藤(鉢) 外れない視線(銀森・柳様リク) リビングから話し声が聞こえる。次の取引相手と電話をしているのだろうか、森田がドアを開けて部屋に入ったとき、ちょうど目があって次の言葉が平井の口から聞こえた。 「いえ…そんな大した男ではありませんよ。」 誰のことだろうか、と思う間もなく続けられる。 「若いだけで大した価値も、才能も…そんな貴方に目をかけて頂くような器の男ではありません。」 目が、まだあったまま。誰のことなんか考えなくてもわかった。顔色一つ変えない平井に、こくりと喉をならす。心中穏やかではいられなかったが、悲しみや怒りを表した負けだと思った。淡々と話し続ける平井。眉が寄せられていくのだけは我慢できずに、じっと見つめ返す。聞きたくない、自分を貶める言葉の数々。ふと、目を逸らしたのは平井の方だった。何とも言い難い気分になって唇を噛みしめる。 「そう、ですか…わかりました。えぇ。構いませんよ」 話が終わる気配を感じて、森田は踵を返した。何も聞きたくはない。その背中を、閉まるドアを、平井がどんな目で見つめているのか、それだけが少しだけ、気になった。 仕事の都合で行き違い、顔も見ない日々が続いた。あえてお互いを避けているよう。安田が不審に思い、巽が肩をすくめ、船田が「不憫だな、銀さん」と達観して呟いた頃、その日はやってきた。 平井が森田にいつもどおりに、それはいくらかは事務的ではあったが、仕事の内容を伝える。 「というわけだ、お前にも来て欲しいんだと…おい、聞いているか」 聞いている、しかし、本当に聞きたいのはそんなことではなく、結局ろくに頭には入っていない。 「聞いて、ますよ」 意地で答えた。そうか、と平井は言う。追求されない。苛立つ心。何か思うところがあるのだろう、平井は「…断ってもいいぞ」と続けた。森田の目を見もしない。腹が立ってなげやりに、「行きますってば!」と声を荒げてしまった。 何から後悔すればいいのか。痺れてきた足を少しずらして、森田は愛想笑いを浮かべた。先程までもう少し出来の良い笑みであったが、今では引きつり顔で見れたものではない。笑顔を浮かべられるだけ褒めて欲しいと思った。 「いやあ、いい後継者が見つかったじゃないかっ!」 何から後悔するべきか。平井の言うとおり仕事を断らなかったことか。 「そう、ですかね」 あるいは、ろくに平井の話を聞いてなかったことか。 「いやあ、銀さんがずたぼろに言うからどんな駄目人間かと思ったよ、ぐふふっ…」 あるいは、あの日、電話の内容を、問い詰めなかったことか。 「…ありがとうございます」 ああ、きっと全部だろう。森田は天を仰ぎたくなるのを必死でこらえた。 目の前にいるのは豚と言ったら豚に失礼そうな、太って脂ぎった男だ。森田は人を見掛けだけで判断したりしないし、それはこの世界では危険なことだと重々承知している。しかし。だがしかし。あまりにも醜い。性根が腐っているとはこういう男のことを言うのだろう。 それに比べて隣に座る平井はどうだ。涼しい顔で受け答えする様子は高潔そのものだ。悪党の中にも雲泥の差が存在するのだと、思い知る。 高級な酒も、料理も、今は森田にとって全く価値のないものに成り下がっていた。早く時間が進めばいいとそう心から思った。 「失礼」 平然と談笑していた平井が声をかけた。細かい振動が静かな和室に微かに聞こえる。平井の携帯だ。席を立つその姿を反射的に目で追ってしまうが、平井は前を向いたまま、出て行ってしまった。 (最悪だ・・・) 二人っきりというのがたまらなく嫌だ。 今になって、自分を貶めるような言葉を言い続けた彼の真意がよくわかる。目の前の男と相対すれば、嫌でも。 「よく見たら、精悍でよい顔立ちだね。近寄りなさい」 (冗談じゃねぇっ・・・!!) 心中とは裏腹に近寄らざるをえない森田。もしここで、こいつを殴ったり、拒否してしまったら、平井になんと詫びていいかわからない。 「凛々しいな、肌も張りが合って、若さが羨ましい」 ぞぞぞと悪寒が背筋を走りぬけたのは、あの太ましい指で頬をなぞられたからだ。密着する体、かかる息は酒臭い。今すぐ殴って、出て行きたい衝動に駆られる。 