私立緑葉学園1
掟破りのタクティクスss
掟破りのタクティクス〜ホワイトデー編〜
3月14日。
それは坂場 基にとって、1ヶ月前からずっと恐れていた悪夢の日だった。
「…来てしまった……」
壁に掛けられたカレンダーを前にして、基は1人絶望の声を上げた。時刻は6時13分。基のルームメイトである高丸は、まだベッドで寝ている時間である。そんな朝早くだと言うのに、基はすっかり着替え終わり、登校準備が出来ていた。壁に手をあてうなだれる様子は尋常ではない。
何が彼をこうさせたのか。
それは1ヶ月前まで遡る。
「はい、基くん」
その一言により、教室に冷たい空気が流れた。教室中の者がこちらに注目している。基は、目の前に差し出された丁寧に包装された小さな箱と、それを差し出す千秋とを交互に見やった。
「な、何これ……?」
周囲からの冷たい視線が突き刺さる中、基は恐る恐る疑問を口にした。基にとって千秋から差し出されるものは、皆どこか何か裏があるものだった。その為、今回もそうに違いないと思ったのだ。
「バレンタインデーのチョコレートだよ」
彼の本質を知らない者から見れば、天使のような愛らしい笑みだと思うだろう。そんな魅力が彼にはあった。
しかし基にとっては、その笑顔も悪魔の笑みに変わる。その通り、千秋のその言葉により、すっかりクラスメートから受ける視線は、殺気じみたものになってしまっていた。口々に口を揃えて言うには、基に対する嫉みばかり。そんな訳で基は一日中、最上級の居心地の悪さを感じることとなった。
放課後。漸く悪夢な一日が終わると、一人部屋で肩を下ろしていた基の下に、事の元凶である千秋がやってきた。
「生きてるか?」
「お前がそれを言うか、お前が」
意気消沈中の基には怒る気力もない。ただただ机に突っ伏していた。そんな基を半ば茶化すかのように、千秋は背後から声を掛ける。
「オイ」
「………何だよ」
「基」
「だから何だって」
なかなか本題を話さない千秋にじれた基は、身を起こし後ろを振り返った。するとこちらに手を差し出している千秋の視線とぶつかった。何を意図しているか全く分からない行動に、基は取り敢えず、自分の手を乗せてみた。
「……っお手してんじゃねえよ。ほら、早く寄越せ」
じっと重ねられた手を見詰めたと思うと、千秋は基の手を叩き落として、高圧的に更に手を差し出してきた。
「何を?」
寄越せと言われても、全く心当たりのない基は、千秋の機嫌が悪くなると分かっていても聞くしかない。
「チ・ョ・コ・レー・ト」
「……えっ!?」
「俺はしっかり昨日買ってきてやったんだぜ。まさか用意してないとか言わないよな?」
そのまさかである。
そもそも別にチョコレート交換をする約束なんてしていないのだ。それに二人は恋人同士でも何でもない。渡す義理なんて全くないといっていいのだ。
「えっと……その……」
すっかり冷や汗を掻かせられてしまっている基は、何とかこの状況を脱しようと、気のきいた言い訳を考え始めた。そんな基の様子を、冷え冷えとした眼差しで見据える千秋。
「お仕置き決定」
その後のことは語るも恐ろしい、二度と思い出したくない記憶となった。
そして本日、3月14日。
昨日会った千秋の様子から、明らかに何か楽しみにしているのが分かる。確実に基は何かを要求されていた。ここひと月というもの、今日という日についてずっと基は考えていたが、結局何も用意出来ずじまいとなってしまった。
(……ヤバい)
基の脳裏に、あの日の最後に言われた悪魔の言葉が浮かび上がる。
『やっぱホワイトデーは3倍返しだよな』
何を基準に3倍と言っていたのか、基には疑問であった。しかし、確実に今日何もやらなければ、1ヶ月前よりヒドい目に遭うのは明らかである。
「と、取り敢えずクッキーでも作るか……?」
果たしてそれだけでいいものだろうかと思うものの、何も用意しないよりはマシだと基は台所へと向かった。
8時10分。
殆どの生徒が既に登校を完了させている中、基は駆け足で教室に滑り込んだ。
「オーッス、珍しいな。寝坊か?」
基の姿を目に留め、秋汰が声を掛けてきた。基は肩で息をしながら、秋汰に振り返った。
「オッス……まあな」
まさか、お前の兄へ渡すバレンタインデーのお返しを作っていたなど言える筈もなく、お茶を濁した返事になってしまった。幸いにも、別段秋汰は気にした様子はない。
実際、バレンタインデーに基が千秋からチョコレートを貰ったことを、秋汰は知っているのだから、言った所で何の問題もないのだったが。それに、秋汰は千秋からのチョコレートに、深い意味があるとも思っていなかった。
