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「昨日より、ずっと」


 東雲彰人さんは、ちょっと……いやかなり変わった私の夫。
 私の勤める会社の社長令息なのだけれど、親の七光りなんて言葉を物ともしないほど仕事のやり手で会社に入るなり即渡米したらしい。
そのままアメリカにいついてしまうのではないかと懸念した社長が数年後に呼び戻し、しかし30前半の若さで部長の椅子についた彼に文句を言う人など誰もいないほどだった。
 特に彼は女性の殆どが好むであろう男らしい美貌のハンサムで、誰に聞かずともモテただろうと私でもわかる。
おまけに仕事には厳しいが性格は明るく会話も豊富で、当時帰国したばかりの彼を一目見ようと女性社員が鈴なりになっていたものだ。
とにかくこれで文句を言ったら罰が当たるという完璧な男性なのだけれど、……変わっている人だと今もつくづく思う。
 何せその五年の渡米を経て帰国し会社に来た初日に、午前中秘書課が顔見世をかね挨拶をしてはいたが、全くの初対面である私に向かってプロポーズのような言葉を言い放ったのだから。
それも大体の人が退社する時間だったとはいえ、まだ人の多く残っていた社内でだ。
それが彼の隣に並んで遜色のない美女なのならわかる、しかし私は二十数年という人生の中で一度たりとも異性に告白すらされた事のない実に平凡を絵に描くような女なのだ。
 しかも「僕と結婚を前提にお付き合いをして下さい!貴女の為ならダイヤだろうがこの会社だろうが、何でも欲しい物を差し上げます!」という、なんだか妙に切羽詰った到底初対面で口にするとは思えない言葉を。
 失礼ながら、その瞬間に私の彼の印象は「おかしな人」になってしまった……仕方がないと思う。
そもそも私のような女に、それだけ素敵な男性でありながら声をかけて来る事が、やっぱり失礼ながら「とても趣味の変わった人」にしか思えなかった。
当時事前に周囲の人達から彼の女性関係の噂も図らずしも耳に入れていて、むしろそんな人が冗談でも口にする台詞ではないとは感じたのだけれど、……それに冗談で流してはいけないような鬼気迫るものがその時にはあった。
 とはいっても私などでは到底彼に釣り合う事など無理だというのはわかっていたので、出来る限り丁重にお断りした。
アメリカから日本に帰ったばかりで混乱しているのかもしれないとさえ思っていた。
しかし翌日から彼に毎日声を掛けられ続け、流石の私も本当に彼がどうやら私に好意があると認めざるを得なくなったのだ。
 本当に変わった人なのだ。
よりにもよってこの私に、ある時彼は「今まで見た誰より君が綺麗だと思う」と言った。
正直度肝を抜かされた、そして変わった趣味プラス審美眼までちょっとおかしい人と認識を改めた。
 それだけではなく彼は私を「仕事ぶりも気立てもとても素晴らしい女性」とのたまった。
流石に黙ってはいられなくなって必死で否定した、幾ら好意で目が濁っているのかも知れないがそれは幾らなんでも濁り過ぎですと必死に正当に否定した――にも関わらずその時彼は実にこっちがおかしな事を言っていると言わんばかりに妙な顔で私を見て下さったのだが。
 勿論本当にそんな事はない。
幼い頃から点数という意味ではそれなりだったかもしれないけれど、人間点数などではそのよさは表せないのと同じ事だ。
とにかく私は第一に気が回らない、思った事の半分も出来ない、いつもいつもそれを自己嫌悪して口惜しいと思っている人間だった。
 実は海外事業部に入りたくて大学までに六ヶ国語もなんとか話せるようにしたのはいいけれど、憧れの会社に入ったら入ったで何故か美人揃いというイメージ(実際我が社は男女共に有能な美形が揃っている)の秘書課への配属となってしまった。
……その日ばかりは落ち込んで眠るまでお酒を飲んだ。
気を取り直して仕事を学ぼうと先輩についたのだが、他の新人はまだ先輩がついているというのに私は一ヶ月そこらで先輩に「私が教える事なさそうだわ」と匙を投げられ独り立ちを余儀なくされてしまったのだ。
……この日も情けなさと今後の緊張とでかなりお酒を飲んだ。
 とっくに匙を投げられた私だがその後叱責を受ける事はなく、通訳としても借り出される度何故か取引先の方々に気に入られお褒めを頂く事さえ多かった。
けれどももっと上手く伝えられたはずであったのにと、とにかく悔やむ事も多かった。
 いつも私の気力が空回りし過ぎている事はわかっているのだけれど(先輩達にも「気を遣い過ぎてない?」と心配まで掛けてしまったほどだ)、どうも私はいつも上手く行かない。
