6 「――!」 玄関から人の気配を感じ、私は素速く包丁で右手の人差し指の先を裂いた。 一度、瞼を閉じ、それからゆっくりと開く――。 視界が淡い紫色に染まる。 それから、玄関の方へと移動し、その時が来るのを待った。 カチャリと鍵が開く音がし、ドアが開かれる。 「ただいま、――」 そして、目の前に、愛しい男の姿が現れた。 私の姿を目にして、驚いたように見開かれた漆黒の瞳――。 その瞳が私を捉えた瞬間から、吾端は動けない。 霊力の強い吾端は、私の眼のチカラの影響を受けるから――。 「……すまなかったな、吾端…」 ――お前を、巻き込んで――。 「…でも、もう大丈夫だ。 お前は二度と私に触れようとは思わないから…」 ――そして、私も触れないから。 「…いつか、結婚…するんだろう? …あの彼女と」 いくたまどか、と名乗った、可愛らしい女性――。 きっと、吾端の良き伴侶となれるだろう…。 ――私と違って――。 「……だから、許して欲しい――」 零れ落ちる一滴の涙は、何の涙なのか――。 罪悪感からか、それとも――。 ……どうだっていい。 どちらにせよ、もう後戻りは出来ないのだから――。 ゆっくりと手を伸ばすと、吾端の額に触れ、私はそこに印を刻む。 ――そして、私と出逢ってからの吾端の記憶の中から、 私との“不必要な接触”の記憶だけを選び… それを、封印する――。 ――まずは、出逢った翌日の、出て行こうとした私を引き留めた、優しい口付け…。 ――次は、初めての親子丼に戸惑う私に、自ら掬って食べさせてくれたこと。 その後、額を合わせて囁いた甘い言葉も…。 お前には何でもないことだったかもしれないけど…、あれだって十分に私の心を動かすだけの威力はあったんだぞ…。 ――それから、 “亡き者”を封じた後、言ってくれた言葉と…深い、口付け…。 「……っ、…ぅ…―」 ぽたりと、床に頬を伝った雫が落ちる――。 駄目だ、泣いては――。 私は左手で涙を拭うと、再び集中する。 ――…最後は…、 今朝の、朝食時の出来事と、その後に交わした “最後のキス”――。 「…本当に、最後になっちゃったな…」 小さく自嘲も込めた苦笑を浮かべると、私は畳み掛けるようにそれらの記憶を封じた。 私の血の“封じる能力”には、こういうものも含まれる。 …残念ながら、自分自身には使えないけれど――。 全てが終わると、私は今のこの瞬間の吾端の記憶も封じ、吾端を玄関の外に残したままドアを閉めた。 ――そして、瞼を閉じて、元に戻す。 [*前へ][次へ#] [戻る] |