姫と執事の話
わたしの好きな人
ウィンドベル王国第一王女のリーシャ姫は、彼女に仕(つか)える執事のサンジェスに恋をしている。
それは、城に住む者なら、誰もが知っていることだ。
もちろん、国王夫妻も……。
冬の間に眠っていた生き物たちが目覚めるための準備を始める、まだまだ寒いある快晴の日のこと。
リーシャ姫が勉強をしているうちに、と彼女に仕えるメイドのアリアは、城中の花の簡単な手入れをしていた。
「う〜ん……やっぱり芽が出るには寒過ぎるか……」
顎に指を鉢植えを覗き込んでいたところへ
「おお、アリア。よいところに。お前を探していたところだったのだ」
と声をかけられた。
「何ですかジイヤさま」
国王に仕え、城で働く者たちをまとめる執事長でもある白髪の混じる髪をした彼は、リーシャ姫に“ジイヤ”と呼ばれているため、アリアも普段は“ジイヤさま”と呼んでいるのだ。
執事長は、チラリとしか顔を向けなかったアリアを気にする風でもなく言葉を続ける。
「リーシャ姫様は今、勉強中だったな」
「はい」
「ではアリア、お前は今から執務室に行きなさい。国王様達がお待ちだ」
執務室の前で服のしわを直し、かるく息を整えて扉のノックをする。
「国王様。アリアです」
「入りなさい」
中に入り扉を閉めると、スカートをかるくつまんでお辞儀をする。
「顔を上げなさい」
と言われたので姿勢を正すと、椅子に座った国王とその隣に立つ王妃が目に入った。
二人とも、軽装だ。
「いきなり呼び出してごめんなさいね。アリア」
「いいえ。構いません」
申し訳なさそうな王妃に、笑みを返す。
「それで、ご用とは?」
すると、書類を読み終えた国王が顔を上げる。
「ああ。お前に少し訊きたいことがあってな」
「訊きたいこと……ですか」
国王はふう、と息をつくと、机の上で手を組んだ。
「アリア、サンジェスのことはどう思う?」
「どう、というと……?」
首をかしげると、
「あー……真面目だとか、優しいだとか、女にダラシナクないだとか……。つまりはだな……」
国王が言いよどむように視線をさ迷わせる。
すると、
「リーシャの相手として、彼は相応しいと思う? アリア」
王妃が割り込むように声を出した。
「相手として……?」
アリアは目をぱちくりさせた。
王妃は何度も頷いた。
その横で、国王は少し不貞腐れたような顔になる。
「ええ。あなたも分かっていると思うけど、リーシャはサンジェスに恋をしている。サンジェスだって、きっとにくからず想っているはずよ。わたしのカンが間違ってなければ」
「わたしもそうは思いますが……」
思わず口にすると、
「そうでしょう!」
と王妃が身を乗り出してきた。
「王の伴侶に与えられる“国王補佐”なんて役割の技量なり能力なりなんてのは、後からでも身に付くもの。一番大事なのは、きちんと互いに想いあえる相手と結ばれることなのよ!」
近付いてきた王妃に、ギュッ、と手を握られ、アリアは思わず半歩足を下げてしまった。
「えーっと……それならば、わたしは何の為に呼ばれたのでしょうか……?」
すると国王が、ふう、と息をついた。
「確かに私達はそう思っている。だが、“第一王女であるリーシャ”の相手だ。事は慎重にしなければならない。だからまずはその第一段階として、アリア、お前の考えを聞いておきたい」
「わたしの考え、ですか……」
もしここで、サンジェスでは駄目だと思う、なんて口にしてしまったら、リーシャの想いは一生叶わないことになってしまう、ということだろうか。
だからといってカンタンに、良いと思う、なんてことを言ってもいいのだろうか……。
頭を抱えてしゃがみ込んでしまいそうになっていると、
「ああ。ごめんなさいねアリア。そんなに深く考えなくても大丈夫よ」
と王妃の手が優しく肩に置かれた。
「この人が言いたいのは要するに、あの男は大事な娘を泣かせるようなヒドイ男ではないだろうな! っていうただのヤキモチだから」
ねぇ、と振り返られ、国王はプイとそっぽを向いた。
(泣かせたりしないだろうか、か……)
そういう聞き方をされると、思わず口ごもってしまう。
(そこに関しては、わたしも気になってることではあるのよねー)
「国王様」
と顔を上げた。
国王は背けていた顔をアリアに向けた。
「そのことに関して少し、お時間を頂けないでしょうか」
「なにをするつもりなんだ」
「彼が……サンジェスが、リーシャ姫様に相応しいかどうか、確かめさせて下さい」
「アリア、何を作っているのだ」
翌日、厨房でハナウタまじりに作業していると、入り口からリーシャがひょっこりと顔をのぞかせた。