社内での飲み会に誘われた時だっていつもお世話になってる先輩や上司の方々にお酌の一つでもしかったのに、女性はともかく男性となると強張った顔で震えながらグラスを差し出された……多分私が何か失敗しないかとか却って気を遣わせたとかそういう事だと思う。
……あの日は反省の意味も込めて暫くの禁酒を誓った。
 皆私には勿体無いくらい優しくて気遣いの出来る有能な人ばかりで、私はいつも雑談やちょっとした相談事を聞いてあげる事しか出来なくて、とても自分が不甲斐ない。
そもそも私相手に恋愛感情など持ってくれる人がいるかどうかも疑問だったし、端から仕事に打ち込む事を誓って入社したのだ、こんな私でも社会に出て頑張って仕事ならと自信を持ちたかったから。
 それがやっぱり私の思う通りにはいかないように出来ていると、彼によって思い知らされた気がする。
私なんかが彼のような人にいつまでも誘いを断り続けているのも申し訳なくて(実はちょっと幾らおかしな趣味でもその内目が覚めると思っていた)、それから程無くして彼に断固デートだと主張されたお誘いも受けるようになった。
 毎日毎日のちょっとした会話の中にも彼の仕事に対する真面目さは見て取れたし(実際彼は精力的に仕事に取り組んでいた)、初対面のあれは何だったのかと思うほど社長令息なんて立場は鼻にもかけない人だとわかったという事もある。
そんなお誘いを受けるようになって半年、私の中にもとっくに彼に対して否定出来ない好意が生まれていた。
そもそも私などは手の届かないような高嶺の花なのだから、変わった人だとは思っても憧れめいた気持ちはあったのだろう。
 私が彼の言う「お付き合い」を了承する気になったのは、私の気持ちの変化と、私が懸念した彼を思う女性社員の嫉妬などが驚くほどなかった所為だ。
15までをアメリカで過ごしていたという彼は元々アメリカ気質なのか、初対面のあれの所為なのか、私への好意は殊更オープンにしていた。
多分彼を応援する気持ちが勝ったのだろうと思うのだが、それにしても彼に不釣合いな私に対する嫌味の一つでも言われると思っていたのに、彼のファンと称していた人にまで「お願いだから彼で妥協してあげて」とよくわからない懇願までされてしまった始末だ。
 ……それとも私はあんな素敵な人に靡かないほどお堅いとか理想が富士山より高いと思われていたのだろうか。
分不相応なので身を引いていたつもりだったけれど、やっぱり私の行動は思うようにいってくれない。
 流石に結婚前提は再度お断りしたが、彼が「友達以上のお付き合い」と言い張った、……聞かなかった事にした。
だって私ときたら付き合うという事すら初めてなのだ、一杯一杯で、とてもじゃないが恋人としてのお付き合いなんて考えられなかったのが正直な所だ。
 なの、だったはず、が。
やはり仕事において有能な人は恋愛においても有能だと思わざるを得ない、それにどう考えても彼は恋愛経験値が無駄に豊富そうだし。
そんな私があれよあれよと落款する事など考えるに容易いのに、わかってなかった私は自分の足元しか見えない無能だと言いたい。
 だって無理だ、会話をすればするほどもっと彼の笑った所を見たくなって、彼の話を聞きたくなって、彼の事を知りたくなって、……とても好きにならないでいるなんて無理な話なのだ。
そこで私は数ヶ月の清いお友達以上の交際を経て、彼に自分の気持ちを告げるに至った。
もう今更冗談と言われるとは思わなかったし、そんな事を言う人でもないとわかっていたから。
 そして私達は名実共に恋人という関係になる。
恥かしい気もしたが今まで交際歴はなかったのだと話したはずなのに、その後初めて彼とベッドを共にした後何故か思い切り泣かれてしまった。
その時は私が初めてだったから失望したのかと青くなったのだが、「君の最初の男になれて僕は今物凄く幸せなんです」と、訳のわからぬ理由だった(直後「最後の男にもなりますから」とも宣言された)……慣れた男の人は却って初めての女が酷く面倒だという話を聞いたのだけれど、やっぱり彼は変わっているらしい。
 彼が常日頃から会社でも堂々と私に声をかけて来ていたのだからその時点で考えるべきだった、しかし私はまたしても抜けていて、私と彼が本当の意味で付き合う事になった事など私の目にも明らかに喜び一杯といった彼の顔では今更隠せるはずもなく、あっという間に社内には隅まで広がり、有り難いのかどうなのか「おめでとう」と色んな人にお祝いを頂いた挙句、時折男性社員からは「東雲さんが何か不審な行動をしたらいつでも言ってね」とか「倉橋さんを泣かせるような事があったら俺があいつを制裁してあげるから」とか何故か割と物騒な事まで言われた。
 一度自分の気持ちを認めてしまうと恋愛においてあまり歯止めなど利かない事も私が学習する事になる。