「おはよう、基くん。今日は遅かったんだね」
そこへ千秋が猫を被って現れた。
今日は格別いい表情をしているように窺えるのは、只の目の錯覚ではないだろう。
「ぉ…はよう」
顔がひきつるのを基は感じた。
「今日はホワイトデーだね」
早速来たと基は唾を呑んだ。
しかも自ずから収集に来るとは……まさかこの場で渡すことを要求しているのだろうか?基の背中に冷や汗が流れる。
もし仮にこの場で渡したら、クラスの冷たい視線が鋭く注がれるのは、火を見るより明らかだ。いや、恐らく千秋はそれを分かって敢えて、そう要求しているのだ。
基に逃れる術はなかった。
「こ、これ……」
仕方なく、腰が引けるものの基は朝、自分で包装してきた包みを千秋に差し出した。
「え、何?」
恐らく分かっているのに聞いているのだろう。どうやら千秋は基の口から、それがバレンタインデーのお返しだと聞きたいようだ。基には千秋から悪魔の尻尾が見えた。
「バレンタインデーのお返し……」
基は一刻も早く、この場から逃げ出したくて堪まらなくなった。予想していた通り、騒がしかったクラスは一瞬にして凍り付き、基たちに注目していた。皆、基を冷たい眼差しで見ている。
「ありがとう」
千秋は満足したかのように基から包みを受け取り、包装紙を取り外した。
「どれどれ?」
千秋の手元を覗き込む秋汰。一体基が何をあげたのか気になるのだろう。
「あ……クッキーだあ。もしかして手作り?わーありがとう!」
千秋の笑みに比例して、鋭くなるクラスの基に対する視線。一触即発といった空気が流れ始めた頃、タイミング良くして教師が現れた。
「どうしたんだ?みんなして。ん、何か甘い匂いがするな」
教師の登場に、基は教室を飛び出した。最早教室の空気に耐えきれなくなったのだろう。そんな基に教師は目が点になっていたが、クラスのみんなは何もなかったように自分の席に戻っていった。
「流石、基だ。美味そうだな。俺にも1つくれよ」
基がいなくなったことをすっかりスルーした秋汰は、千秋の持っている箱からクッキーを1つ奪い取ろうとした。すると千秋はその手からクッキーを守るように身を捩った。
「だーめ。これは僕が貰ったの。秋汰にだってあげないんだから」
そして箱からクッキーを1つ取ると口に含んだ。
瞬間、クラス中が千秋に釘付けになった。
千秋は、見る者を魅力する優しい笑顔を浮かべていたのだ。
一方基は、クラスに帰りたくなくて、裏庭にずっと隠れていた。何時間そうしていただろう。すっかり昼ご飯の時間になっていた。
「こんな所にいやがったのか」
背後から掛けられた声にも、基は反応する気が起きなかった。声の主が千秋だから余計かもしれないが。
「探したぞ」
基の隣に腰を落ち着かせると、千秋は基の頬を指でつついてきた。ずっとシカトを決め込んでいた基も、しつこい千秋についに痺れを切らした。
「っだあ!!止めろって!!!」
「何だ、元気じゃねえか」
基の反応に、千秋は茶化すように言った。それに何も返す気力がなく、基は肩を落とした。
「クッキー美味しかったぜ」
「……そりゃあ良かったな」
「食べてねえのか?」
「そんな時間なかったしな」
早くに起きたものの、作って箱詰めをすると登校時間になってしまい、味見も何もする時間がなかった。
「基」
千秋の声に気だるけに振り向くと、突然視界がぼやけた。目の前に肌色が広がる。
(長い、睫……)
状況を把握すると、直ぐに唇が塞がれた。
柔らかい感触に一瞬固まっていると、咥内が浸食された。リアルに感じる舌の触感。時折聞こえる水音。熱くなる身体。
「っはあ」
解放される頃には頭の酸素不足で意識が朦朧としていた。
「どうだった?」
「……………あまい」
それに熱い。
それは告げられることがなかった基の言葉。
「美味いだろ?」
嬉しそうに笑う千秋を見て、作ったのはお前じゃないだろと思いつつも、基は頷いていた。
おわり
――――――――
掟破りのタクティクスのホワイトデー小話。
バレンタインデーの話も少し混じっているので、一粒で二度美味しいかも?
制作期間、約1ヶ月係りました。
まあ長いですしね。
千秋の嫉妬深さが見え隠れするショートストーリーでした。
20110314
(初出 20090531)
戻る
[前へ][次へ]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!