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藍屋 秋斉
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園生『あ…秋斉さん?』

不思議に思い覗きこまれた顔を上向きに見返すと、秋斉さんは妖艶な笑みを微かに残し踵を返して私から離れすたすた置屋に向かって歩き出してしまった

園生『え?…えっ??あき…秋斉さん?!』

…わてといよし……って…不意に拘束の言葉を投げかけられたのに、何事も無かったようにすたすた前を行く秋斉さんを私は訳の分からないまま胸の高鳴りを抑え小走りで追いかけた












もう既に空には上弦の月が顔を覗かせ月夜の光が照らす刻になった頃、私達は置屋の秋斉さんの部屋に居た

花里ちゃんや菖蒲さん等他の遊女達はこの時間はもう揚屋で色々な旦那さんの相手をしている頃だろう

…でも…

『わてといよし』

そんな秋斉さんの恩恵…?…を受け私は秋斉さんと二人っきりで無言のまま居たのだ

秋斉さんは帳簿とにらめっこをしながら筆を滑るように走らせ片時眉間にシワを寄せながら机に向かっていた

園生『………』
秋斉『…なんや…けったいな客数やおまへんか…ん〜……ならどれだけべっぴん揃いか知らしめなあかんな…いやその前に日々の稽古にいっそう力を入れんと…』

置屋の亭主らしく帳簿を開く秋斉さんの姿はちょくちょく垣間見る事は出来るけど、こんな風に自分の遊女の仕事はせずただ凛と文机に向かい仕事をこなす彼の姿を眺められるというのは案外貴重な体験ではあるけれど…

時折見せる横顔の色っぽさにドキッとしつつも、この状況で何と声を掛ければ良いのか解らず私はただ手持ち無沙汰で少しそわそわしていた

すると、とりあえず仕事に目処がついたのか書き終えた帳簿をパタンと閉じ使い慣れた筆を机の脇に置くと、「ふぅ…」と一息つき私の方へ振り返った

秋斉『えろう待たせてすんまへんどしたな』
園生『あ…いえ全然気にしないで下さい!』
秋斉『そうや園生はん、一緒にお茶でも飲まへんか?仕事も一段落したさかいに』
園生『あっ!はいお茶ですね、じゃあ私が煎れて来ますね』

ようやく微妙な沈黙から開放され会話が出来る状態になり、張り切って台所に向かおうとすると…
秋斉『あ…それと…』
園生『はい!お仕事の後には少し熱めの渋いお茶ですよね、ちょっと待ってて下さいね』

しゃがんで襖に手を伸ばし半分位開けながらそう言って秋斉さんに笑顔を返すと、何故か秋斉さんが少しびっくりしたように目を見開き私を凝視していた

園生『秋斉さん?』
秋斉『…園生はん…最近よう思うとったけど…どないしてわての好きなお茶の事知ってはるんや?しかも…』
園生『ふふ…それにお食事の後のお茶は渋いけど温めが好きなんですよね秋斉さん』
秋斉『?!…』
園生『ちゃんと知ってますよ、と言いますか知らない筈無いじゃないですか?だってずっと秋斉さんの事観てるんですから私………?…ッア?!』

何気ない会話で自分の漏らした本音の意味に途端に気付き、一気に私の顔は真っ赤に染まってしまった


またもや小さな沈黙が落ちて来ていたたまれなくなった私は話題をあたふたと戻しそそくさと台所に向かった

園生『ああ秋斉さん!直ぐにお茶持って来ますね!』











秋斉『………あないけったいな満遍の笑顔で云われたら………かなわんなぁ…違う意味でおうじょうしてまうやろう…』







そしてお茶を煎れて秋斉さんの部屋に戻ってくると、みんなには内緒にしときと懐から可愛らしい和紙に包まれたお菓子をくれ、何気ない世間話に花を咲かせていた


秋斉『…そうや園生はん』
園生『はい何ですか?』
秋斉『あまり…思い出しとうは無いやろうけど…今後…あないな事や往生する様な事柄が園生はんの身に降りかかったら…必ずわてに報告しなはれ』
園生『…アッ……秋斉…さん』
秋斉『わてが知っていれば置屋の亭主として園生はんを守ってやれる…………いや…一人の男として好いた娘を…あんさんをこの手で守れるよって…』

アノ出来事を相談出来ず少し傷を残してしまった私の心と体に、秋斉さんの真っ直ぐな思い遣りが薬となってじんじんと染み込んでゆく

秋斉『…少ぉし頬の赤みが消えへんなぁ…痛とうないか?…此処に来てわてに見せてみよし』
園生『…は…はい』

窓際に月夜を映して座る自分の横を指差し、秋斉さんが私を呼ぶ

申し訳なさや恥ずかしさ…後悔や恐怖感…全てがない交ぜになって返事をする喉元が少し熱くなるけれど、素直に秋斉さんの横に向かう形で座ってみた

座る私の頬の傷を癒やすように秋斉さんの手のひらがゆるりゆるりとさすってくれる

秋斉『……悪ぅおしたな園生はん…助けに行くのが遅うなって』
園生『…っ?!…そ…そんな事!…黙っていた私が悪かったのに…それに…あ…秋斉さんが来てくれなかったら私…私…きっと……』

アノ時助けて貰わなかったらと思い出してしまって嫌な悪寒に言葉と体が少し震えてしまった…

でも、そんな私の不安を切り裂くかの様に秋斉さんが珍しく声を張った

秋斉『止めよし!!』
園生『?!…』

さっき帰って来る時の苦しい心を乗せた表情も珍しいけれど、こんな怒りや苦しみを声で露わにするのを初めて見た…

そしてそのまま秋斉さんは横に居た私を両手で強く抱き寄せ片口辺りに突っ伏したまま、また言葉を発する

秋斉『万が一なんぞ無い!わてが間に合うてなかったらやなんて………っ!!…そんな事考えとうも無い!』

…まるで私より秋斉さんがその結末を恐怖するように強く抱き締める体とは裏腹に紡ぐ息が途切れ途切れに震えている

きっと涙は見せずに心で私の為に泣いてくれている

私がアノ男達に身体を弄ばれてしまっていたらなんて…もしもの未来を秋斉さんの全てが打ち破ってくれる

秋斉『…どんな時もわての側に……わてと一緒にいよし』
園生『っ!…はい……貴方の側に…秋斉さんの側に居ます!』

抱きすくめられる腕をすり抜けて私の腕も広い秋斉さんの背中を抱き締め返す

私を必ず守ってくれると言ってくれ涙がとめどなく溢れ心もこれ以上無いという程熱く歓喜に震えてどう感謝していいかなんて解らない…
でも涙声のまま何とか感謝を口にした

園生『っ…あ…ありがとう…ござ…有り難…っ…います』



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あきゅろす。
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