彼の事は顔を合わせる度に好きになっていたと断言出来るけれど、私は誓いを立てて入った仕事もせめて自分なりに思うところまで頑張りたかったのもあって、(ほぼ毎日)結婚を迫られても頷く事はしなかった。
 ――でも恋愛に生じる欲はほとほと尽きないものだと未だに思う。
結局私は少しでも彼と一緒にいる時間が欲しくなってしまい、彰人さんと出会って一年目に入籍した。
とはいっても私はもう少し仕事は続けたかったし(私などに上司が「今君に辞められると困る非常に困る!」と懇願した所為でもあるが)、彰人さんになんとか了解を得て区切りがつくまでは結婚後も引き続き秘書課で働く事に落ち着いた。
 入籍する前にお邪魔させて頂いた彰人さんのお家で改めてお会いした(お義父様――社長の方だけではあるが)ご両親は、至らない私をとても歓迎して下さって、本当に私には勿体無い人が旦那様になってくれたのだと実感したものだ。
 その点で言うとうちの家に彰人さんが挨拶に来てくれた時は非常に申し訳なかったの言葉に尽きる。
私は未熟児だったらしく、その所為なのかそれとも私の元々の駄目っぷりの所為なのか、とにかく両親や姉兄は幼い頃から私を猫可愛がりしていた――それを見て育った弟までも同様だ(私の方が三つ年上なのに……)。
まあ私以外の家族は皆美男美女の万能人間で通っていたので、一人平凡で気の回らない私を過剰に心配する気がなくもないのだろう。
 そんな今まで彼氏一人いなかった私が突然夫になるという人を連れて行ったものだから、当日は騒然とした。
本当は彼氏としてから紹介する予定だったのだが、彰人さんが家族の全面拒絶の空気を読んだのか読めなかったのか、「お嬢さんを僕に下さい」とすっぱりきっぱり仏頂面を隠しもしない家族に向かって言ってしまったのだ。
 ……その後の事はもう惨劇としか言い様がない。
父は宝刀を持ち出そうとするし、母は「貴方のように遊び慣れているような男性がうちの娘に相応しいとは思えません」とか言い出すし、兄は彰人さんに掴みかかるし姉は足蹴にしようとするし弟は私をどこかへ連れ出そうとするしで、……私が我慢し切れず怒鳴らなかったら殺人現場にでもなりかねなかった。
勿論そうする気など毛頭なかったから、一人一人正座して落ち着いて貰って、彰人さんを手当てしてから五時間に渡る話し 合いの末、渋々といった顔でも許可は貰ったけれど。
「このままじゃ子供を作って盾に取られかねない」とか「結婚させても後で離婚させればいいだけの話よ」とかこそこそ家族が話していたのは、これも聞かなかった事にする。
 家を後にしてからも再三私は彰人さんに謝ったが「いいです、敵は身近にありとはよく言ったものですから。絶対負けません」とよくわからない決意を新たにしていた。
あんな目に遭っておきながらそれでも私を嫌にならない彰人さんはやっぱりとにかく変わっている。
私とて彰人さんと別れるなど考えられるはずもないが、それでも彰人さんの両親からあんな扱いを受けたら落ち込まずにはいられない。
 思い返す度に彰人さんは足りない私に神様から贈られた宝物のようで、私は毎日彰人さんを好きになる度相応しくなれるよう努力は怠らないと、新しい決意を胸にしている。
「まだ東雲と別れる気ないの?」
 今日は彰人さんが帰りは少し遅いと言っていたから、夕飯は温め直して食べられるもので……と考えながら帰り支度を整え会社を出ようとしたところでそう声を掛けられた。
 私の独断と偏見では、そんな風に聞いて来るのは女性だと思っていたのだけれど、時折こんな言葉をかけて来るのは何故か男性だけだった。
それとも同性だけど彰人さんが好きだからだろうか、もしくは憧れの人がこんな私を娶った事が許せないからだろうか。
 どちらにしろ別れを望まれているようで決していい気分ではない、おまけに遠回しに私の駄目っぷりを指摘されている気がする。
仕事の事でなら有り難い指摘も、流石にこんな事まで口を出されては不愉快だ。
「ないです」
「あんな面白味もない奴、飽きない?」
 それはこちらの台詞なのだが、どうして急に彰人さんを侮辱するような話になるのだろう?
この手の話題を出して来る人は結局何が言いたいのかさっぱりわからない。
 私では彰人さんの妻として相応しくないから早く別れろと言いたいんだと思っても、次には必ず彰人さんの事を侮辱し出すのだ。
けれどそれで私の気分はさっきよりも更に急降下する。
「私は彰人さんの事おかしな人だと思っていますが、私はそこがとても好きなんです。毎日毎日大好きだと思ってます」
 きっと彼を見上げてそう言うと、何故か顔を赤くして「あ、ああ……」と頷いたのを確認して、私はそのまま踵を返し会社を後にした。
