお店が開店してすぐの事

楽な仕事だと思っていたのにちっとも仕事は楽では無く、私は頻りに店内を駆け周りずっと声を上げっぱなし

その逆にかすがは何のミスせずに淡々と仕事をこなして、切羽詰まった私と目が合う度に意地悪そうに笑う

目立つミスはしていないものの注文ミスを既に三回、そして解けた靴紐を踏んで転倒してしまったのは一回

あたふたとしながらレジにある時計を見れば働き始めてから既に四時間を過ぎていて、時間が過ぎるに連れて増えるお客へ眩暈を覚えてしまう

肝心の団台さんの様子は絶好調で10人以上もの大人が大騒ぎ、一番奥のお座敷に居るのにカウンターにまで笑い声が届く程だ

「うわ、こりゃ満席かな…他の店あたる?」

「いらっしゃいませー!!何名様ですか?」

ぜぇぜぇと息を切らしていると新たにお客が現れ、駆け寄った私は相手のド派手なオレンジ色の頭へ目を見開いた

こんなにも見事なオレンジは初めて、根元から綺麗に続いているので地毛なのかも知れない

そして頬や鼻には深緑のフェイスペイント、見た目的に大学生…バンドでもしているのかな

ド派手な毛色と奇抜なフェイスペント、思わずアイツを連想させられたけれどアイツはこのお客ではない

「二人だけど、大丈夫?」

「カウンターでしたら空いてますよ。」

腕を伸ばし示したのは運良く空いているカウンター、このお客達が座ればついにお店は満席となる

連れであるもう一人はまだ店に入ってもいなくて出入り口の向こう、暖簾で顔は見えないが確実に誰かが居るのは分かる

スニーカーの大きさからして男性、足は長くて腰は女性のように艶めかしい

「そっか。なぁ風魔、別にカウンターでも構わないだろ?」

「…構わないよ。」

「………。」

同意を求められ、頷きながら暖簾をくぐって店内へ一歩、また一歩と入って来たのはアイツ

一瞬にして思考が止まった私と目が合うと長い前髪の奥で瞳を細め、口元を僅かに緩ませた

コイツは危険、これ以上この場に居てはならない

と、本能が告げているのに私は相手を見上げたまま動けずに居て、じっとりと額が汗ばんだ

どうして此処に来たの?

私が居ると知っているから?

教えてないのに?

他人なのに?

「あれ?ちょっとー?大丈夫?」

「あ、あー…だいじょぶ、です。」

「そっか。じゃあお願い。」

呼吸もせずに焦点の合わない瞳のまま突っ立っていると目の前でヒラヒラと何かが動き、はっ、と短く息を吐いて確かな意識でそれを見るとオレンジの男性が私の目元で自分の掌を振っていた

今の私は仕事中、周りには沢山の人が居て相手は迂闊に私へ近寄れない

だから大丈夫、そして私に危害を加えようとして此処へ立ち寄ったのでは無く、この再会は偶然によるものだ

飲み食いさえすれば帰るし、私は忙しいのだから相手に構う暇は無い

大丈夫、何も無い

大丈夫、無事に終わる

でも、何が大丈夫なの?

「それにしても、お前から誘うなんて珍しいよな。」

「まぁ、たまにはね。」

「この店を選んだ理由は?常連なわけ?」

「そうじゃないけど…なんとなく。」

出入り口からカウンターまでの距離は約2メートル、案内しながらも私は背後から聞こえる二人の会話へ意識を集中させている

アイツがこの男性を誘った、そしてこの店を選んだ

つまり私が此処で一日だけでも働くと何らかの手段で情報を得て、お客に成り済ましてまで会いに来た

これ以外に答えは無い、私が今すべきなのはアイツを案内するのではなく、一秒でも早く追い出す事だ

そう分かっていても私はフラフラと相手をカウンターへと案内し、二人が席に着いたと同時に店の奥へと逃げ込んだ

『あの子、体調悪そうだよな。』
『…そう?』


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