「姫。お勉強終わったんですね。お迎えに行けず、申し訳ありません」
作業の手をいったん止め、リーシャに向き直った。
「それくらい大丈夫だ。すぐに部屋を出たからな」
室内に入ってきながら、リーシャは首を横にふった。
「そうですか」
それはまるで、扉の前でウズウズとしている猫のようだったのだろうな、とアリアは苦笑した。
「それで、いったい何を作っているのだ?」
手もとを覗き込んできたリーシャに、ニッコリと笑みを浮かべる。
「クッキーを作っているんです」
「クッキーか。アリアは何でも作れるのだな」
「よろしければ、姫もやってみますか?」
「えっ」
興味津々といった感じでこねられている生地を見つめていたリーシャが、はじかれたように顔を上げた。
「じつは、これ作るの凄く久しぶりなんです。だから、サンジェス様に“試食”をしてもらおうと思ってまして」
サンジェスの名前に、リーシャはピクリと反応した。
「本当か!? あ、でも……作ったのはアリアなのに……」
「問題ありません」
「だが……」
「物は試し、というやつですよ。今日のこれが上手くいったら、後日生地を作るところからチャレンジしてみる、ということです」
「物は試し、か……。うむ、そうだな。やってみよう!」
「はい、姫」
アリアは早速他のメイドからエプロンを借りてきてリーシャに着させた。
袖を何度か折り曲げ、髪留めで髪をかんたんにまとめる。
リーシャは面白そうに自分の姿を見下ろしている。
「きちんと着替えている時間がありませんので、申し訳ありませんが、今日はその格好で」
「うむ」
「次のときは、他のメイドから服を借りましょう。菓子作りは服が汚れてしまうものですから」
「うむ」
リーシャはウズウズしたように、生地をジーっと見つめる。
アリアはふっと苦笑をもらし、用意していた伸ばし棒の一つをリーシャに手渡す。
「それでは姫。まずはこうして……生地を伸ばしていきます」
リーシャも見よう見まねで、自分に与えられた分を伸ばしていく。
小さめ生地だったので、わりと早くにそれはいた状に伸ばされた。
「これで良いか?」
と、誇らしげな顔を向けられ、
「はい。さすがは姫です」
アリアもニッコリとした笑みを返すと、
「そうか?」
照れくさそうに頬を赤らめた。
「では、次はこれです」
とアリアが掲げたのは、小さくて丸い鉄の筒。
リーシャが小さく首を傾げると、
「見ていてください」
と生地にその筒を押し付けた。
それをそうっと上げ、鉄板の上にくりぬかれた生地をのせると……
「おお! クッキーだ!!」
リーシャは感嘆の声を上げた。
「はい。こうしてこの鉄板に型抜きした生地を置いていき、焼き上げます」
「うむっ」
リーシャはまるでリズムでも刻むように、クッキーの型抜きをはじめた。
アリアはそれを横目に、生地をナイフで切り分けはじめた。
自分の分とリーシャの分、分かりやすくするため、今日はちょっと手抜きだ。
それから一時間と少しが過ぎた頃。
「――こうしてリボンでまとめると……完成ですっ」
アリアが、紐に近いような細さのリボンで、焼き上がったクッキーを包んだハンカチをまとめた。
リーシャもそれを真似るようにアリアのものよりは幅広のリボンを結ぶ。
「…………これでいいか?」
「はい。とても可愛らしく出来上がったと思いますよ」
アリアが褒めると、
「……サンジェスも、喜んでくれるだろうか……?」
「それはもちろん! 大喜びで食べてくれると思いますよ」
リーシャはうつむけていた顔を上げると、とても嬉しそうに笑った。
サンジェスが自室で書類仕事をしていると、
「サンジェスはいるかー?」
ノックもなしに扉が開かれた。
「……いますが、姫」
座ったままで振り返る。
「何ですかその格好は」
リーシャは、だぼっとしたエプロン姿だった。
後ろでまとめられた髪は、首のかたちがハッキリと分かってしまい、サンジェスはわずかに眉を寄せた。
「仕事中であったか? ならいったん休憩にして、これを食べてみてくれ」
扉を開けたときの勢いのまま、リーシャはサンジェスの座る席まで近付いてきた。
机に置かれた包みが開かれると、甘くて香ばしい香りが鼻孔(びこう)をくすぐった。
「これは……クッキー、ですか?」
少々形の歪んでいるように見えるそれに、サンジェスは思わず訊ねた。
「そうだ。アリアに教えてもらってやってみたのだ。食べてみてくれ」
言われるままに伸ばしていた手が、一瞬止まる。
一年ほど前のことだったか。
アリアが、食べてみて、とニッコリと笑いながら菓子を差し出してきた。