 だから飽きられないように努力するつもりだとも言おうと思ったけれど、あんまり思うように結果を残せていない私が言っても説得力がないだろうと思ったので止める。
こんな事をもう言われなくなるように、今日の夕食も頑張って作ろうと私は気合を入れた。








 旧姓、倉橋みなもは僕の完璧な妻だ。
 何が完璧かと言うとまず容姿、身長167cmのスリムながらもグラマーと言ってもいいスタイルに、小さな顔に長い睫毛が縁取る大きな目、それからすっと通った鼻筋に少しふっくらとした形のいい薔薇色の唇、透き通るような白い肌、まだ24だというのに色気を含んだ美女と言って差し支えない……しかしその微笑みは童女のようにあどけなく可憐。
六ヶ国語を操る頭脳を持ち、秘書課でもベテランを物ともしない仕事のやり手、その才能は秘書課だけでは惜しいとあちらこちらの部署から未だ引く手数多(しかし一度彼女を手にしてしまった秘書課の連中が必死に食い止めている)。
何より彼女は気立てに長けている、人を立てる所を外さずしかし決して甘やかし過ぎもしない、話せば穏和で話し上手の聞き上手、立ち振る舞いは至極清楚。
同性からとて彼女相手では妬みの対象にすらならず憧憬と羨望の的、異性からは手を伸ばす事さえ叶わぬ高嶺の花、それでいて老若男女共に友人は多く誰もが皆彼女に好意を持っている。
 そんな彼女に一年と半年前、一目惚れしたのは僕だった。
「僕と結婚を前提にお付き合いをして下さい!貴女の為ならダイヤだろうがこの会社だろうが、何でも欲しい物を差し上げます!」
 ――ふとした折、未だに思い出しても羞恥で顔を覆いたくなる台詞だが、一字一句違わぬこれが彼女と初対面の僕の第一声だった。
 僕はあの日五年の海外勤務から日本に部長として戻って来たばかりで、社内を見て回っていた時丁度通り掛かった秘書課の人間を紹介され、その中にいた彼女に一目惚れをしてしまった。
幾ら何でも僕とてその場で小学生でもしないようなプロポーズもどきをした訳じゃない。
その日一日彼女の仕事ぶりを見て、今まで自分が散々馬鹿にしていた一目惚れだと自覚したとたん……我慢が出来なくなってしまったんだ。
退社する間際の彼女を捕まえて言ってしまった、まだ多く社員が残っている社内で。
 正直今思ってもあの時はつくづくパニック状態だったんだろう、彼女のような人に当然恋人がいるだろう事も、僕自身恋愛なんて興味がなかった事も、もう何もかも忘れてただとくにかく彼女を引き止めたくてやってしまった。
「生憎ですが私は初対面の方と結婚を前提にお付き合いする気はありません。ダイヤも会社も要りません。第一東雲部長から何かを頂くような義理もないです」
 僕にそう言って頭を下げた彼女の言い分は至極尤もだった。
しかし僕はその一言で更に落ちる所まで恋に落ちてしまった。
 あまり思い出したくないあの第一声で言った言葉は別に本当に突拍子もない事ではなく、僕はいずれ社長としての椅子を任される事になる――所謂社長令息だった。
15までをアメリカで過ごし、それから日本に戻って数年を過ごし会社に入ってからすぐまたアメリカへ飛んだ。
実を言えばアメリカでの方が公私共に過ごし易く、親父に戻れと言われなければ日本にもう戻る気もなかった。
 どうやら女受けする顔の上に将来も一応約束されているとあって、日本ではアメリカなんて比じゃなく女性からのアピールがキツかったからだ。
大学時代はいっそ女性が寄って来る度にあらゆる身の危険を感じたものだ。
アメリカでは幸いな事に周囲の女性はいい意味で自立した女性ばかりで一時のみの恋人としても実にパートナーシップを心得た人達ばかりだったものだから、正直言うと日本に戻れと言われた時は当時を思い出してさながら売られる子牛の気分だった。
 僕は結構な「日本女性アレルギー(家族は除外する)」を持っており、日本に戻る条件に「お見合いは絶対にさせない」と親父に念に念を押させていた。
そんな僕が確かに一見純粋な日本人には見えない(ところが彼女は生粋の日本人らしい)とはいえ、初対面の女性にプロポーズもどきをしてみせたのだから、その場に居合わせた親父は腰を抜かしそうだったっけ……。
 そう、だから友人にさえ「お前が甘い言葉の一つでも吐けば落ちない女はいないだろうな」と言わしめた僕に、こうも実に非常識な僕のプロポーズもどきを常識的に一刀両断した彼女に、好意のメーターは限界をぶっ千切ったという訳だ。
 かくして当然彼女に実に非常識な男として烙印を押されてしまった僕は、その後のアピールはどれも全滅。
彼女に現在恋人がいないという事を糧に、それでも僕は諦めなかった。
