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お題
その後




近すぎて見えない。だから遠ざかった。そうしたら、余計に見えなくなった。



鏡夜の意識が目覚めた。



あれから半年後のことだった。

私がその連絡を受けたのは、仕事帰りの車の中でだった。車を道路の端に停め、携帯に出ると焦った母の声がした。

“鏡夜の意識が戻ったのよ!!”

歓喜溢れるといったようだった。最近の母からは想像も付かない興奮ようである。その声は私の時を止めた。電話越しの母の声が、遠く聞こえる。
私は世界から孤立していた。



鏡夜の意識が戻ったことは、私にとって願いの成就と安らぎの時間の終焉を示していた。
いつの間にか意識のない鏡夜を見つめることが私の安らぎになっていたのだ。その瞬間だけ、私は私のたった一人の弟に真っ正面から向き合えた。
一体いつから食い違ってしまったのだろうか。鏡夜に対していつも辛い言葉を投げ掛けてしまっていた。

それほど強く言わなくてもよかったというときが多々あった。しかし鏡夜の前に立つと、つい強い口調になってしまう。いつからそうなってしまったのだろう。今にして思えば、あの出来事が発端だったに違いない。あの日、家族全員で海に出掛けた日。鏡夜は初めての海ということに加え、ボールを母に買ってもらい大いにはしゃいでいた。鏡夜は足が付かないところには近付いてはいけないと言われ、浜辺付近で母とボール遊びをしていた。昼食時になり母が食べ物を買いにその場を離れたとき、事件は起こった。
波が鏡夜の手からボールを浚っていったのだ。あっという間にボールは鏡夜の足が届かぬ奥まで運ばれていってしまった。それを追い深い区域まで行く鏡夜。誰も止める人間がいなかった。

そして鏡夜は波に浚われた。
初めに気付いたのは買い出しを終えて帰ってきた母だった。母の叫び声がし、父が至急駆け付け鏡夜を救助した。

救助された鏡夜のやけに冷たくなった身体を今でも鮮明に覚えている。意識なく浜辺に横たわる鏡夜に父が懸命に人工呼吸をした。その様を傍で見ていることしか出来なかった私。そんな自分に吐き気がした。

私のたった一人の弟。

その弟が死の危機に面しているというのに、私は何もしてやることが出来ない。そんな自分が惨めで情けなくて。
だから鏡夜が息を吹き返したとき私は決心した。
これより先、どんなことがあったとしても私は鏡夜を危険から守ろうと。あらゆる危険から鏡夜を守る存在になろうと。
そんな意識が私を取り巻き、強固な姿勢を持たせた。常に気を張って鏡夜をこの世の全てのものから守ろうとやっけになっていた。

いつしかそれは私の全てとなり、生きる意味となった。
しかし実質、それは鏡夜の個性を無視したエゴイズムなものであった。鏡夜の意向を全く無視して、私の考えを押し付け強制させていた。

こんな私を鏡夜が疎ましく思わない筈がない。私の顔など見たくないだろう。鏡夜が目覚めたのならば、私はもう病院に行かない方がいいに決まっている。私が行ったところで鏡夜に嫌な思いをさせてしまう。
だから私は母の声に応えることは出来なかった。





久し振りの休日、私は一人自室で休息をとる。鏡夜が目覚めてから数週間が経過した。長い間植物状態だった鏡夜はやはり簡単には退院出来ないようで、未だ私は鏡夜と顔を合わせないで済んでいる。
しかしこのままでいるなど出来はしないのだ。いつかは鏡夜は退院し、この家へと戻ってくる。そんな折りに、家へと届けられて一通の手紙。差出人は鏡夜の名前だった。

私はその手紙を手にし、ゆっくりと封を開けた。





初めて手紙を書きます。
僕は長い間眠っていたんだね。
僕の中ではこんなに時が経っているなんて思いもしなかった。

………僕はずっと、兄さんに嫌われてると思ってた。

何でもそつなくこなす兄さんとは違って、何をやらせても僕は本当に駄目な人間で。
いつも兄さんをイライラさせてばっかりだった。
そんな兄さんが嫌いだった。

でも、眠ってる間、ずっと僕の名前を呼ぶ声がしたんだ。
ずっと、ずっと鏡夜って呼ぶんだ。
叱るでもなく、咎めるでもなく、ただ温かい音色で。
その温かさで僕を包み込んでくれた。

母さんから聞いた。
ずっと僕のこと心配していてくれたんだね。
休みの日にわざわざ病院まで来て目覚めるのを待っててくれたんだね。
あの声は、兄さんの声だったんだね。

今なら分かる。兄さんは僕のことを見守っていてくれたんだよね。
あの日から、あの海の日から。
本当に、ありがとう。



今でも、僕は兄さんの弟でいてもいいですか?








文字がどんどん滲み出す。黒のインクが便箋を汚した。

私は、まだお前の兄でいていいのか、鏡夜?




fin




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本編その後のお話。

拍手にて掲載。
以前の拍手の話と繋がっています。
これで漸くひと段落。ハッピーエンドですかね。








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あきゅろす。
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