たまたま手が空いていたという料理人に教わったのだという。
何も考えずに一つ手に取り口に入れると……口の中に砂糖の味が広がった。
確か、酸味の強い果実が入っているとか言っていたような気がするのだが……。
後でその料理人を見つけ訊いてみると、彼は困ったような、面白がるような笑みを浮かべて教えてくれたのだ。
――入れ過ぎだと止めたんですけどね。これくらい入れた方が面白いと言って……。
あれ以来サンジェスは、アリアの作った料理は、あまり口にしないようにしていた。
ゴクリ、と唾を飲み込んで
「ありがとうございます。いただきます」
クッキーを一つつまみ上げ、ままよ、と口に入れる。
「…………」
疲れているのだろうか。
思ったほど甘さが襲ってくることはなかった。
がそれでも、口の中が砂糖になることは止められない。
不信がられぬよう何とか咀嚼(そしゃく)して飲み込む。
リーシャが期待に満ちた眼差しでこちらを見つめている。
「……甘くて、疲れた身体には丁度良いですね」
とクッキーを包み直す。
「なので、今日一日の仕事中が終わった後で、“一人でゆっくり”と食べたいのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ。よいぞ」
リーシャはわずかに首を傾げつつ、笑顔で頷いた。
その晩。
サンジェスはリーシャに貰ったクッキーの残りを、水を飲みながら食べていた。
いくら疲れているとはいえ、夕食の後なので少々腹が膨れていた。
だか甘味の強過ぎるこれは、水がなければとても食べきれそうにない。
また一つ食べおえ、ふぅ、と息を吐いていると、扉が小さな音でノックされた。
椅子から立ち上がる気にもなれず、そのままの状態で声をかける。
「どうぞ」
入ってきたのは、
「どーもー」
と、なんとも無責任な笑みを浮かべたアリアだった。
手に持った小瓶を、顔の横で一、二度揺らす。
「もしかして、お腹の調子悪いんじゃないかなー、と思って。薬持ってきてあげたわよ」
「薬ならすでに持っている」
アリアを睨み付けながら、自分で持ってきたそれを顎で示す。
「さすがサンジェス」
準備いいのねー、と笑みを浮かべながら近付き、残り数個となったクッキーをつまみ上げる。
パクリと口に含むと、一瞬眉をひそめた。
「……さすがはアリアちゃん特製“愛の試練クッキー”。……甘過ぎる……」
アリアの手が届く直前にコップを取り上げると、思い切りイヤそうな顔をされた。
自業自得だ、と思いながら水を飲む。
アリアはいっぱくおいてから、ふぅと息を吐きサンジェスを見てきた。
「作り方を教えたわたしが言うのもなんだけど……よくこんなの食べれるわねー。とくに、アナタみたいな甘いもの嫌いが」
「食べれないわけじゃないから食べてるだけだ」
「別に食べれないからといって、姫がアナタを罰したりはしないのに……」
「そういう問題じゃない」
サンジェスはコップを置くと、クッキーをまた手に取る。
舌にのった瞬間の甘さには、やはり眉をひそめてしまう。
が、これ以上盗られてたまるか、と包みごと持つことにする。
アリアの方を見ると、ニヤリ、とした人のワルイ笑みを浮かべている。
「それじゃあ姫には、サンジェス様はとても気に入られたようなのでこれからもどんどん作りましょうね! って伝えておくわ」
「……勝手にしろ」
ジロリと睨み付けてから、ふぅとため息を吐いた。
「てっきり、こんな甘いもの二度と食べるか、みたいなこと言われるかと思った」
「……まぁ、……ぜひ食べたいとは思わないな。ただ……」
「ただ?」
「俺が食べないというだけで、捨てられたり、他の誰かが食べたりするのが嫌なだけだ」
そして、最後の一つを食べた。
「あら。まるで恋人みたいな言い方ね」
指先が、かすかにピクリと動いた。
「気のせいだろう」
と返し、黙りを決め込む。
クスリとした笑い声が聞こえたと思ったら、アリアは部屋から出て行った。
扉の外から、
「おやすみぃ〜」
とのんきな声がした。
サンジェスの部屋を出たアリアは、扉を閉めると、トンッ、と背中をつける。
「ふむ。独占欲はあるとみた」
目線だけを後ろに向けて、ふっと笑みをもらした。
そして数日後。
執務室にてニッコリと微笑み報告したアリアに、国王は
「そうか」
と応えた。
……ほんのわずかに悔しそうし見えたのは、気のせいにしておこう、とアリアは思った。
《END》
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