そんな僕を見て親父まで「お前では彼女に釣り合わない、いい加減に諦めろ」と引導を渡されそうになったが、とてもじゃないが分不相応だろうが何だろうが、彼女の隣に他の男が並ぶ事など考える事も出来なくて僕は更に躍起になった。
仕事に真面目な彼女に認めて貰おうと今まで以上に仕事に精を出したし、毎日毎日彼女に挨拶をし、第一の失敗を返上すべく会話出来る時は真摯に努めた。
 そしてそれが功を奏して、半年後にはなんとか「友達以上のお付き合い」を彼女に了承してもらう事に成功したのだ。
更に深く会話をするようになって、僕の彼女に対する完璧という認識は深まっていった。
僕と肩を並べて仕事の会話が出来るほど博識であったし、それでいて相手を立てるという男がされて嬉しい事を常に自然にしてくれる。
 僕は毎日、酷い時には毎分毎秒、彼女を好きだという思いを上塗りした。
そしてとうとうそれがまた更に限界を超え、愛して愛してどうしようもなくなった頃、彼女も僕が好きだと告白してくれたんだ。
 帰国した初日から、女性に追い掛け回されて来た僕が一気に「倉橋みなもの尻を追い掛け回す男」として周囲に認識され、「もう諦めろ」「手が届かないからこそ高嶺の花なんだ」などと同期兼友人達に同情交じりに諭されて来た僕が、背中に薔薇を背負ったようにして出社したのだから、露見したのは言わずもがなだ。
その件については当時彼女からきつく叱られた、あからさまに社内恋愛など僕でさえ問題外視して来たというのに、叱られても僕は幸せだった、むしろちらちらと彼女に視線を送って来る各取引先にでさえ自慢したかった。
 おまけに彼女と念願叶ってベッドを共にした際、なんと僕が彼女の初めての男だとわかったのだ(あまりの感動と幸福に僕は初めて人前で泣いた)、彼女を知る男なら誰もが一度は諦めながらも妄想しただろう聖域に僕だけが踏み込んだのだ……僕の顔を引き締めようにもどうにもならなかったのは仕方がないと思う。
 そして恋人としての交際も経て彼女と出会って一年目となった日に入籍した、完璧な女性は僕の妻となった。
当然完璧な彼女は完璧な「娘」や「妹」ひいては「姉」であったのも想像に容易で、結婚前交際の報告に彼女の実家に行った際には彼女の父と母と姉と兄と弟にこれでもかと嫌味を浴びせられここぞとばかりに殴られ……あまり思い出したくはないが、とにかくあの時は死ぬかと思った。
 交際していた時も互いの部屋に行き来はしていたのでまあわかってはいたのだが、プライベートにおいても彼女はやはり完璧だった。
何をやらせても上手い、料理は何を作らせても高級料亭か有名レストランかというほどだし、掃除に至っても手際よくあっという間に済ませ塵一つ落とさない、気配りも並大抵ではなく僕と過ごした翌朝は必ずいつの間にか洗われたシャツなどにアイロンまで掛けられていた。
 そんな彼女に、仕事ぶりでもとうに評価していた親父だけでなく、お袋は涙を流さんばかりに喜んだ。
そもそも女性というものに仕事ではともかくプライベートで全面の信頼を置く事を拒絶してすらいた僕が捕まえて来る嫁など、端から期待していなかった母なのだからそれも当然だろうと思う。
今では何かあると「みなもさんに嫌な思いなどさせていないでしょうね?」「みなもさんを逃がしたら金輪際お前は家の敷居を跨がせませんからね」と呪いのように口にする。
 勿論僕はみなもに嫌な思いをさせるつもりも、逃がすつもりなども到底ない。
彼女に嫌われでもしたら間違いなく僕は生きて行けないだろうと思う、それに僕ではない別の男とみなもが幸せになるなど考えたくないしとてもじゃないがその幸せを応援するなど出来ない。
 僕の妻となっても完璧な女性であり続けるみなもは、未だどこへ行っても男達の視線の的だ。
結婚式の時でさえ堂々新郎の前で花嫁を口説く男さえいたし(それは彼女にどきっぱりと拒絶され挙句嫌悪されてはいたが)、社内でもまだ僕が過去のように他の女性と遊びのような関係を持って僕達が別れやしないかと虎視眈々目を光らせて僕の動向を探っている輩も少なからずいる。
結婚など何の障害にもならないどころか、高嶺の花も手折られると却って周囲に認識させただけだ。
 だから僕はどれだけ仕事が忙しかろうが、みなもとの会話や触れ合いを最優先として過ごしていた。
「東雲部長……あれだけ完璧な人を奥さんに持っちゃうと疲れませんか?」
 そんな僕に珍しく、というか久しぶりに媚を売ったような視線を投げて来る女子社員がいた。
みなもと結婚してまだ半年だ、全然新婚と呼べる時期だというのに、いやこの先生涯新婚だと宣言する。
 それともその言葉通り、実際完璧過ぎる女性を前に疲れ癒しでも求めていると思っているんだろうか?
完璧は、欠点がないからこそ完璧というのに?