「この後、もう一席、君のために用意してもいいんだ。そうしたら先ほどの取引、もっと好条件にしてもいい」 にたりと笑う表情は下種そのもの。罵ってやりたいが、全ては平井のためだ。・・・平井のため?本当に? 「・・・その話・・・本当、でしょうか」 「もちろん」 嘘かもしれない。けれども、もしも本当に銀さんが有利になれる条件だったら・・・天秤にかけられる自分自身と仕事。かけるまでもない、森田は自分よりも、平井を優先させたいと本気でそう思ってる。奇しくも、平井が同じように思っているように。いや、本当は、違うのかも知れない。ただ、役に立って見返したい、その程度のことなのではないだろうか。 「なら・・・」 嫌々ながらも、了承の言葉を発しようとした、そのときだった。 「離れろ、下種が」 座敷に響き渡るいつも以上に低音な彼の声。その恐ろしい形相と吐き捨てられた言葉に驚いたのはもちろん森田だけではない。 「え・・・銀さ・・・」 「なっ、なっ」 先ほどまでの礼儀正しさはどこへ行ったのだろうか。出て行ったときと平井は間違いなく別人のようだった。 「離れろって言ったんだ、その汚らしい手を退けてもらおうか」 「きたな・・・!!ひ、平井、自分が誰に何を言ってるのかっ」 「わかって言ってる、当然だろう」 森田を無理矢理引き離して、手近にあったコップを思い切り引っ掛けてやる。 「失礼、手が滑りました」 ニッと平井は笑って、先ほど丁寧さとはまた違った、慇懃無礼な態度で語り出す。 「うちの仲間が貴方を十分に強請れるネタを仕入れてきましてね。あぁ、さっきの携帯での連絡がそうなんですが。もう貴方に目を掛けていただかなくても結構なんですよ」 悪魔は笑う。項垂れる相手に蔑むような視線を投げ掛ける。 それでも、なぜか森田の方は、見ようとはしなかった。 車に乗ってちらりと運転する平井を覗き見る。やはり、目は合わない。当然だ、向こうは運転をしているのだから。けれど、それは意識的に避けてるようにも見えた。 「銀さん」 「・・・なんだ」 呼びかけてしまってから、しまった、と思った。まだ何も言うことを考えてなかった。 「あ・・・いや・・・」 「お前、了承しようとしただろ、あんな見え透いた誘いに乗るのか」 「それは・・・」 怒ってる、その淡々とした声が逆に恐ろしかった。それは、貴方の役に立てると思って、そう言おうとしてやめた。あくまで言い訳に過ぎない。本当は平井の役に立てるからだけではなく、自分が平井の口から貶められたのが悔しかったから。なんとか役に立ってみせて、たとえそれが平井の本心でないにしても、あんなふうにもう言わせたくなかったから。 「・・・オレだって」 そう呟いたきり、平井は何も言わない。車は進み、マンションの駐車場までやってきた。痺れを切らして、森田はシートベルトを外してから平井に詰め寄った。 「あんなふうに、言って欲しくなかった」 「オレだって言いたくて言ったわけじゃねえ」 「なら、そう言ってくれれば」 「聞かずに避けたのはどっちだ」 まるで子供の口げんかだ。 埒が明かないと、平井が諦めたそのときだった。森田はぐっと平井の腕をつかんで引き寄せた。 「・・・嘘でも、言って欲しくない・・・アンタの口からあんなふうに・・・」 その泣きそうな表情に、平井はため息と共に呟いた。 「馬鹿だなあ・・・」 軽く額に口付けて、子供をあやすように優しく撫でた。 「悪党の言葉をそのまま信じるやつがあるか」 ざわついた心が、嘘のように静まっていく。 「あんな奴に触らせて…本当にお前は馬鹿だなあ」 頬をそっと撫でて口づけた。優しい撫で方にほっとして、軽く触れるだけの口付けを返す。 「さ、家に帰るぞ」 帰ったら、色々詰めなきゃいけない仕事が山積みだ、そう言ってすたすたと車を降りてしまう平井の後を、嘘みたいな足取りで森田は着いていく。 「ね、どうして、オレのこと、見てくれなかったの」 「・・・さあな、秘密だ」 (お前の眼を見たら、まず真っ先にオレがあいつのことを殴っちまいそうだ、なんて、言えるわけねえだろ・・・) 終わり 一万ヒット記念リク 柳様へ [*前へ][次へ#] |