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幻想
13





場に立ち込めていた嫌な空気が消え、漸く一息付けることができた私にアルベルト殿は声を掛けてきた。

「ラウル様は行かなくてよろしいのですか?」

皆様、陛下にお目通りになるための身支度を整えに行かれたようですが、と続く。後宮に住まう者として、主が訪れたのならば出迎えるのは当然ではあるが先の女性たちのように血相を抱えてまで急ぐこともないだろう。そもそも男である私には心身を飾り、ヨルダン様の目を楽しませることなどできはしないのだから。
私の応えにそうですかと短い返事をしたアルベルト殿は、ふと私の側に仕えるラビィへ視線を巡らせた。なんとなくその視線が意味深な行いに思えた。事実、アルベルト殿の視線を受けたラビィは何も言わず小さく頭を下げていた。二人にしか分からない、何らかの無音のやり取りが行われたのだろう。それを問い質すのも幼稚なことと、私は口を閉ざした。

「ラウル様が後宮入りしてから昼間に陛下が此処を来訪されるのは初めてですね。凡そ陛下が昼間に後宮を訪れるときは、中央庭園へいらっしゃられます。妾后様方には陛下が来訪される際は、必ずその場へお集まり頂くことになっております。ラウル様もお急ぎ下さい」

後宮は円状に構成されている。円周上に妾后毎の住まいが用意されており、その住まいから円の中心に向かって、自らの庭を設ける。ただし、円の中心には中央庭園と呼ばれるどの妾后の敷地にも属さない場所がある。この中央庭園は、後宮全体の三分の一ほどの広さで陛下の庭として展開している。後宮で行事があるときや、今回のように陛下が来訪された時はこの庭園に一堂が会するのが決まりとなっているらしい。
恐らく、後宮で何をするのも自由である妾后たちにとって、唯一の義務だろう。

その義務を果たすべく、私もラビィを連れ添って茶会場を後にした。そろそろ他の方々も準備を整え、中央庭園に向かい始める頃だろうし、ちょうど良い頃だろう。
数歩後ろで歩くラビィを見ると、全くいつもと変わらぬ表情で淡々と私の後をついて来ている。先程のアルベルト殿とのやり取りで何か変化があるかと思ったが、私の考え過ぎだったようだ。

中央庭園に訪れたのは、これが初めてではない。最初のヨルダン様へのお目通しの場も今思えばこの中央庭園だった。何人もの人が座れる大きな長椅子にヨルダン様と妾后方が腰掛けていたのが印象的だった。
私が庭園に到着したときには、既にほとんどの妾后方がいらっしゃられていた。皆一様により美しさに磨きが掛かっているように感じられる。妾后方は陛下が坐する長椅子へ伸びる赤絨毯の縁に沿うようにし、互いに向かい合って並んでいる。今か今かとヨルダン様の訪れをお待ちしているようだ。私もその列の最後尾へ、身を紛らせる。列に並ぶ妾后の顔を見てみると、席に近いほどより高位の妾后が並んでいることが分かる。第一妾后と第二妾后のお二人が列の先頭に位置し、その隣に隣国の王家出身の妾后たちが続く。国内の有力貴族出身の妾后たちがその後に続く。きっと後宮入りした順番で並んでいるのだろう。

私が後宮入りした時、ヨルダン様が昼間から後宮にいらっしゃったことで、毎日のように後宮で過ごされているのかと危惧していた。しかし実際ヨルダン様が昼間から後宮にいらっしゃられるのはあまり無いということに、ひどく安心した。やはり、陛下たるもの執務に追われ、忙しい日々を過ごされているのだ。その片手間に後宮へいらっしゃられることは、ヨルダン様にとって良い休息になられるのだろう。
そんなことを考えていたら、突然場の空気が変わった。風が来訪者の訪れを告げる。

「ようこそ、いらっしゃいました」

アナスタシア様の声とともに、妾后が全員腰を折る。私もそれに倣い、慌てて深い礼を行った。

「ああ」

短い声だったが、私の心を熱くするのに十分だった。
ヨルダン様だ。このような近くで再び見えることができるとは。騎士時代の仰望の念が今でも消えることはない。この思いは私一個人の思いであるとともに、国民全体の思いの筈だ。自国の王にこのような近場で見える機会など、普通はない。だからこそ、手を伸ばせば届くような距離に、ヨルダン様がいることに一重に感動を禁じ得ない。
陛下が長椅子へ腰を下ろされるまでは、我々が顔を上げる訳にはいかない。今まさに目の前を通り過ぎようとしているヨルダン様の御尊顔を早く拝見したく、胸を熱くさせる。

すると、面前でヨルダン様の足が止まった。





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