 そうでなければ完璧ではない僕が、彼女に相応しくあろうとして疲労してるとでも言いたいんだろうか。
だとすれば、随分な皮肉だなと思った。
「いや?彼女は僕の疲れを一瞬で吹き飛ばしてくれるという点においても完璧だよ」
 にっこりと真実を告げると、目の前の女子社員は作り損ねた笑みを歪ませた。






「みなも……?」
 まだ秘書課に勤めている彼女だが(引継ぎと新人教育の為あと一年ほどは退職を待って欲しいと彼女とその上司に揃って頭を下げられた結果だ)大抵は僕より早く帰って夕食を作って待ってくれている。
明りが点いているところを見ると出かけてはいないようだが、いつもなら出迎えてくれるはずの彼女が出て来ないのに不審を覚えた。
風呂にでも入っているのだろうかと、ダイニングに用意された食事のラップを剥がし少し摘み食いをしながら上着を脱いで待つ。
今日は僕が少し遅くなると告げたから、多分温め直せばいいものをメインに作ってくれたのだろう。
 けれど冷めても充分に美味しい食事に僕は知らず口元に笑みを浮かべたが、すぐ徐々にそれは心配という名の下に消えていった。
チャイムは押してるのだから気付かないはずがない(風呂場にだって聞こえる)、しかし10分が過ぎてもみなもが来る気配はない。
タイミング悪く僕が帰る直前に入ってしまったのだろうか。
 僕は立ち上がって風呂場の方へ歩いた。
……ああ、僕は完璧な妻を悠然と待つような、出来た夫ではないんだ。
「みなも?……みなも!?」
 しかし風呂場は明りすら点いておらず蛻の殻で、僕は慌ててその場から駆け出し部屋から部屋のドアを開けて彼女の名を呼んだ。
 そして漸く最後に辿り着いた真っ暗な寝室でその小さくなった姿を見付け、僕は腰が抜ける思いで歩み寄る。
 しかし待ち疲れて寝てしまったのかと安堵さえしていた僕の心は、ベッドの上で丸くなるみなもから聞こえた泣き声によって呆気なく崩れ去った。
「みなも、どうしたんです!?」
「お、おかえりなさい……」
 ぐすぐすと啜り泣きながらも律儀にそう言って、彼女は僕の顔を見るなりまたその大きな目に相応しい大粒の涙を零す。
僕が慌ててその体を起こし抱き締めると、みなもは泣いてさえ美しいその顔を僕の肩に押し付けて抱き付いて来た。
「何があったんですか?」
 出来る限り優しく、彼女の柔らかな髪を梳くように頭を撫でてそう問う。
 僕の頭の中ではしかし激しく思考が渦巻いた、まさか誰かに何かされたのではないか……そうであるなら彼女を憂いに導いた相手を八つ裂きにしてやる。
 暫く鼻を鳴らしたみなもは少し落ち着いて来たのか、掠れた声でこう言った。
「――お料理、失敗しちゃって……」
 寸でのところで盛大に肩を落としそうになるのを堪えた自分を少し褒めたい。
 ああ、多分、きっと、まただ。
こんな時の彼女には間違っても「そこらの料亭の料理よりずっと美味しい」なんて言ってはいけない。
「失敗したようには見えなかったんですが?」
「ううん。あのね、この前お義母様にとても美味しいレストランに連れて行って貰ったでしょ?」
「ああ……」
 そういえばその日は漸く繁忙期を抜けてやっとみなもと丸一日一緒にいられると、僕はその日を一週間前から楽しみにしてどこに連れて行こうかと計画を練っていたんだ…………突然やって来てみなもを連れ去ってしまったお袋に丸潰しにされたが。
帰って来た彼女が「とても美味しかった」「凄く素敵なお店だった」と喜んでいたから多少の溜飲は下げたんだ。
「そこのね、家庭料理を真似しようと思ったの。でも全然そんな味にならなくて……」
 まあ確かに彼女は適当な材料でもまるでテキストをそのまま何の間違いもなく完璧に料理したようになってしまう。
大体一般的に言われる家庭料理はテキスト通りになどいかず、その家庭特有の材料が入れられたり調味料は目分量だったり勘だったりするものだから、何でもきっちりとこなしてしまう彼女には却って難題かもしれない。
「そういえばなんか、私いっつも味気ない料理ばっかりだったなって思って」
 彼女が作るものが味気ないなどと言ったら大体の人間が味オンチとやらになってしまう。
どうやらそこのレストランで出された家庭料理に余程感銘を受けたらしい……そのレストランに非はないのだろうが割と迷惑だ、家庭料理を商売にしないで貰いたいな。
「そうしたら、なんかどんどん私いっつも上手く出来てないなって、落ち込んで来ちゃって……悲しくなっちゃったの。お化粧だって雑誌みたいに出来ないし、彰人さんにいつも綺麗でいるなって思われたいのに……飽きられないようにしようって勉強してもちっとも上手く出来なくて。この間から作ってたパッチワークのも、今日帰る時近所の奥さんに会ったら、あれおっき過ぎると可愛くなくなるのよねって言ってたの、私そういえば止まらなくなってベッドカバーにしようかなと思っておっきくし過ぎちゃってたのも思い出して」
 …………。
そうなのだ、この僕の完璧な妻は、実はとてつもないコンプレックスの塊なのだ。
しかも自己設定するハードルが、この通り妙な方向だったりするものだから、一般的な慰めなど何の効力もない。
 実に普通に言わせて貰えば、料理は本当に何を作らせても美味いし、彼女は素がそもそも綺麗だから却って今のゴテゴテとした化粧は似合わないだろう、僕は彼女を見る度に綺麗だと思っているし飽きるなんてとんでもない、パッチワークのそれも確かに最初の予定より大きいかもしれないが売り物に出来るほどの出来栄えだ。
そう言おうとも彼女は決して納得しない、何がどうあってそうなったのか未だ謎のままなのだが、彼女は自分の外見すらも正しく把握出来ていない上、「普通」という認識ですらあるのだ。
 僕は彼女を抱え直してその滑らかな額に口付けた。
「僕はいつも家庭料理を食べていると思っていましたよ?みなもが作る美味しい料理は家に帰らないと食べられないでしょう、どこの店もどこの家も敵わない、僕達の家でしか食べられない料理だ」
「……私達の?」
「そうです、みなもだけが作れる、僕達の家だけの料理。それが家庭料理でしょう?」
 そもそも、は。
「みなもも働いて疲れているのに、いつも美味しい料理をありがとう」
 ちゅっと音を立てて唇に口付けると、薄暗い中でもぽっと彼女の白い頬が赤く熱を持ったのがわかる。
そのまま深く唇を探りたい衝動をぐっと堪えた。
「それから化粧が上手く出来ないと思うなら、うちの姉さんに相談したらどうでしょう?雑誌に載っているからと言って全ての人が上手く出来る訳もないだろうし、姉さんなら本職だから、みなもに似合った化粧の仕方を喜んで教えてくれる思いますよ」
 実際僕より五つ上の姉は一目見た時からみなもに化粧を施したくてうずうずとしていた、調子に乗るから僕が今まで必死に食い止めて来たのだが、この際背に腹は変えられない、みなもが泣くよりずっといいだろう。
今後山のように姉から化粧品が送られて来るだろう事は想像に容易い。
一度習えばみなもはすぐ覚えるだろうし、あとは僕がまた化粧を口実に会いに来ると言い出すだろう姉を食い止めればいい話だ。
 ……苦難ではあるが。
「あとは……ベッドカバー、楽しみにしてます」
「え?」
「いいじゃないですか、ベッドカバーで。眠る時にみなもの手作りのものに包まれるなんて、僕は楽しみですよ。でも……汚さないように注意しないとね?」
 こそりと耳元に囁けば、抱き締めたみなもの体がじわりと熱を帯びる。
それに伴ってみなもの甘い体臭が僕の鼻に届いた、……媚薬のようにいつだって僕を狂わせる香りだ。
「みなも」
 泣き止んでくれた事にほっとしつつ、みなもに引き出された僕の熱も伝えるようにぎゅっとその体を抱き締めた。
すると喘ぐように息をついたみなもが僕の首に腕を巻き付けて来る。
……美味しい家庭料理は、まずは後回しだな。
 そのまま彼女をベッドに押し付けて、僕は欲望のまま彼女の唇を思う様貪った。
そして彼女の見た目だけではない体から齎される完璧な快楽を味わうべく、僕は女神に愛を乞うように手を伸ばす。




 実に、実に、実に実に、何度体験しても飽きなど来ないからこその完璧なのだと、毎回僕の身に叩き込まれているようだ。
30前半で部長というには若いかもしれないが、しかし早々に枯れる奴はもうその片鱗が出ていい年でもある。
しかし彼女と人生を共にする限り現役は退いても、彼女との快楽への興味は絶対に尽きないと断言出来る。
 その証拠に結婚して半年、どんなに時間がなかろうとも隣で寝ている彼女に毎晩毎朝仕掛けずにはいられない。
大概の男はこの美貌を前に恐れをなし、拝めるだけでも果報だと言う愚か者がいるかも知れないが、僕は目の前の果実を眺めるだけで腐らすほど罰当たりではない。
 ……そもそも彼女が腐るかどうかも疑問だが…………多分僕は老人と呼ばれる年になっても妻に寄って来る男の心配をしているんだろうな。
「みなも、シャワー浴びよう。連れて行きますから、そのままでいいですよ」
「ごめ……なさ、……朝食……」
「いいんですよ。今朝は僕がしつこくしてしまいましたからね。でもみなもがいけないんですよ、昨夜あんなに可愛い事を言うから。女性が意図していなくとも、可愛い事を言われたら男は誘われていると思うものだと以前にも教えたでしょう?」
 昨夜も遅くまで散々ベッドに引き止めた挙句今朝も彼女をベッドに縫い留め続けた男が言うと実に都合のいい台詞に聞こえるだろうが、なんとかこう他の男に泣き言は絶対に言わないと思い知らせなくてはならない。
勿論みなもは今では僕だけを愛しているとわかっているし、大体簡単に男に靡くような女性でもないのだから過保護だと言われるだろうが、しかし油断は大敵、一瞬の隙が命取りだ。
「でもすみません。折角みなもが作ってくれたのに、夕食も手付かずのままで」
「……いえ、お陰で朝食は温めるだけでいいし……………………彰人さん?」
「そうですね、それではシャワーを浴びに行きましょう」
「彰人さん!今朝もこんなにするつもりで昨夜夕食は後でとか言ったんでしょう!」
「ほらほら、暴れないで。今日はお休みですから、シャワーもゆっくりじっくりたっぷり浴びて綺麗にしましょうね」
「ウソツキー!」
「みなもは本当に可愛いですね。愛してますよ」
「私もだけど……ウソツキー!」
「今日もたっぷり愛し合いましょうね」
 彼女は美しく、可愛く、清楚で可憐で妖艶で、人としても女性としても妻としても、完璧だ。
自分の事となるとすぐ落ち込んでしまって、そうして僕の愛と情欲を擽り誘う事にすら、全てにおいて。
 昨日よりもずっと今が魅力的な、愛を育む事にとても――非の打ち所がない。
「大丈夫ですよ、食事とトイレ休憩くらいは許可しますから」
「ウソツキー!」








「そもそもどうして今日になって家庭料理を作ろうなんて思い至ったんです?レストランで食事をしてから間が空いているように思うんですが」
 結局朝食も食べ損ね、昼食の時間になって漸く昨夜の夕食を温め直して二人で食べ終えた後、まだ釈然としなかった私に彰人さんが謝り続け土下座までしようとしたところでなんだか結局私が折れた。
 彰人さんが淹れてくれたコーヒーを飲みつつ、ソファの上で膝の上に抱えられながら聞かれる。
未だに恥かしい体勢ではあるけれど、常に触れたがる彰人さんは断ると目に見えてしょんぼりしてしまうので、やっぱり結局私が折れる。
 でも彰人さんが望むのだから、気恥ずかしさは押し殺すのも勿論吝かではない。
「――という事がありまして。だからこの前の事思い出してもっと妻らしく家庭料理と思ったの」
 実に私は料理も下手だ、なんというか自分で食べても大量生産されたような味がする。
初めて彰人さんが私の手料理を食べて美味しいと笑顔で言ってくれた時、その優しさに感激して泣きそうになった。
 でもやっぱり私は進歩もなく他所のお宅でご馳走になるような料理は作れない。
「…………」
「た、単純で呆れた?」
 ふいに難しい顔で黙ってしまった彰人さんに慌てて聞いてしまった。
聞けば彰人さんは絶対に呆れたなんて言わないのに、……もっと夫の気遣いを減らせるような奥さんになりたい。
「あ、いえ、そうではなくてですね。いつもそんな風に言われるんですか?」
「え?あ……いつもではないけど、時々?あっ、でも私別に気にしてませんから!悔しいので頑張ろうって常に緊張感を忘れない為にはある意味刺激になると言いますか!」
「みなも、敬語になってますよ」
「あ、すみま……ごめん」
 自分だって敬語のくせに(日本に来て覚えた言葉は最初敬語だった所為らしい)、せめて私には砕けて話してもらいたいという。
私こそ年上の人に敬語以外で話すなんて家族以外にはなかったから、未だになかなか抜け切らないけれど。
彰人さんがそう望むなら、これも努力、そしていつか全て自然に出来るようになるといいな。
 小さく笑った彰人さんは私の思いを肯定するように額にキスをくれた。
けれどまたすぐ神妙な顔になってしまう。
「ねえ、みなも。確かにみなもにとっては気にしないでいられる事なんだろうけどね。もし僕が誰かに同じ事を言われていたら、君はどう思う?」
「え……あ、駄目です……駄目です駄目です!」
 そもそも彰人さんにそんな事を言って来る人は私に言いに来るのと違って、確実に彰人さんが好きな人だから。
その人には申し訳ないけれど、彰人さんが困るのは嫌だ、私の事を侮辱されれば怒ってくれるだろうし嫌な気持ちにさせるのも嫌だ、何より彰人さんが他の人に取られちゃうのなんて絶対に嫌!
 こんな私を好きになってくれた彰人さんが美人とかいうだけで心が動かされるとも思わないけれど、でも中には強引に彰人さんを攫って行っちゃうような人がいるかも知れない。
 ……なんか嫌、凄く嫌、架空の誰かが彰人さんに話し掛けるのでさえ、思うだけで気持ちが沈む。
「うん、大丈夫ですよ。相手に決定的な事を口にさせない話術くらいは身に付けていますからね」
 よしよしと子供をあやすように頭を撫でてくれる彰人さんに、取り乱してしまった事が猛烈に恥かしくて誤魔化す為に彰人さんに抱き付いて顔を隠した。
そんな事をしたって彰人さんにはバレているだろうけれど。
「で、私の心境がおわかりになって頂けましたか?」
「……あの、言いたい事はわかるんだけど……私と彰人さんじゃ立場が違うでしょ?」
「立場?」
「だって、私に言って来る人達はきっと彰人さんを尊敬してたりするからだもの」
 私の言葉に彰人さんはぴたりと固まって私をじっと見下ろした。
う、な、何?真正面から間近で見詰められると呼吸が止まりそうなんですが……。
「あの…………いえ、……はあ」
 何故そこで溜息?
「すみません、あまりのあまりで言葉が出て来ませんでした。とりあえずそれは確実に誤解です」
「そんな事はないと……」
「誤解です、私の言葉が信じられないのなら体でお教えしま」
「今日はもう結構です」
「……残念ですね。むしろその連中は僕に敵意なる憎悪を抱いています」
「ぞ、ぞうお?」
「そうです。そして敵である僕に真正面から向かわずに姑息な手段を使う実に卑怯極まりない人間の屑です」
「く、くず……」
「その通りです。そして夫である僕の敵は妻であるみなもの敵です、わかりますね?」
「は、はい」
「勿論そうした愚か者共を成敗するのは夫である僕の役目ですから、みなもは今後逐一そのゴミの名前を僕に報告して下さい、わからなければ特徴、IDカードを見る事も忘れずに」
「…………」
「みなも、お返事は?」
「は、はいですっ」
「よろしいです。……ええもうたっぷりと制裁を加えてあげましょうね……」
 ――……妻である私は普段の夫からは聞けるはずもない単語が聞こえた事は全て忘れなければならないのだと思う。
これも彰人さんの相応しい妻であり、女性になる未来の為に。




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